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それでも介護を続ける理由


介護士5年目。
介護老人保健施設で働いているわたし。
日々、感じることが多すぎる毎日で正直、体も心も疲れてしまう時がある。それでも、なんで介護士を続けるのか。理由と、わたしの考える介護について書きたいと思います。


かるく自己紹介(経験等)

ゆうみです🌷
24歳で、介護福祉士5年目です

介護老人保健施設で働いています。老健では介護を提供しながらリハビリをして自宅復帰を目指す施設です。わたしは4年間、認知専門棟という、重度の認知症の方が入所されているところで働いていて、今現在は一般棟で働いています。


介護士の1日(日勤)


日勤と言ってもわたしの働いている施設では日勤だけで4パターンあります。

早番 7時から16時
日勤 9時から18時
D勤 10時から19時
遅番 11時半から20時半

わたしは主に早番と遅番が多く、そのほかは夜勤という感じで働いています。

遅番での業務はこんな感じです↓

昼食介助
口腔ケア介助
服薬介助
臥床(車椅子からベッドへの介助)
入浴介助(13時から16時)又はオムツ交換

〜1時間の休憩〜

服薬介助
夕食介助
トイレ介助
口腔ケアの片付け、義歯の消毒
コール対応
眠前薬の介助
寝ない方の見守り

基本すべての仕事をコール対応しながら、転倒や転落がないよう見守りをしながら行なっています。座る時間は食事介助ぐらいで、ずっと動きっぱなし。そして力仕事だらけです。常に腰がいたし足もぱんぱんに浮腫みます。この時期は暑いのにクーラーは利用者さんからクレームがくることが多くほぼつけずに換気だけ。汗だらだらで仕事をしています。

私が心も身体も終わると思った瞬間


これはたくさんあるのですが、いちばん辛かった出来事をお話しします。

・介護士2年目の夜勤中

認知専門棟で働いていた時なのですが、夜勤中で相方が仮眠に行っている時間。1人で仕事をしている時間に、永遠にセンサーが鳴り止まない日がありました。その日は自分の受け持ちの利用者さんのケアプランの評価が溜まっていて自分の仕事も終わらず、だいぶ焦っていました。その日、センサーが重なりすぎてなかなか行けなかった2人の利用者さんが転倒してしまいました。ひとりの利用者さんには顔に内出血ができてしまい、夜勤明けの朝家族に連絡をすると、電話でものすごい勢いで怒鳴られました。「ちゃんと仕事をしろ!」と。今でもあの声、感じた恐怖。覚えています。

「ちゃんと仕事をしろ!」と怒鳴られた瞬間。なにかがプチンと切れた気がしました。無心でひたすら、謝りました。

必死に1人でコールに走ってトイレ介助や、よく分からないことを言っている利用者さんの対応をして、何度言っても分かってもらえず、寝てもらえず、しまいにはコールに間に合わなくて転倒してしまい、家族にはちゃんと仕事をしろと怒られる。


なんかもう、

人間って怖い。認知症って怖い。


そう思いました。

わたしも利用者さんの言っていることがわからないし私の言っていることもきっと何も分からなくて、そういう病気だからと言われたら仕方がないけれど、それが仕方ないのなら、夜間1人で対応し切れず転倒したこと、なんでそんなに怒るのか。
家族からしたら、そりゃあそうかとは思いつつも、普段暴言や暴力、セクハラをされても認知だからとこちらは割り切っている訳だから、家族の方ももう少し介護の現場を理解していただきたい、そんなことを考えてしまって思ってしまって、そんなことを思ってしまっている自分は利用者目線になれていない、そして大事な利用者さんが怪我をしてしまいそのご家族のことを考えられていない。そんな風に自分で感じてしまい介護士に向いてないのではないかと自信を無くしました。夜勤明けは心も身体も疲れ切っていて、特にその日は走り回りすぎて体が痛かった。必死に身体にむち打って終えた夜勤。帰ってからなんの感情もなく何もできず動けず灰のように、死んだように眠りました。

辞めたいというか、もうよく分からなくなっていた。利用者もその家族も何にも守られない介護という仕事も。

そのほかにも、点滴を抜いて血まみれになっている利用者さんを発見した時や、おむつをいじって外して、便を壁や部屋中に塗りたくっている現場を見つけてしまった時。責めることはできないので、何にも言わないですが、フツフツと感情が溢れでそうになるのを必死で押し殺し、現場を受け止め、静かに私自身のなにかが終わる音がします。

そんな毎日で、それでも介護をなんで続けているのか。なんで毎日そんな地獄のような現場に出勤しているのか。自分の気持ちを整理するためにも、この話題で今回noteを書こうときめました。


それでも介護を続けていく理由


たくさんの辛いことがある中、なんで介護を続けられているか。それはやっぱり、

“利用者さんのことがすきだから”

だと思います。

何を言われても、なにをされても、ほぼ毎日顔を合わせて挨拶をして、色んな話をする。きっともう私とそんな話をしたことを忘れているかもしれない。そう思ってもわたしが全部覚えているし、その人のことを覚えていたいそう思います。
わたしに数少ない「ありがとう」を言ってくれたことや、笑顔を見せてくれたこと。その人の本質のようなものが見えた瞬間、それを見れたことが知れたことが嬉しくてその人のことがまたもっと大好きになる。

きっと今まで沢山のことを耐えて頑張ってきた人たちだから、何を言ってもいい、何をしてもいいそういう訳ではないけれど、それには全部理由があるってわたしは信じている

今日も、いつも目を合わせるとバカ!という利用者さん。みんなからよく思われていないけれど、私はなぜか2ヶ月前初めて会った時から好きだなって思った。なんとなく、いつも気になり自分から話しかけに言ってしまう。ある時、その利用者さんにこっそりと

「本当は馬鹿っていいたくない、?」

そう聞いた。
そしたら急に泣き出して、「ごめんね」と。

わたしもその瞬間涙が出てきてしまった。

その利用者さんは片手を切断されていて、そのことを色んな人から馬鹿にされたりしたのかな、離婚歴があることも知っていたから、きっと大切な人にもなにか傷つけられるようなことを言われたのかな、そんな想像を勝手に1人でして苦しくなった。
だからそれがずっと心にあって認知になってからもずっと戦っているのかなって。わたしは勝手にそう思いました。本当かどうかは分からないけれど、わたしの想像だけれど。きっと、馬鹿っていいたくて言う人はいないと思うから。自分がそう信じたいだけなのかもしれないし、私自身の祈りのようなものなのかも、そんなことを今日、夜勤明け。考えていました。

私はなんだかんだ介護が好きなんだと思います。プライベートや、仕事の人間関係はめちゃくちゃ苦手で人間不信と自負している癖に、なぜか利用者さんのことは信じたいし尊重したい、そう思うんです。


利用者さん。

私のことをよく見てくれている方が何人もいて、夜勤明けトイレ介助をしながら利用者さんと話していると、「つかれてる?」と心配してくれたり。

いつも1人でいる物静かな利用者さんが、わたしのことだけは名前を覚えてくれていたり、最近は話してくれることが増えてわたしはいつもその人と話すのを楽しみにしていること。

そんな些細なことだけど、わたしにはすごく大きくて介護を続ける原動力になっているんだと思います


介護のブラックなところや、人手不足でとか、あんまり他の人がやりたがらない仕事かも知れないけれど、よくない情報ばかり世間には流れていて、そう思われてしまうのかも知れないけれど、利用者さんと関わっていくと感じる愛おしさだったり、ありがとうの気持ちだったり、長生きしてねと心から思ったりすること。きっと素敵な仕事だって信じているし、もっと良さが伝わればなと思っています。


でも、現場で働いているからこそ綺麗事だけではないし人間だから憎しみを抱くこともあって、毎回地獄と向き合って凄まじい現場や報われないことに絶望する。

それでも、

わたしが、介護を続ける理由。

それは、”利用者さんのことが大好きだから“



ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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