148.シャンプー・リンス

本稿は、2020年5月30日に掲載した記事の再録です。

子どもの頃、大阪の祖父母の家に行くと、お風呂屋さんに連れて行って貰いました。大きな湯船にはいるのはとても楽しみでした。

そのお風呂屋さんに「洗髪十円」という貼り紙があったのが忘れられません。昭和40年前後、つまり1965年前後のことです。男湯にはそのような貼り紙はなく、女の人は髪が長いのでお湯をいっぱい使うので別料金になるのだと祖母が教えてくれました。銭湯の料金が二十数円だった時の十円でした。

その頃の私の髪型は、サザエさんにでてくるワカメちゃんようだったので、私も同じように追加料金十円というのは子ども心に納得がいかなかったので、より記憶に残ったのかもしれません。

◇ ◇ ◇

東京都の銭湯料金の推移を調べてみると、洗髪代を別料金としていたのは、昭和45年(1970年)4月まででした。あいにく大阪府のデータを見つけることはできませんでしたが、お隣の京都府の銭湯料金の推移でも、昭和48年(1973年)12月まで別料金でした。

わざわざ別料金に設定していたということは、少なくともあの頃まではお風呂屋さんに行くたびにに髪を洗う習慣はなかったということになります。東京が洗髪料金を廃止した1970年は私は小学校5年生、京都が廃止した1973年は中学生2年生でした。

そこでシャンプーについて調べてみたら、いくつかおもしろい広告を見つけました。

戦前のものだと思われる花王のシャンプーの広告は「せめて月に二度はシャンプーを」というのがキャッチコピーでした。その後、「御洗髪は、週一度!」となり、「夏の髪洗いは、5日に1度!」と段々頻度が上がっていきました。

日本で最初にシャンプーを発売した花王の「洗髪の歴史」サイトによれば、1920年代頃から髪洗い粉が出回り始め、1930年代に固形石けんが発売され、1955年粉末シャンプー、1960年液体シャンプーが発売されてその後普及したとあります。

おそらく、私が銭湯で「洗髪十円」の貼り紙を見た1965年前後には、シャンプーは週に1、2回というのが一般的だったと思われます。

あの頃はまだ、お風呂屋さんの番台には粉末状のシャンプーが売られていました。歯磨き粉も「粉」というくらいですから粉末状のものもあり、祖父が粉末状の歯磨き粉を使っていたことを覚えています。

小さな頃は、シャンプーハットをかぶって親に髪を洗ってもらっていましたが、残念ながらこの時どんなシャンプーを使っていたかは記憶にありません。最後に泡立ったシャンプーを両手で絞り取るようにしてキューピーさんのように髪を立ててもらい、鏡で確認してからお湯で流してもらうというのが我が家の決まりでした。小学校に上がる頃くらいからは、自分で洗うようになりました。

1960年代後半、私は東京の郊外育ちですが、小学生になってしばらくして、花王のフェザーシャンプーや、ライオンのエメロンシャンプーが一般家庭に浸透し始めました。

さらに、シャンプーに加えて「リンス」なるものが登場してきました。リンスをすると、それまでのシャンプー後のキシキシした髪の感じがなくなり指通りが良くなりました。

1970年、エメロンクリームリンスは大々的にテレビコマーシャルを流し、日本中にシャンプー・リンス文化が浸透していきました。

このCMは、町行くおしゃれな女性の後ろ姿をしばらく撮影し、アナウンサーが突然インタビューマイクを差し出しながら、エメロンクリームリンスをプレゼントして振り向いてもらうというもので、振り返った時にテレビカメラで撮影されていたことに気づいた女性がはにかむ様子が人気でした。

この時、テーマソングは「ふりむかないで」という曲で、歌詞の1番には「東京の人」、2番には「札幌の人」、以下「仙台の人」「名古屋の人」「大阪の人」「博多の人」といわゆるご当地ソングのようになっていて、全国の女性に声をかけていました。

私たち小学5、6年生の女子も、よくエメロンごっこをして、「ふりむかないで」を口ずさみながら、「エメロンですが」と言いながら突撃インタビューの真似事をしていました。小・中学生の女の子の間でもはリンスはあっという間に普及していきました。

最初の頃のリンスは、洗面器の底に 1、2センチお湯を入れ、そこにキャップ一杯のリンスを入れて指先でぐるぐるかき混ぜてよく溶かしてから、そこに髪を漬けるようにして馴染ませ、それから洗面器のリンス液をかぶり、最後にお湯で洗い流していました。そのうちにリンスは髪に直接つけるようになっていきました。

そういえば、一般家庭にシャワーが普及し始めたのもおおよそこの頃からでした。キューティクルとか、ブラッシングなどという言葉もこの頃覚えました。

昭和50年(1975年)、花王は「毎日シャンプーしたっていいんです」というコピーでエッセンシャルシャンプーを発売しました。私が高校に入った年です。シャンプーの質も良くなり、毎日シャンプーしても髪がきしんだりしなくなってきたということなのでしょう。

シャンプー・リンスの多様化はあっという間で、私にとって特に印象的だったのは、ヴィダル・サッスーンやロレアルなどの外資系ブランドも続々と参入してきたことです。それまではもっぱら衛生目的の洗髪だったのが、おしゃれに欠かせないシャンプーという位置づけとなり、ドライヤーも一気に普及し、自分でスタイリングをするようになりました。

フォークソングの「神田川」に唄われた、お風呂屋さんの帰りに「♬ 洗い髪が芯まで冷えて…」という光景は過去のものとなっていきました。

大学に入る頃には、手先の器用な友人が当時から流行っていた美容室クロードモネをもじって、シロートモネなどといいながら長い髪をファラ・フォーセット・メジャースのように美しくセットするようになっていました。

1980年代後半には「朝シャン」ブームが沸き起こりました。学校や仕事に行く前にシャンプーして出かけるという新たな習慣を根付かせようと、大きなボウルにシャワーを備え付けた洗面台が話題になりました。とはいえ、私には朝、シャンプーしている余裕などとてもありませんでした。

昭和が終わって平成になると、ライオンがシャンプーとリンスを一体にした「Soft in 1 (ソフトインワン)」を発売しました。この商品は、商品名よりもキャッチコピーの「ちゃんとリンスしてシャンプーする」を略した「ちゃん、リン、シャン」の方が有名でした。

この頃には、リンスをコンディショナーと呼ぶようになり、若者は毎日シャンプーするようになっていきました。

それでも私の記憶では、20世紀が終わる頃までは、温泉旅行などに出かけても、母の世代の女性の多くは、頭にシャワーキャップをかぶっていました。

私の父などは髪は石鹸で洗っており、シャンプーは生涯一度も使ったことはなかったと思います。

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この60年、私の知るだけでシャンプー・リンスの頻度や形態、ついでにいえばシャワーやドライヤーの普及率の変遷も隔世の感があります。

記憶の中の祖母は、よく拓殖の櫛で髪を漉(す)いていました。

子どもの頃、私はよく高熱を出して気管支炎や肺炎になっていましたが、そろそろ熱も下がってくると、服を着て屈んだ姿勢のまま、母が洗面器にはったお湯で髪を洗ってくれました。

昔の日本画などをみると、長い間洗髪というのは、着物を着たまま盥で行うものだったのかしらと思いますが、今となっては尋ねる人もいなくなってしまいました。


<再録にあたって>
この2年間、感染症予防対策として手洗いを繰り返し奨励されたことによって、人々の衛生観念はさらに高まりました。昔のように「せめて月に二度はシャンプーを」などと言う人はほぼ絶滅したと思われます。衛生観念は時代とともに変化していますが、最近では朝晩2回シャンプーする人も出現しているようです。


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