091.年次有給休暇

新卒の頃

昭和57年(1982年)に新卒で入社した会社には、確か年間10日ほどの年次有給休暇があったと記憶しています。勤務年数に従って翌年からは1日ずつ年間10日から14日くらいまで増え続け、その年の有給休暇は翌年まで持ち越し可能というような制度でした。

正確な日にちを覚えていないのは、有給休暇など何日あろうと実質的にはなんら関係なかったからです。私の勤務先に限らず、当時は「会社というのは基本的には休まないもの」という無言の圧力が社会を覆っていました。

では、どういう場合に有給休暇を取ったかというと、高熱が出るなど体調不良でどうしても出社できない時と、あとは慣例となっている3日程度の夏休みくらいでした。親戚の結婚式出席の為とか、家族の手術につき添うためとか、祖父母の葬儀で郷里に帰るのに忌引休暇一日では足りないので有給休暇を合わせて申請するというようなケースもありました。

有給休暇の申請には理由欄に「正当な理由」を記入して、上司の許可を得たら、周囲の人々に迷惑をかけることをくれぐれも詫び、皆様のおかげで休みを取らせてもらえることに心から感謝しているという気持ちを表すために、職場へのお土産は欠かせないという雰囲気がありました。

今とは違い、あの頃は風邪ごときで会社を休むなどもってのほかでした。少々の熱があろうと咳が出ようと、それしきのことでは会社は休まないものと考えられていました。「這ってでも行く」という言葉もありました。

私の勤務先では「社会人として体調管理に気を配ってさえいれば、年次有給休暇は3日からせいぜい5日程度しか取得しないで済むものだ」という考え方が一般的でした。休暇の余りは翌年へは持ち越すことができても翌々年には持ち越せないので、誰も年次有給休暇の日数など気にしていませんでした。

◇ ◇ ◇

有給休暇以外にも、代休という制度がありました。週末や祭日などに一日勤務したら代休が申請できるという制度です。イベントがあったりすると休日出勤となり、その度に代休取得の権利が増えていきましたが、この代休も気がつくとどんどん溜まっていきました。

入社したばかりの頃は、理不尽に感じていた制度でしたが、次第に「会社とは基本的には休まないもの」と洗脳されていきました。さらに「休み=悪」という概念も植えつけられ、有給休暇ときくと、なんとなく罪悪感、申し訳なさ、迷惑、などという言葉を連想するようになっていきました。

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私は3年4ヶ月勤務したのち、フランスに行きたいと思って退職しました、1985年7月のことでした。その際、最終出勤日のあとに有給休暇を付けて退職しようと考えていたのですが、周囲の人々、特に年長者の方々からそんなことはしない方がいいという「親身なアドバイス」をもらいました。

その理由は「せっかくここまで、年に3日の夏休みだけで、ほとんど休みも取らず、代休も消化せずに真面目にやってきたというのに、ここで有給休暇を取ってしまってはもったいない」というものでした。にわかには意味がわかりませんでしたが、わずか10日だか15日だかの有給休暇取得で、これまで忠実に働き続けてきた「経歴に傷がつく」と説得されました。

35年以上経った今も尚、私にはよく理解できない考え方ですが、これまで大変お世話になってきた上司や周囲の方々が、そこまで異口同音に「親身になって」アドバイスしてくれるのならと、釈然としない思いがありつつも、結局私は有給休暇は取らずに退職しました。みんな「良かった、良かった、それで良かった」と喜んでくれました。

退職後も長い間、どうして周囲の人々があのような「親身なアドバイス」をしてくれたのかを考え続けました。彼らの心の中を覗き見ることはできませんが、私なりの解釈は次の通りです。

「『会社というものは基本的に休まないもの』であることは言うまでもないが、それに加えて現代社会といえど『滅私奉公』『忠孝』という概念はまだまだ大切にされている。これまで真面目に働いてきたというのに、会社への御恩に対し、最後の最後に悪事(悪事=有給休暇取得)を働こうしている可愛い部下を思えばこそ、なんとしても止めてやらねばならぬ」という親心だったのではないかというものです。

「昭和」というか何というか、ほとんど義理と人情の「浪花節」の世界でした。

転職した頃

フランスから戻り、昭和62年(1987年)10月、私は欧州系の会社に転職しました。入社の時に人事部から年次有給休暇は20日間だということ、そして勤続7年目以降からは毎年1日ずつ増え、翌年に限り持ち越せるとの説明を受けました。20日というのは随分と大盤振る舞いだと思いました。

その私が最初に驚いたのは、12月に入ってしばらくしたら当時の外国人上司が、一ヶ月の休暇を取って帰国したことでした。さらに驚いたのは、12月も20日を過ぎると、社内の外国人の半分以上がいなくなり、日本人も四分の一くらいは姿を消しました。みんな長期休暇を取得していました。

年が明けて彼らが戻ってくると、口々にどれほど楽しい休日を過ごしたかを周りに語りました。郷里に帰って家族や幼馴染みと過ごした日々や、外国のダイビングスポットで見た透き通るような海の話などでした。周囲の人も、お勧めのホテルやレストランのアドバイスを求めました。

そこには「休み=悪」などという考え方はカケラもなく。有給休暇ときくと、みんなワクワク予定について語り始めるといった雰囲気がありました。戸惑っている私に「せっかく外資系の会社に転職してきたんだから、これまでとは考え方を切り替えていっぱい楽しんで!」などとアドバイスしてくれる先輩もいました。

◇ ◇ ◇

新卒で入った会社との相違点は、第一に罪悪感の有無でしたが、次に有給休暇を取得するのに理由は必要がないということでした。「休暇」を申請するのですから、「有給休暇申請」それだけで十分でした。

体調不良の場合の取扱いも違いました。以前の会社では、高熱などでやむを得ず休んだ場合には、出社後に有給休暇届を出しました。過去に遡っての休暇申請が可能でした。別の言い方をすれば、そのために有給休暇が存在していたようなものでした。

ところが転職先の会社では、病欠はあくまでも病欠扱いでした。過去に遡って有給休暇を申請することはできませんでした。スタッフの行き先ボードにも、有給休暇なのか、病気欠勤なのかはきちんと分けて表示されました。病欠でダイレクトにお給料が減額されるということはありませんでしたが、勤務評定の際、当然考慮の対象になりました。

顧客から連絡があった場合の対応は「〇〇は何日まで休暇です。本人が戻ってきてから折り返しご連絡させましょうか、それとも今すぐに代わりの者が対応致しましょうか」と顧客に選んでもらっていました。このようにことにならないように、重要な顧客には前もって自分の休暇の予定を事前に話しておく必要がありました。

休暇に出る時は、まだ携帯電話が普及していない頃は、自分のダイヤルインの番号に「私〇〇は、何月何日まで休暇です。お手数をおかけして恐縮ですが、お急ぎの方はXXまでご連絡下さい」と録音を残しました。前の会社では、休んでいることがバレないように、周囲が「出張中です」などとあれこれ画策したことを思うと対応がまるっきり違いました。

これは「休暇」をどのように捉えるかというそもそもの考え方の違いがありました。また外資系の会社では長期休暇を取得させる目的のひとつに、スタッフの不正防止という意味合いもあったようです。ひとりで仕事を抱え込むと癒着などの不正も起こり易いので、長期休暇期間には完全に仕事を手放し、別のスタッフがその業務を行うことで、不正を未然に防ぐ目的です。

このような対応の違いの背景には、洋の東西おける、労働そのものに対する根本的な考え方の違いもあるようでした。

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最初はおっかなびっくりだった私の休暇申請も、次第に慣れてきて、月曜日から金曜日までの五日間の有給休暇を申請して、それに前後の土日をくっつけて連続九日間の旅行に時々出かけるようになりました。九日あれば大抵のところには行くことができました。その内、二週間の連続休暇や、一度外国人スタッフ並みの三週間連続休暇を取ったこともありました。

罪悪感のない休暇は心おきなく楽しめて、旅で得た知見をみんなで分かち合い、さらにそれを元に同僚がより良い休暇を過ごすという好循環が起きました。誰もがみんな長期休暇を楽しめるので、誰かを羨むことなく、たくさんの情報が共有されていきました。

お土産も、周囲の皆様にご迷惑をおかけしたお詫びというよりは、今回は〇〇へ行ってきたから、興味のある人はいつでも聞きに来てという意味合いで、書類ロッカー上の一角に設けられたお土産お菓子コーナーに、〇〇さんのどこどこのお土産がずらりと並べられました。

人事異動で他の部署にも異動しましたが、どこも同じような雰囲気でした。

中間管理職の頃

時は流れ、元号は昭和から平成に変わり、1990年代の中頃になった頃、私は中間管理職となってひとつの部門を任されました。

部門長としての達成すべき目標のひとつに「スタッフ全員に年次有給休暇をすべて取得させること」というのがありました。翌年に持ち越せる分は除いて年間20日、勤続年数が長いスタッフは21日とか22日とか、とにかく有給休暇を完全に取得させるというのが、私自身の目標として掲げられていました。いわゆる会社の方針です。

日本の企業から転職してきたスタッフの多くは、かつての私のように休暇を取得することに罪悪感を持っていることが多く、全員が年間20日を使い切るようにするのは工夫が必要でした。

年次有給休暇20日というのは、有給五日間+前後の土日四日間の九連休を年に四回取得できることを意味しています。もちろん長い連休にしないで単発の休暇を細々と取っても良いのですが、とにかく全員がその休暇を取得しても業務に支障をきたすことがないように、人員配置や業務分担を考える必要がありました。

当然のことながら、前年度から持ち越した分を合わせて40日取得したいという希望が出れば、それを認めることになりました。私の部門には60名を超えるスタッフがいました。

全員取得の目標を達成するためには、年初のミーティングで担当グループごとの休暇表を提示して、原則として「休暇は一日に最大〇人までとし、この休暇表に記入した先着順とする、但しゴールデンウィークや飛び石連休、お盆などの人気期間については締切日を設けて、その日までに記入した人たちで抽選をして決める」というルールを作り、発表しました。

このルールは概ね好評でした。どうしても取得時期は年の後半に偏る傾向があるので、年初から呼びかけました。さらに放っておくとなかなか書き込む人が増えないので、毎月のミーティングで念を押し、6月末、8月末などに取得日数の少ないスタッフには個別に声をかけて取得を促しました。なぜなら年末になってから大勢のスタッフが同時に有給消化をするという事態を避けたかったからでした。

しかし、スタッフの年次有給休暇取得のためになによりも大切なのは、自分自身が率先して長期休暇を心おきなく取ることでした。私は大抵、2週間、1週間、バラで5日というように取りました。隗より始めよでした。

自分が単にスタッフの一員だった時にはあまり感じませんでしたが、有給休暇取得というのは、会社の方針が実に大切なのだと思いました。私の目標は、スタッフの協力のおかげで毎年達成し続けることができました。

長期休暇を取って旅行に行くばかりが休暇の過ごし方ではなく、語学の集中講座に参加したり、資格試験の勉強をしたり、ただゴロゴロと寝正月ならぬ寝休暇を過ごしたりと様々ですが、みんな長期休暇から戻ってくると本当にリフレッシュしたのがよくわかり、職場に新しい風が吹き込むようなところがありました。

労働基準法

年次有給休暇は、労働基準法の第三十九条に定められています。

第三十九条 使用者は、その雇入れの日から起算して六箇月間継続勤務し全労働日の八割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した十労働日の有給休暇を与えなければならない。

しかし厚生労働省のデータをもとに算出したデータを示す独立行政法人労働政策研究・研修機構のサイトによれば、1984年~2019年の日本における年次有給休暇の付与日数は概ね17、8日あるのに対し、取得日数は10日にも満たず、取得率は5割前後であることがわかります。

最近では働き方改革の一環として「年次有給休暇の時季指定義務」の法改正がありました。厚生労働省のサイトによれば、次のように書かれています。

労働基準法が改正され、平成31年(2019年)4月から、全ての企業において、年10日以上の年次有給休暇が付与される労働者に対して、年次有給休暇の日数のうち年5日については、使用者が時季を指定して取得させることが必要となりました。

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1982年に新卒で就職した頃に比べると、社会のあらゆる分野で時代は大きく変わったのを実感しますが、有給休暇取得状況に関してはあまり変化が感じられません。21世紀だというのにまだどこかから「浪花節」が聞こえてくるようです。


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