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「好き」は未来を夢見ること



「東京カランコロン」「解散」

想像もしなかった、絶対に似合わない組み合わせの文字が並んでいた。何の気なしに開いたツイッター。

公式アカウントではないけれど、有名な音楽情報サイト。見慣れた名前のアカウントが呟いていた。


「待って」


表情も、思考も、全部止まった。



東京カランコロン。

私が初めて好きになったバンド。こんなにも音楽が沁みて響いて、気持ちを彩って、寄り添ってくれるのかと。






カランコロンとの出会いは大学生の頃だった。

音楽は好きだけど、ライブハウスになんて行ったことがなかった。ある日波長の合う友人が「最近ハマってるバンドがあって」と教えてくれたのがカランコロンだった。


初めに「好きかも!」と思ったのは、CAN'T STOP 運命線を知ったときだった。

茶色の目も、揺れる髪も、私の目に魔法かけたみたい

トキメキが詰まったみたいな音楽。


初めて見たライブはボーカル2人だけのアコースティックver.だった。それまでの私なら、音楽は「声」が好きであれば魅力的だ、と思っていたはず。

だけどそのあと5人でのバンドライブを見て、2人のボーカルの歌声まで楽器みたいに思えた。音が重なるのが、生のライブが、こんなに素敵だと初めて知った。


カランコロンは私にとって、贅沢で豪華なものであり、それでいて、日常的な生活の一部だった。

人間の本質みたいなものをグサッと刺す鋭さがあるのに、辛いとか悲しいとかっていう気持ちをふわっと歌い上げる、そういうところがすごく好きだ。無理に笑わせて盛り上げるとか、センチメンタルに浸らせるとかではなく、ごく自然な気持ちの流れに沿ったみたいな音楽。


ライブの高揚感のまま、出待ちをして感想を伝えられる楽しさも知った。

当時付き合っていた彼氏に「もっと警戒した方がいい」と言われたのを大丈夫と振り切って、ツイッターで出会ったカランコロン繋がりの友達が出来たのもますます幸せだった。「カランコロンはこんなに最高なんだからもっと売れてもいいよね?!」と怒ってみたり、はたまた、カランコロンそっちのけで恋バナしちゃったり、とにかく仲良くなれた。

情けなくも、失恋してご飯が食べられない日があったけど、フェイシャルへ行こう!を聴いて自分を大切にしようと思えたっけ。

It's more wonder はいつも「好きな曲」としてパッと思い浮かぶ。カップリング曲でメジャーではないし、あまりストレートではないからメッセージ性があるやらないやら、受け取れているやら、いろいろ思うけど、古着屋でお気に入りの1着を見つけたときみたいな気持ちで、好きなんだ。

ハロー(終わり)は、あったかい陽だまりの中で一人散歩しながら聴いた。カランコロンは、ボリュームをどれだけ上げても心地良い。

ああ、「AWESOME FRIDAYSで歌われているのは私のカランコロンに対する気持ち?」と思ってしまう。

とにかくどの曲もいつかの自分を思い出すようなものだ。大学に入って、それから就職して。どんな毎日にも東京カランコロンがあった。

日頃使わないタクシーに乗って、数曲遅れでライブを見たこともあった。それなりに楽しく過ごしていたはずで、「別につらくない」と思っていたけれど、カランコロンの音楽は自分を素直にさせてくれるものでもあったみたい。自然と涙が出た。



とにかくとにかく、大好きだった。誰かと比べなくてもわかる。私にとって東京カランコロンは、言うならば臓器みたいな、もしくは糖分みたいな。欠かせないもの。

だから、解散の文字を見たとき、何かが終わったと思った。絶望だった。

「私はこれからどうしたらいい?」


これまでに何度もバンドの"大切なお知らせ"を見たけれど、きっと他人事だったんだろうと今になって気付いた。

へこんだときには美味しいものを食べてよく寝たら大丈夫!と知っていたはずなのに、心ここに在らずで何を食べていいか分からなかった。

やっとの思いで、友人に連絡したら「そうだよね、」とまるで納得したみたいな返事が来た。




なんでなんでなんで?

そしてデビュー10周年の区切りの今年、東京カランコロンという枠でできる事をやり切ったという5人の気持ちがあり、繋いだ手を離そうと思います。
大事にしていたものを手放すのはとても勇気がいることだけれど、手放すことでまた新しい何かが生まれると信じて。


「方向性の違い」とか「ごめんなさい」とかそんなのは一つもなかった。だからこそ、ああカランコロンが届けてくれた言葉だと痛いほどに実感して苦しかった。

具体的な理由、1人1人の想い。

わかれば納得できる?

でも知りたくなかった。


「わからない」でいい。




今は東京カランコロンのことが大好きだということしかわからない。

解散ライブも決まっている。

「ラストのワンマん」。いやなんてポップな、逆に寂しくてたまらない。私は社会人。そりゃあなんとしてでも行きたいけれど、100%なんて、言えない。

今はとにかくライブに行けるか、行けるように、それだけを考えた方がいい。

と思いながら、まだ手帳も開けずにまた再生ボタンを押す。だって、何かあったときはいつも、何もなくてもいつも、カランコロンだったから。

そしたら涙が止まらない。

ああ、絶望だ、空っぽだ、





「バンドに解散や脱退はつきもの」「ライブは、見られるときに見た方がいい」と、仲良しの友人が教えてくれた。

自分の生活と折り合いをつけながら好きなものを楽しみたいと思っている私には、行けない・行かないライブもあったから、解散なんてものを突き付けられたらきっと後悔するものだと思っていた。「もっともっと、ライブに行けばよかった」って。

だけど違っていて、「これから先、新しい作品がつくられることはないんだ」「あのだんだんと自分に馴染んでくるわくわくした感じは」「5人だけのライブは」って。全部が、終わる。全部、6月17日で、ストップだ。未来への絶望感

「好き」というのは、一緒に歩んで、そして、「これから」にわくわくするものだと思い知らされた。

音楽はずっと残るから、と誰かが言う。

きっと多分、これからゆっくり気持ちを整理した後は、今まで通りかそれ以上に深く寄り添ってくれる音楽になる。

それは分かっていても、もっと一緒にわくわくしたかった。夢見ていたかった。








せっかくだから、大好きな曲をいくつか紹介。とは言っても、全曲挙げたいぐらいだから、別にこれはランキング上位からとかじゃあない、直感で。

欲しがっちゃったりするんです  けど愛はそこにあるんです

シンプルだけど一番大切なことを教えてくれる曲。


踊ればダンサー、歌えたらシンガー   ジロって見るオーディエンスたちに 大きな声で “どういたしまして”

楽しい曲なんだけど、「何者にでもなれる、堂々としてろ!」と喝を入れられた気持ちになる曲。


こんなにかっこいい曲もあるんだよ。1.2!1.2!って手を挙げるのが楽しかった。楽しかった。




絶望の話をしていたのに、あー、好きが止まらない。また、いつもみたいに未来に夢見そうになる。