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空気を書く book review

『ニューヨーク145番通り』
ウォルター・ディーン・マイヤーズ・作
金原瑞人・宮坂宏美・訳
小峰書店

 ロマン主義の画家ターナーの作品が、特別好きなわけではないけれど、ふと見入ってしまう絵がいくつかある。独創性や強烈な色彩、構図と言ったモノではない。心に何かとまる、そんな印象に近い。「ターナーは空気を描く画家」だと友人が言っていた。なるほどと思う。彼の絵は確かに空気を感じるのだ。

 この本も似ている。ハーレム145番通りに住む人々の日常や、ちょっとした事件が短編形式で書かれている。人がいればどこにでもある物語だと思う反面、その場所で、その人でなければ成り立たない物語もある。

 生きているうちに、自分の葬式をやってみるおじさんの話かあった。棺桶に落ちてくる土の音が聞きたいなんて、それだけで哲学だと思えてしまう。

 ラブストーリーもあった。詩を書く授業で、クラスの男の子に向けて愛の詩を書き朗読する。もちろんこれだけではラブストーリーにはならないけれど、この真摯さにドキッとして、背筋が伸びてしまった。

 いきなり不運や幸運が連続する話もある。ギャングに逆恨みされ狙われる少年の話や、なんだかシンと胸に響くクリスマスの物語もあった。人は誰もがそれぞれの物語を持っている。でも、それを知る人は少ないのかもしれないと思ったりもする。

 私は二十代の大半を、この作品の舞台になったマンハッタンで過ごした。この街は地区によって街並みも人も生活も、空気さえもがはっきりと違った。

 145番通りは地下鉄で通過したことはあっても、その駅に降りたことはない。私の記憶にあるハーレムは、マンハッタン島をまわるフェリーから見た高層住宅の群だった。「あれがハーレム」と、すぐにわかる。とにかく暗かった。

 だからかもしれないが、この本の明るさはちょっと意外だったし、これならハーレムでなくてもいいなとも思った。数ヶ月だけ私の暮らしたウエストサイドにも似ている。

 あの頃、まだ明るい夏の夕暮れ、どのアパートの前にも夕涼みをしている人たちがいた。ラジカセのボリュームを上げて、踊っているティーンエイジャーたち。ファイアエスケイプ(非常階段)の踊り場にすわって、やることのない私は、温くなったビールを飲みながら毎日のように通りを見ていた。

 いきなり鉄の階段が揺れる。上の階の男の子がお皿を持って降りてくる。山盛りのイエローライスと山盛りのチキンウイング。「食べる?食べていいよ」と、私のとなりにすわる。澄んだ黒い瞳と褐色の細い指。夕暮れの生温い空気と香辛料の匂いがした。
 そこに、人がいる。
 あの街の空気は、そこで暮らす人たちがつくりだすものなのだと、今さらのように思ったりする。人の生活の確かさや尊さを知りながらも、その大半が見えないような、あわただしい日常で人は生きている。

 あの街の空気を感じた、そんな一冊だった。

同人誌『季節風』掲載  2023.3加筆


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