114.妊娠中絶とピル

「それは女性の権利なのです。女性の体のことであり、女性の選択なのです」

このように大統領は信じていますと述べたのは、ひと月前の2021年9月2日、妊娠中絶に関する米国テキサス州の州法を巡る報道記者会見でのホワイトハウスのジェン・サキ報道官でした。

「バイデン大統領は、自身のカトリックの信仰で中絶は道徳的に間違っていると教えているのに、なぜ中絶を支持するのか」という質問に対して答えたものでした。

さらに彼女は、質問した男性レポーターに次のように次のように答えました。

「このような決断をするのは女性なのです。主治医と共に決断するのは女性なのです。(男性の)あなたはこのような問題に直面したことはないし、妊娠したこともないでしょうけれど、この選択を迫られた女性にとっては、計り知れないほど困難なことなのです。大統領はこの権利は尊重されなくてはならないと信じています」

この記者会見でのサキ報道官の毅然とした態度は話題になりました。映像と英語版の記事はこちらです→USATODAY 2021年9月2日の配信記事

尚、翻訳記事はこちらをご参照ください→ハフポスト日本版2021年09月03日の配信記事

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妊娠中絶に関して「決めるのは女性なのだ」と信念を表明した米国大統領並びに、それを言明したサキ報道官に私は心より賛同します。妊娠・出産するのは女性なのですから。

私はかねがね、若い女性が一人でアパートや出先のトイレなどでひとりで出産し、殺人・死体遺棄で逮捕され、実刑判決を受けるという報道に接するたびに、妊娠出産の全責任が女性一人に押しつけられ、赤ちゃんの父親である男性の責任が一切問われることがないという現行の制度は見直す必要があると感じてきました。

さらに、女性ひとりが全責任を負わざるを得ない状況にあるにも関わらず、望まない妊娠を防ぐための避妊が、日本では長年男性主導になってきたことにずっと問題意識を持ち続けてきました。

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今から22年前の1999年6月、全国紙の朝刊は一斉に「低用量ピル解禁」を報じました。私は40歳になる直前でした。

毎日新聞の一面は次のように報じました。

低用量ピル解禁 8月末にも 申請から9年 中央薬事審答申
 厚生省の中央薬事審議会常任部会は2日、性感染症予防のための説明文書の添付などを条件に経口避妊薬(低用量ピル)の承認を認め、宮下創平厚相に答申した。厚生省は今月中に承認を正式決定し、製剤は早ければ8月末にも市場に登場する。低用量ピルを承認していないのは国連加盟国では日本だけとされ1990年7月の申請以来9年に渡る異例の長期審査を経て解禁されることになった。(後略)
1992年(平成11年)6月3日木曜日 毎日新聞第一面より

さらに6月4日、毎日新聞は社説で次のように述べました。

社説 ピル解禁
 ようやく、というべきであろう。
 国連加盟国の中で、日本だけが未承認だった低用量の経口避妊薬・ピルが今月中にも承認され、早ければ8月から解禁される。
 1960年に初めて米国で承認されたピルは、現在、世界で9000万人以上が服用している。100%近い避妊効果も実証ずみだ。かつての高用量ピルに比べて安全性も向上した。
 ところが、申請から、厚生省の中央薬事審議会(薬事審)での承認までに9年もかかった、というのは異例の長さだ。
 月経困難症の治療薬として使用が認められた中・高用量ピルは、避妊にも転用され、約20万人がすでに使用している。なのに、それより副作用の少ない低用量ピルが、長らく認可されなかったのは不自然だった。
 男性の性的不能治療薬バイアグラが昨年末、同じ薬事審で、申請からわずか半年で認可された。それと比べてピルの承認までの長さに「女性差別ではないか」という声が上がったのも、無理からぬ話だった。
 94年に、エジプトのカイロで開かれた国連国際人口開発会議で「性と生殖に関する健康と権利」の保証が合意され、妊娠や出産の自由を女性に認める世界的な流れも強まった。
 低用量ピルの解禁は、女性が望まない妊娠や出産を防ぐのに大きな役割を果たすのは間違いない。
 日本での避妊の8割はコンドームによるもので、女性が主体的に避妊できる方法は限られている。
 届け出だけで、年間34万人という人工中絶も減らせる。母体を保護し、女性の健康を守ることになる。
 使用にあたっては、十分な知識と注意と責任とが、求められよう。
 とくに注意しなければならないには、HIV(エイズウイルス)などの性感染症だ。ピルは性感染症の予防には無力だ。ピル解禁によりコンドームの使用率が減れば、性感染症が増えるおそれも強い。薬事審での承認がここまで遅れた最大の理由は、この点にあった。(中略)
 低用量ピルの解禁は、女性の権利を広げることになろう。
 今春から、男女雇用機会均等法が、強化され、今国会で、男女共同参画社会基本法も成立する見通しだ。
 21世紀には、男女が平等で共生できる社会を実現させられるか。
 ピルの解禁はその方向を加速させることになるよう、期待したい。

1992年(平成11年)6月4日金曜日 毎日新聞第5面 <社説>より

私は、低容量ピルが解禁されたこの時のことをよく覚えています。なんだか色々な点で腑に落ちないと感じたからです。

エイズを始めとする性感染症予防に、ピルは無力だから承認が遅れたと言われていましたが、私は、最も性交渉が頻繁に行われるのは夫婦間であるのに、なぜ性感染症予防が遅延の理由になるのか理解できませんでした。戦前生まれの世代では、十人兄弟など少しも珍しくはありませんでした。

もう2〜3人子どもがいるから避妊したいというような夫婦間でなら性感染症は問題になりません。時々若年層の妊娠が事件として報道されたり、不貞行為などの婚外性交渉が話題になりますが、それはニュースになるようなことだから報道されたり話題になるのであって、夫婦間の性交渉が最も多いだろうに、なぜ性感染症予防を理由に承認を遅らせるのだろうかと疑問に感じていました。

なんだか日本では不特定多数の人と性交渉をするということが大前提となっているのですかと問いたくなるような理由で、他国に比べて何十年も承認が遅れるというのは理解できませんでした。

いずれにしろ医師の処方箋が必要であるならば、夫婦間で使用するなどの条件をつけてでも、もっと早期に承認することは可能だったのではないかと私は感じていました。

最近では、少子化、不妊治療が話題になりがちですが、米国で承認された1960年から1999年までの40年間では、少子化よりも妊娠中絶、避妊の方が大きな問題でした。上記の毎日新聞社説の中で人工妊娠中絶の件数は届け出だけで34万件とありますが、1990年代の年間の出生数は約120万人です。

米国で承認された1960年の場合で言えば、人工妊娠中絶件数は内閣府のデータによれば106万件であり、出生数は160万人でした。いかに妊娠中絶が多かったのかがわかります。中絶による心身ともに母体への負担は相当なものです。尚、最近のデータ、2014年のデータでは、中絶件数は18万件であり、出生数は約100万人です。(データは内閣府 男女共同参画局より)

国連加盟国の中で日本だけが未承認だったというほど、日本の男性の多くは妻に人工妊娠中絶をさせないようにとは考えなかったのかと、当時私はとても不思議に思っていました。

◇ ◇ ◇ 

ところでこの時のことをよく覚えている最大の理由は、実は、当時自宅で購読していた朝日新聞の社説が、私にとって忘れられないほど衝撃的だったからです。毎日新聞と同じように朝日新聞も社説でピルの承認について述べていました。それは次のような内容でした。

女性の自覚が大切だ 「ピル承認」
 飲む避妊薬ピルが、ようやく日本でも使えるようになる。
 厚相の諮問機関、中央薬事審議会の常任部会が、ホルモン量の少ない低用量ピルを承認する答申を出した。
 ピルは1960年に初めてアメリカで認可された。高い避妊効果があり、世界各国の女性たちに使われている。
 なのに日本では、性道徳の乱れやエイズ拡大の恐れなど、さまざまな理由をつけて承認が先延ばしにされてきた。認可に向けて調査が始まってから約四十年たつ。
 ピルの承認は、女性にとって避妊の選択肢が増えることを意味する。遅すぎたとはいえ、この決定は歓迎できる。
 ピルが身近なものとなるこの機会に、幾つかの課題を指摘しておきたい。
 製薬会社に求められるのは、ピルについての情報を全面的に公表することだ。(中略)
 今回の答申では、ピルのほかにもう一つ重要な避妊手段が承認された。銅つきの子宮避妊具(IUD)である。医師に正しく装着してもらえば、避妊効果が高く、副作用の心配もほとんどないピルより安い点も魅力だ。
 この二つの方法は、避妊を男性任せにせず、女性が主体的に選べるところに最大の利点がある。それだけに女性自身の自覚がこれまで以上に問われる。自分の体や健康状態を知り、生活スタイル、パートナーとの関係なども考えて選ぶ責任がある。
 ピルの承認については、性感染症が増えるのではないかとの懸念があった。
 ピルが認められていない現在も性感染症は増えている。国内のエイズウイルス(HIV)感染者は、男性の増加が目立つ。九割近くが性行為によるものだ。避妊とは切り離して対策を講じるべきだろう。
 性感染症を防ぎ、望まない妊娠を避けるためにも、正確な情報を知ることが何よりの前提である。学校でも避妊について、冷静に客観的に教えるべきだ。
 年間三十三万件に及ぶ人工妊娠中絶のうち三万件は十代の女性である。
 「セックスを断って彼に嫌われたくなかった」「避妊して、といえなかった」と振り返る女性が少なくない。避妊の種類が豊かになっても、性のあり方を自分で決められなくては何も変わらない。
 気の進まないときや心配な時には、きちんと「ノー」がいえる。そんな自立した人間を育てなければならない。
 何でも対等に話し合える関係の中でこそ、新しい避妊法は生きる。

1999年(平成11年)6月4日金曜日 朝日新聞社説より

ツッコミどころ満載で、どこから突っ込んで良いのかわからないほどですが、まずピルの承認で「女性の自覚が大切だ」とタイトルをつけたことに驚きました。これまで避妊が男性主体だったのに対し、ようやくピルが解禁されて女性も望まない妊娠や出産を主体的に防ぐことができるようになったという時、なぜ女性の自覚が求められるのか不思議でなりませんでした。

これまで女性が「気の進まない時や心配な時にも」、望まない妊娠をさせ、出産をさせてきた男性の自覚については、問わなくては良いのかと言いたくもなりました。

「国内のエイズウイルス(HIV)感染者は、男性の増加が目立つ」というのと女性の自覚との関連も不明です。男性が性感染症を防ぎたいのならば、それは男性自身がコンドームを使用すれば良いことです。

「『セックスを断って彼に嫌われたくなかった』『避妊して、といえなかった』と振り返る女性が少なくない。避妊の種類が豊かになっても、性のあり方を自分で決められなくては何も変わらない」という文章に至っては、身勝手な男性を責める材料になりはすれども、どうしてこのような結論が導き出されるのか摩訶不思議としか言いようがありません。

避妊の種類が豊かになることによって、女性が主体的に望まない妊娠・出産を回避できるようになったことは、「何も変わらない」どころか、大きな変化をもたらすものだと言えるでしょう。

20年間、私の心の中でくすぶり続けていた思いを、今ようやく言葉にすることができました。

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ところが、サキ報道官のニュースからしばらくした9月25日、翌日の「世界避妊デー」を前に、NHKが日本の避妊の現状について報道したのを観て、私は驚きました。(参考:NHKニュース

それは、未だに日本では避妊の方法は75%が男性用コンドームであり、経口避妊薬(ピル)は6%、子宮内避妊具は1%だというのです。一方欧米では、第一位がピルで31%、続いて男性用コンドームが25%、さらに子宮内避妊具14%となっていました。日本のピル使用率はわずか6%で、欧米の31%に比べて五分の一に過ぎないというのは驚きでした。

夜7時のニュースで紹介されたのですが、番組によれば、英国では日本より約40年早くピルが承認され処方箋があれば誰もが無料で入手可能であることや、フランスでは25歳までの女性を対象に、来年から全ての避妊薬を無償にすることが今月発表されたと報じられていました。

低容量ピルは、避妊目的のみならず、生理痛や、生理不順、月経困難症、月経前症候群(PMS)などにも効果的です。日本ではピルの無償化は議論にすらなっていないようですが、このような報道を通して、ピルがもっと身近な存在になっていけば良いと願っています。

なぜなら、妊娠、避妊、中絶などは、女性の権利なのです。女性の体のことであり、女性の選択だからです。


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