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維新派閥論2023

こんにちは、海原雄山です。

今日は、かねてから私が主張している維新の派閥導入について、備忘録的に書いておきたいと思います。

タイトルに2023とあるように、これは今年バージョンで、(いつも私のnoteを読んでくれている方はご存じのように)過去にも似たような記事を書いています。

しかし、人の考えは少しずつ変わっていきます。それが成長なのか、あるいは進化なのか退化なのかわかりませんが、アップデートされたものをお見せして、今の考えを示すことも大事だと思います。
(丁度GetWildが「’89」やら「DECADE RUN」やら「2015」といった時代時代に合わせた最新バージョンがあるように・・・)

なので、今回は今年バージョンの維新派閥論を書いておこうと思います。

まず、派閥って何?

派閥とは、組織内において利害で結びついた人々によって形成する集団を指しますが、政治垢界隈の多くは自民党の中の派閥のようなものをイメージする方も多いと思います。

自民党の派閥は、もともと誰かを総理総裁に押し上げるために出来上がった組織(党内では規定はない)です。多くは、各派閥ごとに政策の違いがありましたが、近年必ずしもそうではないとの指摘もあります。

中選挙区制の時代では、選挙に勝ち抜くため。に資金力が必要で、派閥の領袖(トップ)から餅代や氷代と称した資金援助があったりで、派閥の領袖とその部下は固い絆で結ばれていました。

また、派閥の領袖の発言力が強ければ、自派閥に多くの閣僚ポストが転がってくるわけですが、その発言力とは、あるいははその人の国民からの人気であったりするのかもしれませんが、基本的には派閥の人数なのではないでしょうか。

大きな派閥であれば、その派閥からの支持を得ないと執行部も党内で多数派形成できないわけですから。

「数は力」と田中角栄氏が生前おっしゃったように、100人規模の田中派は田中氏がロッキード事件で逮捕された後も、自民党内に大きな権力を持っていました。

自民党の自民党的なものへのアンチテーゼを掲げていた旧民主党でさえ、派閥ではなくグループという呼称でしたが、一定のトップのもとに党内にいくつかの政策集団を作って、そのグループ単位で民主党の代表選は誰を代表に押し上げるか決定して、多数派形成の一翼を担っていました。
(もっとも、民主党のグループの場合、自民党の派閥と違って掛け持ちあり
でしたが)


派閥の効用と副作用

ここでは、維新に派閥ができたらどのようなメリット(効用)があり、デメリット(副作用)があるか、私なりに整理したいと思います。

ただし、前提として「維新に」派閥ができた場合の話です。他の政党に当てはまるかどうかわかりません。

また、派閥といっても旧民主党のような緩やかなつながりの政策集団であって、選挙のための資金を融通するような機能はあまり想定していません。(こういうのは中選挙区制の時代の話だと思いますので・・・)

無論、小所帯の政党では派閥なんてできても、空中分解しますから、ある程度の規模に育ってからという話。

なので、前提を整理すると・・・
・維新内で派閥ができた場合を想定
・緩やかなつながりの政策集団
・派閥間で政策的な違いは原則として党綱領に矛盾しない範囲で(維新八策は時々において変わるし、変わり得るべきなので、大枠としては採用しません)
・念頭に置いているのは100名以上の規模の国会議員団

効用①多様な政策的ニーズへの対応

様々な考えの政策集団がいることで、多様な政策的ニーズに応えることができ、幅広い層からの支持を獲得できることが期待できます。

自民党も、かなり右寄りで競争重視な派閥もあれば(安倍派等)、真ん中寄りの再分配も重視する派閥もあります(岸田派等)。

そうすることによって、多様な価値観の現代社会において、国民政党たる多様性を持つのが自民党の強みと言えるでしょう。

多様性が盛んに叫ばれる以前から、自民党は多様性を内包していたわけです。

維新も野党第一党を目指し、その先に政権獲得を見据えるなら、メニューが1種類しかない牛丼屋ではなく、肉はもちろん魚も食べられるだけでなく和食から中華、洋食まで揃えるファミリーレストランが望ましい姿かもしれません。


効用②疑似政権交代による外部環境の変化への対応

①とセットの話かもしれませんが、私がもっとも重要視しているのがこれです。

60年程遡り、岸内閣の時代である。
岸内閣が内閣を挙げて取り組んだのは、何と言っても日米安全保障条約改正である。
旧安保条約における問題点(日本がアメリカに基地を提供する一方でアメリカ側には日本を防衛する義務はなく、また日本はアメリカの基地使用に対する発言権もない)を解消し、安保条約の不平等性を正す必要があったが、戦中の記憶もまだ鮮明な中『日本が再び戦争に巻き込まれる』という拒否反応から、安保改正に対して非常に大きな反対運動が巻き起こり、国民的混乱を招いた責任として、1960年6月に新安保条約の批准後ただちに内閣は総辞職を表明することとなった。
しかし、その後現れたのは、経済重視で国民所得倍増計画をぶち上げた池田勇人である。
池田勇人は、安保闘争で傷ついた国民の心を癒すべく、経済重視の姿勢を鮮明にし、『憲法9条改正』といった自民党の党是とも言える保守イデオロギー的政策は封印したのである。
安保闘争の混乱で多くが自民党の苦戦を予想していたにも関わらず、1960年11月の総選挙では、当初は安保を争点とするつもりであった社会党など野党もあわてて経済政策を前面に出すなど、選挙戦は自民党のベースで進み、結果は戦後最高となる301議席、自民党の圧勝。
池田内閣はその後4年以上に渡る長期政権になった。
憲法9条改正等の保守志向の強い岸内閣から、経済重視の池田内閣への転換は、単に内閣の顔ぶれが変わったという意味にとどまらず、自民党内における岸派(十日会(今の安倍派の源流))から池田派(宏池会)への派閥間政権交代を意味した。

前述note「維新の組織論 後編 (激動の社会を生き残るための機能)

文章が長くなりそうなので、前の記事の引用で済ませますが、要は経済や社会の状況でその時に党のトップに立っている人の考えが合わなくなってしまったときに、派閥の政権交代を行うことで(疑似政権交代)、外部環境の変化に対応できるということです。

例えばの話ですが(例え話として適当かはさておき)、今でこそ積極財政が盛んに言われていますが、遠い将来に渡ってそれが妥当というわけではなく(あるいは積極財政が許されるわけではなく)、財政の考え方について大きく転換させていく必要があった時、「積極財政は私共の政策の変えられない部分なので・・・(震え)」というスタンスでは、必ずしも世の中の変化に対応できるとは限りません。

自民党のように疑似政権交代を行うことで、看板だけでなくうまく政策もチェンジしていけるだけの柔軟性を手に入れられ、長期政権を築くことに成功しました。

長期政権自体を目的化するわけではないですが、日本ほどの大国で大きな変革を成し遂げようと思えば、ある程度の時間は必要であり、長期政権を築き上げなければ、成し遂げられるものも成し遂げられません。

そういう意味では、疑似政権交代できることは、今後維新にとって必要な要素なのかもしれません。

効用③人間関係力の育成・強化

最近の橋下徹さんの著書で、政党における人間関係力の大事さについて説かれています。

かつては、橋下徹さんも派閥やそういったものに否定的でしたが、今では、政党における人間関係力の重要さに気づかれたとのこと。

そして、派閥はそういう人間関係力を養成するのに大事な役割を担っています。

派閥間での調整や、派閥の中でのあれこれ等の中で人間関係力が磨かれ、やがては一党を率いるのにふさわしい人間関係力を得た政治家が生まれるということです。(ただし、歴史の浅い政党ではそういう組織の知恵の蓄積がなくなかなか難しい現実もあるため、意思決定の制度を整えることでそれを補っていくという趣旨の主張も著書では謳われていますので補足しておきます。)

長期的に党を担う人材を育成するためには、そいう派閥による人材育成機能も見過ごすわけにはいかないのかもしれません。

特に、国政維新の場合、これまでカリスマ創業者が党を率いてきた10年の歴史があるため、人間関係力という観点ではその次の世代の層が薄く(≒カリスマに頼るあまり後継者育成が遅れた)、実質党を率いていけるのが馬場氏くらいしかいないのではという指摘もありました。

人材育成は政策面だけでなく、次のリーダーという意味でも大きな課題なのです。

そう考えると、派閥による人材育成機能は政策面だけでなく次のリーダーを育成する意味でも大きな役割を果たすことが期待されるわけで、維新の中にこそ必要性のあるものと考えられます。

副作用①適材適所の人事ができない恐れ

続いて副作用ですが、まず第一にいわゆる「派閥の論理」と言われるもので、党役員人事等で適材適所が実現できない恐れがあります。

これはつまり、派閥間の勢力均衡や人数割り当て等に配慮し、その役職にあったベストな人材が人事で手当てされない可能性があります。

これでは、党運営やひいては政権運営においてベストを尽くせるとは言い難いかもしれません。

ただし、過去にそれこそ派閥政治の権化と言える自民党において、小泉純一郎氏が派閥順送り人事をはねのけたように、リーダーのリーダーシップ次第なところはあるかもしれません。

求心力のあるリーダーならば、派閥の力学による人事を超えられる可能性はあります。

副作用②派閥間の権力闘争の先鋭化

自民党が時に政策実現が二の次になってしまったように、派閥間の権力闘争が激しくなって世間をお騒がせすることもあるかもしれません。

派閥のトップを党のトップ(あるいは国のトップ)に推し上げることに熱心なあまり、国民不在の権力闘争に明け暮れれば、その不利益をこうむるのは国民です。

その権力闘争がなぜ起こるかというと、だいたいの場合が人事上の不満だったりするのかもしれません。

政策的な問題は、権力闘争を仕掛ける『大義名分』にしか過ぎないと言う人もいます。かつて政治改革が実現できない自民党を見切って飛び出したという小沢一郎氏たちは、旧経世会(竹下派)での権力闘争で敗れたことが離党の原因と言われています。

そこらへんをどううまくコントロールするか。まさに人間関係力が試される場面とも言えるでしょう。

副作用③長老支配の温床

自民党において、政治家を引退したはずの派閥領袖OBが派閥に対して影響力を振るう場面は少なくありません。これでは人材の新陳代謝も停滞してしまいそうです。

これは、自民党のような支持団体からのあらゆる支援で成り立っている政党独特のものかもしれませんが、そういう支持団体に顔が効くが故に領袖OBが影響力を維持するということなのかもしれません。

あるいは、派閥をまとめられる人間関係力があるが故に、引退後も派閥運営で頼られるということなのかもしれません。(森元総理なんかその典型かもしれませんね。)

維新は特定の団体の支援を受けないので前者はともかく、派閥ができれば後者の理由による副作用はあるかもしれません。

それを乗り越えるとするならば、若い人への世代交代を後押しする文化の醸成と言ったことが必要なのかもしれません。

つまり、引退した部活OBが久しぶりに部室に遊びに来て偉そうにする状況が無いように、そういう価値観を党内に作るということでしょう。

大阪維新はそれができていそうな印象は受けますが、国政維新ではどうでしょうか。

これは、派閥ができるできない関係なく、今後の課題と言えるでしょう。
(もっとも私自身は必ずしも長老を全否定したいとは思いません。その膨大な知識や経験値が役に立つこともありますし、その人の持つ人脈が問題の突破口を開くこともあるでしょうから。)

まとめ ~結局派閥ができることは避けられない~

ここまで色々書きましたが、人間が3人集まれば派閥ができるというように、それを望むか望まないかは別にしても、組織が大きくなれば大なり小なり派閥(のようなもの)ができることは避けられないと思います。

みなさんも学生時代や会社の中でのあれこれを見てほしいですが、クラスや会社一丸となって・・・みたいなスローガンを掲げたり、あるいは実際そういう雰囲気があったとしても、その中の構成員の間で仲良しグループのようなものがいくつかあったりするものです。

そういうものは、例えなくしたいと思ってもなくならないものです。人間それぞれに違いがありますから、濃淡の差はあれど同じもの同士と違うもの同士で線を引きたがるものなので・・・。

なので、「維新に派閥を作るべきではない」と言っても、多分規模が大きくなれば、ある種の派閥のようなもの(それを派閥と呼ぶかグループと呼ぶかは別にして)はできるだろうと思います。世間に表になっていなくても水面下であったとしても、きっとできます。(もしかしたら今も世間が気づいていないだけで、そういう類のものはあるかもしれません。)

派閥(のようなもの)ができることは避けられないのだとしたら(あくまで仮定ね)、そのポジティブな面を存分に引き出し、ネガティブ面は極力抑える方向で対策等を考えるのが、生産的と言えるのではないでしょうか。

そういう想いもあって、派閥に抵抗感がある人(←それはそれでお気持ちは理解できますが)に向けて、維新内に派閥(のようなもの)ができることに対して免疫ができるよう、今から維新派閥論を唱えていたりもするわけです。

私はもっと積極的なスタンスで維新の中に派閥(のようなもの)を作るべきだと考えていますが、自分以外の支持者もすべてその考えに染まれというつもりは毛頭ありませんが、私自身は今のところこの考えを変える予定はないでしょう。皆さんはどうお考えになるでしょうか。是非ご意見をお聞かせください。

それでは、また来年、「維新派閥論2024」でお会いしましょう。

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