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オススメ「断酒本」12選

私は2020年の年初から断酒を始めた。以来、意識してアルコール依存症関連本をときどき読むようにしている。断酒モチベーション継続のためであり、いわば“自分自身に向けた理論武装”である。
断酒を目指す人の参考になればと思い、その中からオススメ本を選んで紹介する。


1.斉藤章佳『しくじらない飲み方――酒に逃げずに生きるには』

アルコール依存症の治療で有名な「大森榎本クリニック」で精神保健福祉部長を務める著者が、豊富な経験を踏まえて綴った本。

アルコール依存症の最前線が手際よく概観できるし、仰天エピソードの連打で読み物としても面白い(「面白い」と言ったら不謹慎かもしれないが)。

“アル中業界”のホットな話題「ストロングゼロ問題」についての記述も、随所にある。たとえば――。

ここ数年で患者さんが飲むお酒の種類が変わってきた印象があります。患者さんの家に訪問に行くと、ストロング系のお酒がとにかく多い。

昔と違うのは、アルコール依存症が「仕事にも就かず、昼間からカップ酒を片手に泥酔して暴れたり、路上で眠りこけている人」だけの問題ではなくなった点だという。
昔ながらのアル中イメージが刷り込まれているから、仕事ができているうちは「俺はアル中ではない」と思ってしまう。そのこと自体が危険なのだと、著者は言うのだ。

プレアルコホリック(アルコール依存症予備軍)の増加、女性や若年層のアルコール問題の深刻化、高齢者の飲酒問題など、いまや「普通の人」が主役になりつつある、と……。

全国に1000万人以上いるとされている多量飲酒者、いわゆるプレアルコホリックのメインとなる層は、どんなに酒を飲んでいても朝になればきちんとネクタイを締めて出社するサラリーマン、「ネクタイアル中」と呼ばれる人たちです。


とくに、高齢者のアルコール問題の深刻さにぞっとさせられる。たとえば、次のような一節がある

以前、アルコール依存症と知りながら「酒を飲ませておいたほうが静かだから」という理由で好きなだけ飲ませて、失禁した状態でも放置していた家族がいました。これは合法的な殺人行為だと怖くなったことを覚えています。高齢者虐待のケースとして介入した時点では、本人は低栄養と脱水でやせ細り、命の危険を感じる状態でした。その隣で、家族は普通に日常を過ごしていたのです。

また、次のようなデータもちりばめられている。

毎日20g以上の純アルコールを摂取してきた中年男性は、老後の物忘れの進行が最大で6年早まるという研究結果が、2014年、米国神経学会の学会誌『ニューロロジー』に発表されました。


「20g以上の純アルコール」といってもピンとこないだろうが、これはストロングゼロ500ml缶(純アルコール量36g)を1本飲めば超えてしまう量だ。

また、「男性学」の研究者・田中俊之(大正大学准教授)と著者の対談による第6章「『男らしさ』と飲酒文化の深い関係」は読み応えがあり、独立した価値を持つ。

吾妻ひでおの『失踪日記2 アル中病棟』のワンカットを用いたカバーデザインもよい。

2.真先敏弘『酒乱になる人、ならない人』

タイトルはややミスリーディングで、酒乱がメインテーマというわけではない。酒乱になる・ならないに関わらず、断酒したい人が読むべき本である。

著者は、アルコール依存症の治療で有名な国立療養所久里浜病院の神経内科医長(当時。現在は帝京科学大学医療科学部医学教育センター教授)。
アルコール依存症について、治療と研究の最前線を知り尽くした人なのだ。

酒で酩酊するメカニズム、酒乱になるメカニズムなどについて、大脳生理学的、神経科学的に詳細に解説されていく。
また、遺伝子レベルで下戸や酒乱になりやすい人はどのような遺伝子型を持っているのかが、最新の研究を元に解説される。

断酒したい人がいちばん読むべきは、第8章「アルコールの脳への毒性」だ。「アルコール痴呆」などについてのくわしい解説に、ぞっとさせられる。

MRIで久里浜病院に入院するアルコール依存症の患者さんの脳を撮影してみますと実にほぼ100%の人に大脳の萎縮がみられます。

シドニー大学の神経病理学者であるクリルらはアルコール依存症患者の大脳の前頭葉大脳皮質における神経細胞が正常人に比べて20%くらい少ないことを報告しています。

アルツハイマー性痴呆による脳の萎縮が不可逆的であるのに対し、幸いにもアルコール性痴呆は可逆的(=元に戻り得る)だという。

大脳の萎縮は、その後長期的に断酒(少なくとも一年以上)すると、知能の回復に伴って少しずつ戻っていきます。

3.松本俊彦『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』

薬物依存の専門家としてメディアにもよく登場する著者(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長)が、精神科医としての歩みを振り返るエッセイ集である。

著者の文章は巧みで滋味深く、エッセイ集として一級の仕上がりだ。一編一編が高い完成度を持ち、通読すれば、上質の小説や映画にも似た感動の余韻が残るだろう。

薬物依存についても目からウロコの話が多い。
アルコール依存症に的を絞った内容というわけではないが、「断酒本」として読むこともできる。
薬物依存を知り尽くした著者が、《あらゆる薬物のなかでもっとも心身の健康被害が深刻なのは、まちがいなくアルコールである》と断言し、その危険性にくり返し警鐘を鳴らす内容だからである。

印象に残ったアルコール依存症がらみの一節を引いておく。

断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚せい剤とは比較にならない。(122ページ)

救命救急搬送された自殺未遂者の四割は体内からアルコールが検出され、また、自殺遺体の三割強からアルコールが検出されるという報告がある。いずれも飲酒酩酊下で衝動性が高まった状態で最期の行為におよんだ可能性を示唆する知見だ。こうしたアルコールと自殺との関係については、国内のアルコール消費量と自殺死亡率との経年変化との相関を調べる研究からも証明されている。(206ページ)

4.町田康『しらふで生きる――大酒飲みの決断』

人気作家・町田康が、自らの断酒体験をふまえて書いた「断酒エッセイ」である。

ただし、「小説家が断酒体験を綴ったエッセイ」と言われて、普通思い浮かべる内容の、はるか斜め上を行っている。

なにしろ、町田自身の断酒について具体的に書かれているのは、終盤部分のみなのだ。
残りは、“人が酒をやめることにどのような意味があるのか? また、断酒のためにはどのような認識の転換が必要になるのか?”などをめぐる考察が、延々と、かつ執拗に続けられていく。

それらの考察が、町田康ならではのグルーヴ感に満ちた文体で綴られるので、グルーヴに身をまかせるだけで笑えて楽しい。

だが、その笑いの底にある考察は、哲学的な深みを湛えている。
本書は、“人が酒を飲むこと/やめること”の意味をめぐる哲学書といってもよいものだ。

世の中には、主人公の男女が最初から最後までベッドの上にいる長編ポルノ小説があるのだそうだ。そのような小説を書けることも、ある種の才能だろう。
同様に、“酒をやめること“というワンテーマで一冊の本が書ける町田康も、やはり大変な才能だと思う。

実用書を企図した本ではあるまいが、断酒に向けて読者の背中を押す効果も大きい。

終盤で綴られる「禁酒の利得」には、強い説得力がある。著者はその「利得」を、次の4点にまとめている。

①ダイエット効果
②睡眠の質の向上
③経済的な利得
④脳髄のええ感じによる仕事の捗り

5.小田嶋隆『上を向いてアルコール――「元アル中」コラムニストの告白』

今年(2022年)惜しくも逝去した人気コラムニストの著者が、20年余の断酒経験を経て、「現役」のアルコール依存症患者だった時代を振り返った本。

言葉遊びの書名が、オダジマの初期作品(『仏の顔もサンドバッグ』など)を彷彿とさせて楽しい。

「語り下ろし」なので、コラムにおける「オダジマ節」の魅力は希薄だが、それでも随所にこの人ならではの言葉の冴えが見られる。

たとえば、酒をやめたことで生じた寂しさを、次のように表現するところ。

たとえばの話、私の人生に四つの部屋がある。とすると、二部屋くらいは酒の置いてある部屋だったわけで、そこに入らないことにした。だから二部屋で暮らしているような感じで、ある種人生が狭くなった。酒だけではなくて、酒に関わっていたものをまるごと自分の人生から排除するわけだから、それこそ胃を三分の二取ったとかいう人の人生と一緒で、いろいろなものが消えた気がしているのは確かです。

このような、「うまいこと言うもんだなー」と感心する箇所が随所にある。
 
語られるアル中体験は壮絶だが、ユーモアと明晰な知性でシュガーコーティングされているので、面白く読める。

「明晰な知性」をとくに感じるのは、アル中時代の自らの心の動きを、過剰な思い入れを排して冷静に分析しているところ。医療者ではなく患者自らが、“アル中心理”にこれほど鋭いメスを入れた書物は稀有ではないか。

対談もしたという吾妻ひでおの話が、何度も出てくる。吾妻の『アル中病棟』が、自らのアル中体験を娯楽マンガに昇華した傑作であったように、本書も著者のアル中体験を上質なエッセイ集に昇華した好著といえる。

章間のコラムと、最後に収録された短編(小説に近い体裁)は本人が書いているのだと思うが、ここがさすがの読み応えだ。

6.吾妻ひでお・西原理恵子『実録! あるこーる白書』

刊行当時、「日本で一番有名な生きているアル中マンガ家」だった(「赤塚不二夫の死去以降は」という含みがある)吾妻ひでおと、「日本で一番有名なアル中家族」西原理恵子が、アル中についてとことん語り合った対談集。

カバーに「協力:月乃光司」とあるように、実質的には月乃をまじえた鼎談集である。
月乃は20代でアル中になり、精神病棟に3回入院するなどしたあと、27歳からずっと断酒を続けているという詩人。
アルコール依存の専門家兼当事者として、月乃は全体の司会進行的役割も務めている。

タイトルとカバーイラストの印象から、軽いお笑い対談だと思い込む人も多いだろう。
まあ、この2人の組み合わせだから笑える箇所も多いのだが、基本的にはごくマジメな啓蒙書だ。

随所に的確な「注」が付され、アルコール依存症の基礎知識が身につく入門書としても優れた内容になっている。

本書では「アル中」という言葉があえて多用されているが、いまではこれは差別表現の一つなのだそうだ。ということは、吾妻の『失踪日記2 アル中病棟』はずいぶん思いきったタイトルなのだな。

本書は『アル中病棟』に先駆けて刊行されたものだが、これを読むと『アル中病棟』という作品がいっそう深く理解できる。

たとえば、『アル中病棟』は「不安だなー 大丈夫なのか? 俺……」という退院後の作者のつぶやきで幕が閉じられたが、あのように退院後に不安に襲われるのは普通だということが、本書を読むとわかる。「病気の大変さとかを理解できてるのであれば、将来に不安を感じて鬱っぽくなるくらいのほうが正常」(月乃の発言)なのだそうだ。

『アル中病棟』同様、アルコール依存症の恐ろしさが身にしみる本である。2冊を併読するとよいと思う。

印象に残った発言をメモ。

10年アル中だった人は、その後10年は二日酔いだっていいますからね。いわば、壮大な二日酔いに苛まれているわけですよ。

「お酒の一滴くらい良いでしょ」って言うのは、覚醒剤中毒者に「覚醒剤一滴くらいなら良いでしょ」って言うのと同じなんですよ。それで火がついてダメになっちゃうんでね。

せっかくやめたって家族が誰も待っていない。自分が断酒しても喜んでくれる人間がひとりもいなかったら、絶対にまた飲むよね。

以上、すべて西原の発言。本書では総じて西原のほうが雄弁で、その言葉は重い。
元夫の故・鴨志田穣のみならず、彼女の実父もアルコール依存症であったという。

7.倉持穣『今日から減酒! ――お酒を減らすと人生がみえてくる』

アルコール依存症専門の心療内科として知られる「さくらの木クリニック秋葉原」の院長が書いた、減酒指南本である。

断酒ではなく減酒のススメなのは、いきなり断酒ではハードルが高いという配慮からなのだろう。

ただし、本書でも後半には、減酒から一歩進んで断酒に挑戦する人のための章が用意されている。

私自身は完全断酒継続中なので、本書の減酒アドバイスは無縁の話で、ナナメに読み飛ばしてしまった。
私見だが、アルコール依存症にまで進んだ人にとっては減酒などというアプローチは中途半端で、うまくいかないことが多いような気がする。

とはいえ、本書にもアルコール依存症の恐ろしさと減酒・断酒がもたらすメリットは詳細に解説されているので、断酒本として読むことも可能である。

後半の体験談は不要だと思った。

8.衿野未矢『今日も飲み続けた私――プチ・アルコール依存症からの生還』

2008年に出た本。
著者の衿野未矢(えりの・みや)さんは著作も多く、私と同世代のライターの中では売れっ子というイメージがあった。
本書を読むにあたって、「そういえば、最近名前を見ないな」と思って検索し、2016年に亡くなられたことを知って驚いた。

本書で明かされているように、ややアルコール依存症の気があったようだが、死因は飲酒習慣とは関係ない病気(膠原病の一種「全身性強皮症」)のようだ。

本書は、自身の経験を随所にまじえながらも、アルコール依存症患者や治療者など、関係者多数に取材した、“ルポ+エッセイ”のような内容だ。

女性のアルコール依存のみに話を絞っているわけではないが、女性のケースが多く取り上げられているのが特徴だ。

「プチ・アルコール依存症からの生還」という副題が示すように、命の危険に直結する本格的なアルコール依存症ではなく、“そこまではいかないけど、酒がやめられない”ケースにウェートが置かれている。

ゆえに、断酒ではなく適度な飲酒のコツを追求する側面が強い内容だ。
次のような記述が新鮮だった。

生理学的にも心理学的にも、女性のほうがアルコール依存症になりやすいのは実証されている。大量飲酒を始めてから女性は男性の三分の一から半分の期間で、アルコール依存症におちいると言われている。

実は男性は、アルコールならアルコール、薬物なら薬物へと一直線に突き進むが、女性は複数の対象に依存することが多いというのは、古くから指摘されてきたことである。(中略)複数の対象へと依存している状態を「クロス・アディクション」と呼ぶ。

9.吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』

マンガ作品だが、「オススメ『断酒本』」というくくりでこれを紹介しないわけにはいくまい。言わずと知れた大傑作にして、30万部のベストセラーとなった『失踪日記』(2005年)の続編だ。

正編は、①失踪後のホームレス生活、②配管工事の肉体労働をしていた時期、③その後マンガ家として一度復活するも、アル中になって強制入院させられた日々――という3つのパートに分かれていた。
この続編はタイトルどおり、③の入院生活のつづき(退院まで)が描かれている。

330ページを超えるボリューム。正編より130ページ以上も多い。それだけのページ数でアル中病棟暮らしの後半2ヶ月間が描かれているから、ディテールはすこぶる濃密だ。

正編は短いページ数の中に印象的エピソードがギュッと詰め込まれていたから、密度とスピード感がすごかった(逆に言えば「駆け足感」もあった)。対して、本書はゆったり、じっくりと描かれている。

比較すべきはむしろ、花輪和一の『刑務所の中』だろうか。『刑務所の中』が作者自身の獄中体験を描いたものであるのに対して、本作は作者自身のアル中病棟への入院という体験を描いている、という意味で……。

優れたマンガ家が特異な実体験をマンガ化すれば、観察眼や描写力、デフォルメの巧みさ、キャラの立て方の技術によって、必然的に面白いマンガになるのだ。アルコール依存症を描いたマンガで、本作を超えるものはおそらく今後出ないだろう。

アルコール依存症を描いたマンガとしては、すでに『アル中ワンダーランド』(まんきつ)や、『酔うと化け物になる父がつらい』(菊池真理子)などがある。
それぞれよい作品ではあるが、本作には及ばない(作品のタイプも違うから単純に比較できないが)。

アル中の恐ろしさが身にしみるマンガでもある。
たとえば、アル中真っ只中に見た幻覚の恐怖を表現する言葉――「恐ろしいと頭で考える自分の声すらも恐ろしいんだよね」は、実体験からしか生まれ得ないリアルな表現で、ゾッとする。

また、断酒1年目に突如襲ってきた強烈な飲酒欲求に、「ほっぺたの内側の肉噛んで血流して耐えた」なんて一節も、これまた恐ろしい。

『失踪日記』では悲惨な体験が突き抜けた笑いに昇華されていたが、本作は総じて笑いの要素が抑えぎみだ。

退院後の「不安だなー 大丈夫なのか? 俺……」という作者のつぶやきで幕が閉じられるのだが、それ以外にも、心に暗雲が立ち込めるような場面が随所にある。いかな吾妻ひでおでも、アル中病棟への入院という体験をそっくり笑いに転化することはできなかったということか。
ただ、全編に漂う暗さと寂寥感、ペーソスが、捨てがたい味わいになっている。

正編よりも絵のクオリティにこだわった作品でもある。
たとえば、コマは総じて正編よりも大きく、背景などもていねいに描き込まれている。「あじま」キャラは正編の二頭身から三頭身へと変わり、少しだけリアル寄りになっている。
正編にはまったくなかった1ページ1コマの大ゴマもくり返し登場し、それらは絵として強い印象を残す。

10.中島らも『今夜、すべてのバーで』

吉川英治文学新人賞に輝いた、中島らもの代表作。作者自身の経験を踏まえた「アル中小説」である。

小説として面白いのは言わずもがなだが、それ以上に、作者の分身である主人公が対話や独白の形でくり広げる、アルコール依存症についての考察が素晴らしい。名言と卓見の連打である。
いくつか例を引用する。

 現役のアル中であるおれに言わせれば、アル中になる、ならないには次の大前提がある。
 つまり、アルコールが「必要か」「不必要か」ということだ。よく、「酒の好きな人がアル中になる」といった見方をする人がいるが、これは当を得ていない。アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。
 酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合いを良しとする人にアル中は少い。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。
 アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。

 退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。あるいは創造的な仕事にもはいり込みやすい。創造的な仕事では、時間の流れの中に「序破急」、あるいは「起承転結」といった、質の違い、密度の違いがある。イマジネイションの到来を七転八倒しながら待ち焦がれているとき、アルコールは、援助を申し出る才能あふれる友人のようなふりをして近づいてくる。

おそらくは百年たってから今の日本の法律や現状を研究する人は、理不尽さに首をひねるにちがいない。タバコや酒を巨大メディアをあげて広告する一方で、マリファナを禁じて、年間大量の人間を犯罪者に仕立てている。昔のヨーロッパではコーヒーを禁制にして、違反者をギロチンにかけた奴がいたが、それに似たナンセンスだ。まあ、いつの時代でも国家や権力のやることはデタラメだ。

 アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保障が行き届いていることがかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピュータの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸びと停年の落差も膨大な「空白の時間」を生む。
 「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。
 要因は完璧なまでにそろっている。

「アル中のことがわかるときってのは、ほかの中毒のすべてがわかるときですよ。薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の〝依存〟ってことの本質がわからないと、アル中はわからない。わかるのは付随的なことばかりでしょう。〝依存〟ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ」

治療者側ではなく、患者側からの考察が巧みに言語化された稀有な例として、小田嶋隆『上を向いてアルコール』と双璧だ。

11.葉石かおり『名医が教える飲酒の科学  一生健康で飲むための必修講義』

「一生健康で飲むための必修講義」という副題のとおり、断酒を目指す本ではなく、なるべく健康で飲み続けるための本だ。

そもそも、著者の葉石かおり氏は「酒ジャーナリスト」で、一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーションの理事長である。いわば「プロの酒飲み」なのだ。

それでも、本書は飲酒が健康に及ぼすデメリットが様々な角度から解説されるので、断酒モチベ・アップにも役立つ。

健康・医療情報サイト「日経Gooday」に寄せた記事が、本書のベースになっている。医師など14人の専門家への取材に基づいているので、エビデンス、データがしっかりしている。

飲酒が体に悪いことが詳しく解説される内容なのに、著者は“いかに健康を損なわず飲み続けるか”を追求している。その様子がなんだかアクロバティックで、いとをかし。

たとえば、見出しを拾ってみると、「胃酸逆流を悪化させないつまみ選び」「乳がんリスクを下げる飲み方・つまみ」という具合である。
読んでいて、「そこまで健康に気をつかうくらいなら断酒すればいいのに……」と思わなくもないが、元酒飲みとして、気持ちはよくわかる。

12.カール・エリック・フィッシャー(小田嶋由美子訳)『依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』

自らも重度のアルコール依存症に苦しみ、そこから回復した米国の精神科医が綴る、薬物依存を中心とした“依存症の人類史”である。

豊富な専門知識と臨床経験、当事者性を兼備した、稀有な一冊だ。

著者が10年を費やして調べたという依存症対策の歴史(≒薬物規制史)が辿られていく。
その合間に、自らのアルコール依存症との戦いを振り返る記述が挿入される。依存症の人類史であると同時に、切実な個人史でもあるのだ。

強烈なエピソードの連打で、単純に読み物としても面白い。

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