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あの子は星になったのだろうか

命は借り物であり、いつか借用期間が終わって返さなければならないものだと誰かが言った。

だとすれば、おそらくそれは私一人に限った話ではない。その他大勢の命もいつか誰かに返さなければならない借り物だ。

どんなに貯めても死んだらお金は持っていけない。どんな相手とも、いつかどこかで交わらなくなる。

今借りているものは、永遠に自分のものではない。全て返さなければならない。

本当にそうなのだとしたら、今生きている全てが自分のものではないのだと、無意味のようにも感じる。
命は死を持って完結し、どんなに中途半端であっても続きが書かれることはない。有無を言わさず取り上げられるような感覚だ。
それは人によってはある種の救いであり、ある種の絶望でもある。

果たして生きるとは一体何なのか、三日三晩悩みたい気持ちに駆られていた。


そんなことをずっと考えていたのだが、なんだか最近は「借りたものを大切に使いたい」と思うようになった。


大切に使って、誰かに返す時に「楽しかった、嬉しかった、ありがとう」の気持ちを持って、綺麗にして返したら、もしかしたらどこかの誰かがまた貸してくれるのかもしれない。

そうしたら、また会えるかもしれない。

遅かれ早かれ終わりが来ることを、認める。
受け入れられるようになるまで向き合う。
目の前にある大事なものを抱きしめていたい。



そんなことをふと感じた今日、6年前に自ら死を選んだ同級生の命日だったことを今更思い出したのだった。


40人近くいた大学の同じ学科の同級生だった。一般的に友達と呼べるほど、一緒に長い時間を過ごした相手ではおそらくないと思う。


でも、私はあの子ともっと仲良くなりたかった。
学科の中では珍しくバンドが好きで、とりわけ激しい音楽が好きな子だった。あの子が教えてくれたバンドは今でも好きだ。

もっと一緒に、音楽を好きでいたかった。

そう思える相手に会えて、私は確かに幸せだったのだ。


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