中村文則『銃』感想

(ネタバレ注意)

中村文則『銃』は私が最も好きな小説です。

物語は、主人公が偶然見つけた死体の傍らに落ちていた銃を拾ってしまうことから幕を開けます。
初めは会話をするように銃を磨くだけだった主人公ですが、日を追う事に銃の存在感に魅せられていき、常に銃を持ち歩くようになります。
注目したいのは、主人公は自殺願望や殺意を思い悩む程には持っていなかったという点です。つまり、主人公は象徴としての銃にではなく「私は銃を持っている、それを使って日常を簡単に覆すことができる」という自意識に魅せられているのです。

中村文則はデビュー作の『銃』、第二作目の『遮光』で共に「異質なものを大切に持ち歩く」という構図の物語を描いています。(『遮光』では亡くなった恋人の小指でした。)
人の内面にある暗くて異質な部分を物体化させることで、その感覚を平易かつむきだしの感じで描写しているのです。

主人公は銃を持ち歩くなかで、次第に「私はいつか銃を撃つ」という確信を持つようになっていき、野良猫を撃ち殺します。
そして、衝動がエスカレートしていく主人公は万全の準備を重ね、人も撃とうとするのですが撃つことができませんでした。このシーンの心理描写が実に素晴らしく、数頁に渡って「なぜ撃てなかったのか」生々しくリアルに描かれます。(ぜひ読んでほしいです。)
つまるところ、主人公は局面の理性で人を殺すという自分の存在を揺るがすような恐怖心と、これまでの人生への愛おしさという激しい欲求を感じ、あくまで私は「銃を使っているのではなく銃に使われているのだ」と気がつき銃を放り投げたのです。
多くの物語であれば、きっとここで幕を閉じるはずです。しかし『銃』は違うのです。

自らの意思で発砲しなかったことで、主人公の生活には現実感が戻ってきました。主人公は自分を取り巻く生活の枠の中で、死ぬまで生きることを決意します。
そこで、主人公は銃を池か川に沈めようと革の袋にしまい、電車の一番隅の席に座ります。主人公がぼんやりと考えごとをしていると、隣に五十代くらいの汚い格好をした男が座り大きく足を開いてきます。その男は携帯電話で大声で話し、クチャクチャとガムを噛む音が耳につきます。主人公の視線に気がついても鼻で笑い、相手にしようとしませんでした。
主人公は相手の携帯電話を取り上げ、放り投げます。男と口論になり、その弾みで主人公は銃を発砲してしまうのです。
悲鳴が飛び交う車内で、主人公は「これは違う」「これは、なしだ」と呟きながら、一刻も早くこの状況を終わらせようと自らの頭を撃つための弾丸を込めようとするのですが、手が震えて上手く入ってくれません。「おかしいな」「おかしいな」「もう少しなんだけどな」と繰り返す主人公の台詞で物語は幕を閉じます。

主人公はまったく銃を撃つ必要はなかったし、そのことを主人公自身も痛いほど分かっていたはずです。しかし、撃ってしまったのです。
何頁にも渡る丁寧な撃てなかった描写に相対するように、このシーンの描写は実にシンプルです。シンプルであるのに、丁寧に練り上げられた主人公の人間性よりも、一時の感情に任せた衝動の描写がずっと人間味を感じるのです。
決して行動には移しませんが、頭の中で「もし〜したら」と良くないことを考える時があります。中村文則は、その一線を踏みとどまれなかった人を描くのが実に上手い作家です。私は、彼らと自分に明確な違いを見つけることができないのです。

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