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犬のことを考えている  book review

『チェスターとガス』
ケイミー・マガヴァン・作
西本かおる・訳
小峰書店

 犬は飼い主を選べない。でも、もし犬が飼い主を、パートナーを選べるとしたら?
 この物語を読んでから、私は犬のことが気になるようになった。チェスターは、私が今まで知っていた犬と違うように感じたせいかもしれない。犬は飼主に、パートナーにこれほど尽くそうとするものだろうか?

 いや、違う。そもそも私は犬の飼主になったことはない。幼少期から犬は側にいたけれど、飼主は父だった。彼らはいつも父を待っていたし、明らかに態度が他者と違った。
 当時のことに想いを馳せると、思いあたることだらけで、今さら気付いて愕然とした。父と犬の間には、確かな信頼関係があったし、彼は犬という生き物に敬意を持っていた。一方、私はと言えば、犬のことなど何も知らなかったのだ。

 チェスターは補助犬育成センターで産まれたチョコレート色のラブラドールレトリバーだ。訓練士のペニーから「こんな頭のいい子は初めてだ!」と言われれるほど賢い。ただ、どんな犬にも弱点があり、彼の場合は音だった。大きな音がするとパニックになり、なりふり構わず手近な物の下にもぐりこむ。

 チェスターは補助犬になれなかった。面接で、誰も彼を選ばなかったからだ。原因は訓練士のペニーにあったと思う。彼女は不器用でどこか的外れだ。不必要なことを力説したり、テレビに出るためチェスターに文字を教えようとしたりする。彼はセンター保有の犬で、彼女は飼主ではない。
 犬が好き。それは一体、どういう意味だろう? 誰が決めるのか? 訓練士のペニーは、自ら犬が好きだと言う。そうだろうか? 以前なら私も迷わず好きと言えたが、今は違う。その意味を、考えてしまうのだ。

 チェスターはペットとしてある一家に引き取られる。自閉症の男の子、ガスのパートナーとして。
 ガスの両親、サラとマルクは息子とコミュニュケーションが取れず悩んでいる。ガスは人が好きではなさそうだし、同じ子どもは苦手だ。もしかしたら犬なら好きになってくれるかもしれない。

 犬は人を理解しているのに、人は犬を理解していない。それでも犬は人に寄り添って、そばにいてくれる。人間の身勝手さが見え隠れして、私は居心地が悪くなった。人として後ろめたい気持ちになるのだ。「ゴメンなさい」と「ありがとう」が交差して、申し訳ない気持ちにもなった。

 最初、ガスはチェスターに興味を示さず、それどころか怖がっていた。チェスターの健気な努力で少しづつ心を通わせる。
 チェスターには人間の言葉がわかる。ガスの感情を嗅ぎ分けることもできる。怖がっていたり、緊張していたり、穏やかだったり。でも内なる静かな感情は、においではわからない。そのうちチェスターは時々、ガスと心の中で会話ができることに気づく。

 ガスも少しづつチェスターを受け入れる。彼らの新たな関係を示唆してこの物語は終わる。でも二人の物語はここから始まるのだ。

 ある編集者が『良い本は考え続けさせる力を持っている』と言っていた。この本を読んでから、私は人と犬の関係を考え続けているように思う。人と暮らす犬のしあわせは、何なんだろう。
 遺伝子操作されたオオカミを、人はイヌと呼び家畜化したそうだ。
 作家のショーン・タンはこう書いていた。
『犬と人間の関係は、他のどんなものとも似ていない』

同人誌『季節風』掲載 2023 新春

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