見出し画像

駆け出しライターのころ

※2006年にブログに書いた「ライター業界の昔話」をサルベージ。それから十数年が経ち、状況は変わっている。変わった点は注記した。

「手書き時代」を知る最後の世代

私がライターになったのは、1986年のことである(フリーになったのは翌87年)。

最近、いろいろな場面で、「昔に比べたら仕事が楽になったなあ」としみじみ思う。

私がライターになった80年代後半にはインターネットなどまだなく、ちょっとした調べものにもいちいち図書館などに出向かなければならなかった。いまならネットで1分でわかることを調べるのに、1日がかりだったものだ。

パソコン通信の黎明期であったが、フリーになりたての私はパソコンどころかワープロすら持っていなかった。ファクスもなかったので、送信の必要が生じたときにはNTTの営業所まで出向いて有料ファクスで送った(コンビニのコインファクスも普及前だった)。

いや、ファクスで送ること自体、当時の私としては異例のことで、原稿は「電車に乗って編集部まで届けに行くもの」だった。しかも手書きの原稿を、である。

私は、手書きの原稿を編集部に届けに行った経験を持つ最後の世代だと思う。

手書きだと、あまり枚数がこなせない。シャープペンシルを握る手が痛くなってしびれてくるからである。「0.9㎜の芯を使うと手が疲れない」という話を先輩ライターから聞いて、それ以来0.9㎜のシャーペンしか使わなくなった。

昔より大変になった唯一のこと

CDや映画などの紹介記事を書く場合の写真素材も、当時はわざわざ取りに行ったものだ。それがいまでは、メールで画像を送信してもらったり、ダウンロードしたりして、かんたんに入手できる。

当時に比べていまのほうが大変になったことが、1つだけある。それは、取材先の文化人等の連絡先を調べることだ。

昔は、版元に電話して「作家の○○先生に取材申し込みをしたいのですが……」と言えば、気軽に教えてくれた。それが、「個人情報保護法」の施行以後、手続きを踏まなければ教えてくれなくなった(そのことが「悪い」と言っているわけではない。むしろ当然であろう)。

とはいえ、いまではたいていの文化人は自分のサイトやブログ、SNSアカウントを持っているから、そこからメールでコンタクトすればよいわけで、自宅の住所や電話番号がわからなくても不都合はない。

ライターの原稿料の相場は、オソロシイことに、私がフリーになったころからほとんど変わっていない。ゆえに、「卵と原稿料は物価の優等生」などと言われたりする。

しかし、昔を肌で知る私に言わせれば、相場が変わっていなくても、実質は値上げされてきたのである。OA機器の進化やネットの普及などで、ライターの仕事にかかる労力は確実に下がってきたのだから……。

※後注/最近はむしろ大幅に下がっている(!)。

「目の前で編集者に原稿を読まれる」体験

昔はあたりまえだったのに、いまはめったになくなったことといえば、もう一つ、「目の前で編集者に原稿を読まれること」がある。

昔は、仕上げたばかりの原稿を編集者に手渡しし、その感想を直接聞くまでが、一つの儀式のようなものだった。

編集者が原稿を読み終えるまでの、ちょっと手持ち無沙汰で、不安と自信がないまぜになった奇妙な気持ち――あれはあれで、ライター稼業の醍醐味の一つだったと思う。

いま思えば、あれは編集者にとっても力量が試される瞬間だったのだな。読み終えてすぐに自分の評価をライターにフィードバックしなくてはいけないのだから……。どんな感想を言うべきかじっくり考えてメールで返信するのではなく、編集長の意見を聞いてから返信するのでもないのだから。

いまでは原稿はメールで送るものなので、編集者からのヴィヴィッドな反応が見られなくて寂しい。
それどころか、一つの連載が始まってから終わるまで、担当編集者に一度も会わず、電話で話したことすらない(=メールのやりとりだけですべてが完結する)……なんてことも多い昨今である。

昔は、初めて仕事をする編集者とは、「ま、電話じゃなんですから、とりあえず一度お会いしませんか?」という話になったものだが……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?