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超訳:ラジオ・フリー・アジア(RFA)の取材を受ける蔡霞氏【後編】(その1) 「中国の体制が変革されなければ、米中対立は深まるばかり」

※以下、【前編】(その3)からの続き

記者:「トゥキュディデスの罠」的とらえ方(アメリカと中国の対立を従来の覇権国家と新興の国家の避けられない激突として考える見方)についてどう思いますか?

蔡霞:それは米中関係の対立の本質をねじ曲げています。本質は、ボス対二番手ということではありません。実力から言って、中国は二番手ではありません。富国強民とか言いますが、民衆は豊かになっていませんし、強くもなっていません。ですから中国は虚勢をはっているだけなのです。GDPを見ても、数字はたいしたものですが、中身が伴っていません。経済構造や国民の豊かさや素養などはどうでしょうか? 両国がこんなにも激しく対立しているのは、両国の根本的な制度や理念が異なるからです。中国は集権的です。アメリカは自由民主主義です。これは、1930年代の宥和政策がヒトラーの対欧州拡張を許してしまい、しまいに世界全体の平和が脅かされ、第二次大戦に至ったことと似ています。いま習氏は、「人類運命共同体」を目標にしています。武漢や香港を見ればわかりますが、習氏の「人類運命共同体」では、自由民主主義的な文化・秩序や法律・制度は覆されます。これは「トゥキュディデスの罠」ではありません。ボスと二番手の争いではないのです。二つの異なる制度の対立なのです。

記者:外交部のトップ・王毅氏らの動きから、習氏がアメリカに対して態度を軟化させたのかと思われたのですが、ここにきて「五つの”ねばならない”」だとか「五つの”決して許さない”」といったスローガンも出しています。この裏にはどういったメッセージがあるとお考えですか?

蔡霞:中国共産党の本質に対する欧米諸国の認識は、ここ数年で徐々に深まってきました。とくに新型コロナウイルスのパンデミックを通して、中国共産党による隠蔽やウソや恫喝がありましたから、マフィア的な本質に気づきました。そこでどうすべきかという話になります。これまでは中国を重視していましたが、中国と中国共産党とは区別されるべきです。ところが中国政府は、わざと中国と中国共産党をまぜこぜにして14億の国民を党の力で従わせ、欧米諸国に対して「あんたら反中ってことは中国人民に反対してるんだな」ってアピールしています。ですが区別すればわかるように、中国共産党は中国人民を抑圧し、だまし、従わせているだけなのです。区別してしまえば、党の化けの皮がはがれますから、本質がみなの前にあらわになります。中国以外の世界の人々が中国共産党のやり方を知るだけではありません。世界の人々の見方が中国人民にも伝わり、みなが知るのです。このことを中国共産党はとくに恐れています。

記者:ということは、習氏は軟化してないと?

蔡霞:軟化してません。

記者:習氏は恐れてはいますか?

蔡霞:怖じ気づいています。だから狂ったように必死になっているのです。外国をだまそうとしましたがうまくいきませんでした。そこで今度は国内の人たち、党内の人たちの抑圧です。なぜか? 外部からの圧力が強まったときに、彼らを盾にとって自身の安定をはかりたいからです。これが実際のところです。軟化してません。

記者:習氏が「五つの”決して許さない”」といったスローガンを打ち出すなかで、これまでしばらく姿を見せていなかった王岐山氏が姿を見せました。王岐山氏は習氏が政敵を除く上での強力なパートナーでした。しかし今、二人の関係についてさまざまな憶測が流れています。これについてはいかがですか?

蔡霞:二人の関係は複雑です。王岐山氏の威信、経験、能力は習氏よりはるかに上です。誰もがそう思っていますから、党内ではみなが恐れ、従っていますが、憎まれ、避けられてもいます。独裁的集権の法則として、独裁者は自分の脅威となりうる者を残らず排除します。ですから、習氏はもう王氏と協力することはないでしょう。ですが、習氏が王氏を残しておくのはなぜでしょう? それは、王氏がいなければ、習氏では手に負えないことがあるからです。要するに、一方では王氏が必要であり、一方では王氏が自分に反抗しないようにしないといけない。これが習氏の心理です。

記者:では、今回の任志強氏の件で、王氏が任氏のために動かなかったのは、できなかったからでしょうか、それとも意図的に?

蔡霞:できなかったのです。意図的ではありません。王氏には気兼ねがありました。強く任氏の味方をすることはできませんでした。任氏の後ろ盾とみられてしまいますから。任氏と王氏は、実際にはそういう関係ではないと思います。任氏が目指しているのは、国全体を民主政治に向かわせることです。

記者:では任氏は制度を変えたいと考えているのですか? 任氏ら一部の紅二代は制度を変えようと言ったことは一度もない、ということも聞きますが。

蔡霞:制度を変えるという考えは、以前の任氏にはありませんでした。1989年の天安門事件のときには制度の問題が必ずしもわかっていませんでした。ですがここ数年の任氏は、民主政治を目指して問題を検討していました。立憲民主や自由民主への共感をどんどん深めていました。中国の改革と発展を推し進めようとしていたのは確かです。ですから任氏はこの点で、王岐山氏とは政治的に目指しているものが異なっています。

記者:任氏は紅二代の特権をなくすことだけでなく、制度を変えることも目指していたのですね?

蔡霞:私の周りの人たちは、制度を変えることを望んでいます。立憲民主や自由民主をほんとうに実現したいと考えています。ですから、集まって話すときには、周りの人たちの言葉の方が私よりも強烈なくらいです。

記者:任氏やあなたのように声を上げられる勇気のある人は非常に少ないようです。党内の大多数は「無力派」であるとおっしゃいました。江沢民や胡錦濤の時代に民間の反対勢力を徐々に削いでいった結果として、声を上げられる人たちが声を上げなくなったこと、これはある意味で党への支持であるという見方があります。この支持のせいで、トップに就任した習氏には制約がきかなくなり、改憲や香港国家安全維持法の満場一致での可決に至ったのだと。これについては?

蔡霞:この「無力派」、かつては「物言わぬ多数派」と呼ばれていました。つまり、上に従うだけの大多数です。彼らは「ビスケットサンド」みたいだと言われます。上と下からはさまれているからです。「箱ふいごの中のネズミ」とも言われます。どっちの穴から顔を出してもいじめられるからです。江沢民や胡錦濤の時代の抑圧は、現在ほどではありませんでした。ですが当時から、「無力派」はこれではいけないと思っていました。ですから、党内では一部に草の根の民主が生まれました。政治体制を根本的に変えることはできませんでしたが。庶民の生活にかかわる一部の具体的な問題については、庶民に参政権を与えました。これは草の根における前進でした。ですが、2008年か2009年ごろになると、また後退し始めました。なぜか? 前進を続けると最終的には権力構造全体を変える必要性につきあたるからです。体制側や中枢はこれを許しません。草の根の改革はうまくスタートしますが、それが進むと、越えてはならない壁につきあたるのです。つまり上級の権力にぶつかるのです。ということは、体制内で改革をやろうとしても、とことんはやれないのですから、とにかく権力構造全体をこわしてしまわないといけないのです。われわれが「変革」を主張している理由はここにあります。


・・・【後編】(その2)に続く


(下は、このnote記事をもとにした私のYoutube動画です)


※ ラジオ・フリー・アジアのYouTube動画(中国語)


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