226.一斉休校とスト権スト

本稿は、2020年3月28日に掲載した記事の再録です。

日本のみならず、多くの国で新型コロナウィルスのため一斉休校になっていますが、私にとって「休校」の思い出と言えば、1975年(昭和50年)の「スト権スト」による8日間の連続休校です。

この年、私は高校1年生でした。「スト権スト」とは、JRに分割民営化される前の、当時は国鉄と呼ばれていた鉄道会社が、ストライキをする権利を獲得するためにストライキを行うというものでした。正確にはもう少し複雑なのでしょうが、大方の理解はこんなものでした。

新聞やテレビのニュースでは、「国労」とか「動労」、「奪還」とか「遵法闘争」などという言葉が飛び交っており、大人たちは皆んな難しい顔をして、スト権ストの是非を論じていて、現場の緊張を伝える記事や映像がメディアに溢れました。

そんな中、高校生の私は学校が休校になるかどうかが最大の関心事でした。私自身はバス通学だったので、ストライキは通学に影響しませんでしたが、国鉄で通学してくる生徒もかなりいるということで、休校となりました。内心「やったー!」という気分でした。

学校の立地によってはまったくストライキの影響を受けないところもあり、普段通りの授業が行われていたところもありました。けれども私たちの学校は、スト権ストが終息するまで休校ということになったので、ストライキが長く続きますようにと心ひそかに願ったものでした。

私たちの学校は、休み中にも特に禁止事項もなく、自由に過ごして良いことになっていました。帰りのバスの中で、友人たちと明日からどうする?という話題で盛り上がり、「じゃ、図書館に集合ね!」ということになりました。

公立の図書館は、通学途中のバス停の近くにあり、国鉄のストには影響を受けなかった上、バスの通学定期がそのまま使えて便利でした。毎日友人にも会えるし、皆んな心ウキウキで「じゃ、明日ね!」と別れました。

私にとっての問題は、さて何を着て行こうかということでした。制服ではなく私服ということなので、ダサい格好にならないように、かといって図書館に行くのにおしゃれというのも違うので、悩ましいところでした。

11月だったので、アーガイルのカーディガンやフィッシャーマンの白いセーター、それにタータンチェックのプリーツスカートや千鳥格子のボックスプリーツのスカートなど、数少ない洋服の組み合わせをあれこれ考えました。オーバーオールのデニムもありましたが、図書館には仲良しの女子だけではなく、男子も来るかもしれないのでした。

図書館は、夏休みなどは勉強机の順番取りで朝から行列ができましたが、スト権ストの時は、中学校やいくつかの高校は普通通りの授業をしていましたから、並ぶこともなく広々とした机を占領できて、普段ろくに勉強などしてはいないのに、なんとなくやる気が出てきました。

実は今でも「スト権スト」と言えば、私の中では英語の「強調構文」が連想されます。授業中になんとなくわかったようでよくわかっていなかった強調構文について、この図書館で『チャート式英文法』という参考書を読んでいたら、強調構文と形式主語構文の違いが、はっきりわかったのです。「腑に落ちる」という言葉の意味までわかったような気がしました。

せっかく学校が休みなのに、わざわざ図書館に行って強調構文を勉強するなんて、なんて真面目な高校生だったのだろうと呆れもしますが、あの頃は、話をしなくても仲間と机を並べているだけで楽しかったし、お昼休みに近くの喫茶店で、なけなしのお小遣いでおしゃれなピラフやドリアなどを食べながら、あれこれおしゃべりするのは最高に幸せでした。


そんなある日、皆んなとのランチの帰りにひとり文房具店に立ち寄って帰ってくる途中、気の弱そうな中学生くらいの少年が、いかにも不良という雰囲気の五人くらいの高校生に絡まれているのを目撃しました。これは大変だと思い、急いで図書館に戻って、入り口の公衆電話から110番をしました。

電話に出た警察官に、すぐに急行してもらえるよう正確な場所と見たままを告げ、直ちに助けに行って欲しいとお願いすると、警察官は、まず電話をかけている私自身の住所と氏名、学校名を述べるよう言いました。私は少年がお金を脅し取られてからでは遅いと思い、直ぐにパトカーで向かってもらえませんか?と畳みかけました。ところが、そもそもなぜ君は平日の昼間に学校へも行かずに図書館近くをふらついていたのかと強い口調で詰問されました。私はなんだか怖くなって、そのまま電話を切ってしまいました。

切ったあと、あの中学生はおそらく恐喝されていたのに、結局、私に勇気がないばっかりに助けてあげられなかったと何とも言えない後味の悪さがこみ上げてきました。警察官も何もあんな叱責のような口調でなくてもよかったのにと思ったり、何も悪いことなどしていないのになぜ電話を切ってしまったのだろうかと不甲斐ない自分を責めたりしました。正義の味方のつもりだったのに、大きな挫折感と無力感を味わいました。


最初の頃はテレビのニュースで今日もストライキが継続中であることを確認しながら学校の休みを喜んでいましたが、だんだんと私服のレパートリーも底をつき始め、110番でのやり取りで意気消沈した頃、スト権ストは中止となりました。全国の通勤通学の足や物流に多大なる影響が及び、大混乱の果ての中止でした。

大人の事情はあれこれあるようでしたが、ひとまず明日からまた普通通り授業再開となった時、残念に思う気持ちと同時にホッとする気持ちになりました。せっかくの休みだったので、もっと普段できないようなことをすれば良かったという後悔もありました。

あれから45年の月日が流れました。スト権ストの休校は8日間という短い間でしたが、達成感や挫折感など様々な思いを味わった特別な時間として、忘れられない日々となりました。


<再録にあたって>
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、私の中では、一斉休校→スト権スト→図書館→110番と、長年連想ゲームのようになっていました。未だにスト権ストと聞くと、英語の強調構文を思い出すのも我ながらおもしろい連想です。

この稿を書いてから3年半の時が流れ、ようやく新型コロナウィルスの蔓延もひと段落し、世界中で人々普段の生活を取り戻しつつあります。


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