『ケ・セラ・セラ』が流れた
ラジオで、懐かしい曲が流れた。
今朝の一曲はリスナーからのリクエスト。81歳の女性からだった。
二日後は彼女の誕生日で、そして今日は、82歳の友達の誕生日。
ドリス・デイの『ケ・セラ・セラ』は、友達に贈られた曲だった。
食器を洗う手を止めて、思わず曲に聞き入った。
ケ・セラ・セラは、母の口癖だった。些細なことを気にする私に、かけたくれた言葉。
「私はね、ケ・セラ・セラで生きてるの」
「人生は思うようになんてならないから」
そう話しながら、彼女は夏の朝、ホースで勢いよく鉢植えに水をかけていた。水飛沫が開いた掃き出し窓から室内に飛んで、畳が濡れていた。
ぜんぜん気にしない。すぐに乾くからと。
ケ・セラ・セラの言葉で、私は彼女を思い出した。曲じゃない。でも音楽は不思議な力を持っている。なんだかこの曲を一緒に聴いたような気がする。あの暑い夏の朝、この曲が流れたような気がするのだ。
記憶は書き替えられていくのかもしれないと、ふと想ったりする。
曲はすぐに終わってしまった。
こんなに短い曲だったのかと、あらためて気づく。
もう少し聞いていたいのに、残念‥‥
今朝は快晴で、遠くの空まで青が広がる。
朝の支度を終えて、二杯目のコーヒーを淹れた。
アレクサにリクエストして、本日二度目の『ケ・セラ・セラ』を聴く。
やっぱり、短い曲だった。
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