「好き」の特権
推しの応援のし方について考えてみようと思う。
もし偶然ここに行き着いた方がいるとしたら、好きなアイドルが誰かを問わず、自分の「好き」を思い浮かべながら読んでみてほしい。
推しが批判されることがある。
おそらく何かの拍子に推しを知ったであろう
知っているけど、知らない、そんな人から。
誰にも嫌われない人はいないから、
仕方がないことだなあ、と思う。
というときもあれば、
よく知りもしないのに好き勝手言うな!
と憤慨することもある。
頻度や度合いは違えど、
こういう類のことは誰にでも起こりうることで、
仕方のないことだ、と思っている。
一方で、こんなこともある。
"同じくその人を推している人が"
推しを、もしくは、その運営を非難する。
推しのことが好きで応援していても、
丸ごと全部好きかどうかは人それぞれ違う。
うん、これも仕方がない。
けど、なんだかもやもやする。
良くないところを挙げるのは、
非難ともとれるし、
改善に向けたアイディアともとれる。
つまり、
わたしが批判や非難だと思う意見にも
良い面が確実にあるのだ。
それでもきっと、わたしは嫌なんだろう。
それがもやもやの理由だ。
努力して、目の前の仕事に全力を尽くして、
もっともっと素敵になっていく推しが
マイナスイメージにとらわれるのが嫌だ。
だけど、ここで特に強く感じるもやもやは、
"推しのことを好きだというファンが"
批判をすることに対するもののように思う。
ファンの語る言葉は、そうでない人の言葉とは
その温度が違うと私は思っている。
例えば同じ「かっこいい」だとしても、
より具体的できらきらした言葉になる。
素直にまっすぐに、
多幸感に溢れた「好き」を語れるのは
ファンだけの特権だと思う。
その特権がありながらマイナスの言葉を発する、
そのことに私はきっともやもやするのだろう。
良くないものを良くないと言葉にすること。
それは、また別の誰かにとって、
何かを取捨選択する際のヒントになる。
けど、そうだとしても、
私は好きな人の魅力を何度も噛み締めて
その表現をめいいっぱい受け取って、
「好き」を一つでも多く言葉にしたい。
これは、私が推しを応援する上で
大切にしたいことのひとつである。