038.イチゴあれこれ

子どもの頃、イチゴを食べるときは決まって、お砂糖と牛乳をかけて、それをイチゴスプーンでつぶして食べていました。そういえば、イチゴスプーンは最近すっかり見かけなくなりました。

イチゴスプーンは匙の底にイチゴの形が刻まれて平らになっていて、先が割れているタイプと普通に丸いタイプがありました。1960年代〜70年代にかけてはどこの家にもありました。

春になってイチゴの季節になると、少し深さのあるお皿にイチゴを5〜10個位のせて、イチゴの上からおもむろに白砂糖を大匙1杯から2杯くらいたっぷりかけ、そこに牛乳を注ぎ、イチゴスプーンの背を丁度イチゴに当たるようにして潰すのです。

イチゴの潰し方や砂糖や牛乳の量には、それぞれ流儀がありました。少しだけ潰す人も、イチゴの原形がなくなるまで潰す人など色々でした。イチゴが潰れると白い牛乳が赤く染まり、数を潰すに従って牛乳のピンク色がどんどん濃くなっていきました。

私は潰したイチゴを食べるのも好きでしたが、最後に綺麗なイチゴミルク色に染まった甘い牛乳を飲み干すのが何よりも楽しみでした。

あの頃のイチゴはすっぱくて、砂糖と牛乳がよく似合いました。現在では品種改良が進み、イチゴはそのままで十分甘味があって美味しくなりました。

◇ ◇ ◇

我が家では、高熱を出すのは私、お腹を壊すのは弟と相場がきまっていましたが、ある時珍しく、私がお腹を壊したことがありました。しばらくは絶食、食べていいのはお粥とリンゴのすったのだけという土曜日の昼下がり、多分、病院からの帰り道、よく行くパン屋さんの店頭に苺サンドが並んでいました。

母は私に「治ったら買ってあげますね」と言いながら、弟の分だけ買いました。白い生クリームと大きな苺が入っているサンドイッチでした。5月のからりと晴れた良いお天気の日でした。

それから一週間程して、お腹の具合も良くなって、またパン屋さんに行きましたが、もう苺サンドは売っていませんでした。その日はたまたま売り切れかもしれないと思いましたが、また翌週も行ってもありませんでした。母がパン屋さんに聞いてくれたら、もう苺の旬は過ぎたのでまた来年ということでした。

あの頃は、野菜にも果物にも「旬」が色濃くありました。日本で温室栽培が始まるのは1965年頃からでした。魚も養殖物はほとんどなかったので、食卓は旬のものに限られていました。

私は今でも、パン屋やコンビニの店頭で苺サンドを見つけると、なにはさておき、とにかく必ず買う習性がついています。

◇ ◇ ◇

私はケーキが大好きだったので、駅前のケーキさんのウインドウをよく見ていましたが、春を過ぎると、ケーキさんからイチゴが姿を消しました。ショートケーキの上にはイチゴの代わりにメロンがのるようになりました。缶詰の黄桃がのっていたケーキもありました。

デコレーションケーキも、あの頃はバタークリームで覆われていて、上にはピンクのクリームで作られたバラの花や、緑色のクリームでできた葉っぱが飾られていました。バタークリームの上からチョコレートコーティングしてあるものもよく見かけました。店頭にはイチゴの姿はありませんでした。


今では、ケーキ屋さんからイチゴが姿を消すなど想像もつきません。一年中イチゴは手に入る果物になりました。また各産地ごとにブランドが確立していて、様々な種類のイチゴを味わうことができるようになりました。

それでも、今、砂糖と牛乳をかけたすっぱいイチゴのことを思い出すと、無性に食べたくなります。もちろんイチゴスプーンを片手にです。


000.還暦子の目次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?