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嫌いな人間のことばかり考えてやるほど人生は暇じゃない

インスタグラムの「いいね」通知が来た。
アプリを開くと、数年前に再会した中学の同級生だった。その時会ったのも5〜6年ぶりだったが、それ以来会っていなかった。

2人でいざ会って話をすれば楽しく過ごせるが、昔からどこか苦手な子だった。
仲のいい友達が全員その子に取られてしまう気がして嫌だった。

違う中学の同級生も交えて3人で遊んだ時には「本当に○○○は可愛い!アイドル!中学の時からずっと可愛い!」「旦那さんと円満に過ごすコツとかあるの!?」などと、その子が恐縮するほど褒めちぎっていた。
まるで私の存在など無かったかのように、血眼になってその子に接していたことがやけに引っかかってしまい、嫌な気分だった。

可愛らしく、幸せに過ごす友達への、マウントのように感じたのだ。

その子だって、いつでも可愛らしくいたいわけではないと思う。ご主人に対して物申したいことだってあったと思う。
それをさせない勢いで詰め寄るのは、見ていて気持ちが鬱屈になるものだった。

私はその子が本当に優しくて友達思いのいい子で、大好きだから、この猛攻撃から守りたいと思った。
3人で遊ぶことはこれっきり無かった。




「なんとなく嫌いな人」が増えた。

学生の頃のように無理をして付き合う必要がなくなった途端、「嫌い」の数があれよあれよと増えてしまったのだ。

嫌いな人ほど、エピソードが溢れ出てくる。
褒めることより蔑むことの方がエネルギーを使わないから気軽なのだと、Twitter(Xとは呼び慣れない)で見たような気がするが、本当にそうなのだ。


嫌いは嫌いで構わないと思う。
許せない相手は無理に許さなくて良いと思う。

ただもう少しだけ、私はエネルギーを使って、好きな人に好きだと言いたい。
大切な人を少しでも幸せにすることに、人生を使いたいのだと、最近しみじみ思う。

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