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個撮百景 Portfolio of a Dirty Old Man第3話:テクスチャとサーフェスのあいだに

■個撮

 個人撮影の略。撮影者とモデルあるいは被写体が、それぞれ個人と個人で行う撮影。
 個人撮影には、撮影会において時間を区切り、複数の撮影者が順番に行うものと、撮影者がモデルあるいは被写体と交渉し、個別に日程を調整して行うものがある。

(亀子写写丸 フォトグラファーの口説きテク最新101 民明書房 平成31年)

 角を曲がって待ち合わせ場所のコンビニを見たら、店の横に彼女がいた。
 かつては公衆電話が立っていたであろう場所にたたずむ彼女は、サングラスにマスク姿でもすぐにわかるほど、やさぐれた風景の中で目立っている。実際、黒っぽいキャミワンピに荒いニットを羽織っただけなのに、高く引き締まったヒップに長い脚、そして見事なウエストのくびれまで、彼女の素晴らしいプロポーションを必要以上に強調していた。写真展の会場で挨拶したときもセクシーだと思ったが、きょうは輪をかけて過剰な、ほとんどわいせつと言ってもよいほど濃厚な色気を放っている。
 おまけに場所も風俗街のはずれだったし、無店舗風俗のキャストにしか見えない。
 まぁ、自分たちも行き先もラブホだ。それも、フリータイムもないような、デリの客がいつも使う安い時間貸しのホテルだから、傍目には客と嬢……いや、キャストとクライアントにしか見えないだろう。それに、部屋で彼女は着衣を脱ぎ捨て、全裸になるのも同じといえば、同じだった。

 俺は、これから彼女のヌードを撮影するのだ。

 コンビニへ歩み寄ると、彼女もすぐに反応した。互いに遠くから軽く会釈しながら近づき、妙にぎこちないあいさつをかわす。これではますますキャストとクライアントみたいだ。ともあれ、合流するとラブホへ直行する。なにより撮影時間は厳守だが、この忙しなさがまた無店舗型風俗みたいで、微妙な笑いも込み上げてくる。

 ヌード撮影なんてのは、ソフトな風俗に過ぎないと言い放ったのは、どこのアクティビストだったか、あるいは活動家に媚びる理解者気取りのフォトグラファーだったか、まぁそんなことはどうでもいいのだが、ふっと思い出してしまう。
 ただ、ネット、それもソーシャルメディアが一般化した最近では、ヌードモデルもネットで簡単に見つけられるようになった。もちろん、ヌード撮影に関する様々なリスクは以前と同様に存在しているのだが、それでもなおモデルになろうとする人々は少なくないのだ。その理由もまた多種多様で、金銭的なものだけではないのもまた、確かだった。
 それでも、自分が彼女のヌードを撮影するに至った道筋はいささか複雑で、なのに自覚してない近道をたどっていたような気もするから、このご時世でもなお、袖すり合うも他生の縁めいた結びつきはあるのだろう。
 きっかけはソーシャルのタイムラインでみかけた展示情報だった。告知投稿にそえられていた水着グラビア風の女性ポートレートに惹かれ、他の写真展を鑑賞するついでに会場へ足を運んだところからはじまる。展示作品はすべて彼女のポートレートで、表情のアップから、水着や下着もふくめたグラビア風の作品まで、複数のフォトグラファーによる幅の広い内容だった。自分が会場にたどり着いたとき、彼女は会場でなじみのフォトグラファーやモデル仲間の相手をしていたが、わざわざ入り口まで出迎えて挨拶かたがた名刺を渡してくれるなど、ずいぶん営業熱心に思ったのは、今でもよく覚えている。自己紹介をかね、こちらのソーシャルアカウントを伝えると、すでに彼女からフォローされていて、少なからずきまりの悪い思いをしたのも、やはり強い印象を残した。
 その場でリフォローし、写真家やモデルのソーシャルアカウントについて、当たり障りのなさそうな話をしたような気がするのだけど、そのあたりになるとほとんど覚えていない。ただ『撮るのはフルヌードだけですか?』と彼女の問いに、必ずしもそうではない、着衣やセミヌードも撮影するけど、アカウントを分けていると答えたところ、こちらの目をしっかり見すえて『でしたら、ぜひよろしくお願いします』と会釈したのには、ちょっとばかり驚かされた。
 モデルさんがフリーでやっていくってのは、こういうことなんだなぁとか、いまさらのように思い知らされる、そんな気がしたのだ。
 展示のあと、ソーシャルでたまに挨拶したり、彼女の配信を見に行くようになったり、別のグループ展で10分間撮影イベントに参加したり、そんなあれこれを重ねていったある日、こんどはクリエイター支援プラットフォームへのお誘いが届いて、流石にちょっと呆れたというか、だいじょうぶかと思わなくもなかった。とはいえ、気がついたらメッセージを読みながらリンクもクリックして、無料コースの参加申請をしていた。
 しばらくすると、そのクリエイター支援プラットフォームとやらの支援者ランクを微妙に上げてもらったようで、これまではみることがなかったかなり際どいセクシー画像(と言っても局部はもちろん、バストトップすら見えない程度)が表示されたり、セクシー撮影の告知が流れるようになった。
 わらしべ長者というか、ゲームの実績解除みたいな流れだが、そもそもこの手のネットサービスがゲーム的に作られているのだった。なんとなく彼女にはめられたような、囲い込まれたような気もしなくはなかったが、とりあえず現段階での出費は撮影イベントの料金だけで、それ以外は時間と多少の労力を費やしたに過ぎない。もちろん、その『時間と多少の労力』が、たとえそれが無料配布ポイントの投げ銭や投稿のシェア程度でも、彼女にとっては少なからぬ意味を持つ、そういう世界に自分たちは生きている自覚はあるし、それをランクとして対象範囲を狭めた情報へのアクセス権を付与しつつ、周囲のカメコを競わせ、承認欲求をかきたてて利益に結びつけるしたたかさも、いやというほどわかっていた。
 ネット時代と言ってしまえばそれまでだが、フリーモデルに凝集するカメコをふるいにかけつつ、お金を稼ぐやり方の根底に流れる心理の動き、あえて言えば手玉にとるありさまには深く感心させられたし、共感すら覚えた。
 とはいえ賭け事でも、引き際を心得てるつもりの連中がいちばんひどくむしられる。
 そんなのは百も承知のつもりだった。
 それでも、サポーター限定グループに投稿された『スケジュール調整のため、空きがでました。平日ですけど、ここの皆さんなら肌色多めの撮影もありなので……』なんて文字列を認識したら、ほとんど反射的に自分の日程をチェックし、彼女にメッセージを送信していた。
 翌日には返事があり、撮影内容の確認と、ネット決済サービスの事前精算で予約確定だが、カメラマン理由のキャンセルは返金しないなど、必要事項が事務的に手際よくならんでいる。
 待ち合わせは最寄り駅などではなく、こちらが撮影場所に選んだラブホの前にあったコンビニというのが、ちょっと変わっているように思ったが、最後の方には『お迎えや見送りは不要です。ホテル解散でお願いします』と記されていたので、なんとなく察しがついた。

 そんなやり取りを経て撮影当日を迎え、無事に合流してホテルへ直行。
 ただ、平日の昼下がり、しかもフリータイムがないホテルだというのに、ほとんど満室なのは計算外だ。否応なしに残っていた部屋の番号をフロントに告げ、時間分の利用料を支払い、エレベータで最上階へ登る。
 どん詰まりのドアを開けると、屋根裏めいたいびつな部屋が目の前に現れる。
「うわっ! せまっ!」
 驚く彼女に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と、ほとんど意味のない言葉を放り投げつつ、ざっと撮影範囲を計算して、死角になりそうなところへカメラバッグなど荷物を押し込む。
「引きが取れなさそうだけど、ここでだいじょうぶですか?」
 背中越しに届く心配そうな彼女の声に「あ、うん、きょうは寄って撮るだけだから問題ないですよ」と、振り向きもせずにこたえた。
「わかりました。じゃ、場所が決まったら指示してください」
「うん、ちょっとまってくださいね。まぁ、基本的にベッドの上で撮るつもりだけど、窓を開けて鏡の映り込みを確認しますから」
 うなづきながら彼女はバスルームへ引っ込み、中から「荷物と服はここに置きますね」と告げる。俺は「わかりました」と返事し、窓をふさいでる目隠し扉を開けた。
 ぱぁっと日光が部屋の奥まで入り込み、俺はちょっと嬉しくなってしまう。
 ちょうどコインパーキングに面した部屋で、狭いのもよい方にはたらいた。
 レフ板を広げて洗面台へ立てかけたところで、バスルームからひもパン姿の彼女が出てくる。
 素足なのに腰高で、ウエスト周りの絞り具合も薄く肉を残す感じが、とても好ましかった。胸はおおきいのにたれても広がってもおらず、ノーブラでこのカタチかと思うと、ほとんど驚異的と言ってもよさそうだった。なるほど、このスタイルであれほど営業熱心だと、それは人気が出るよなぁと、まずそんな感情が湧いてくる。
 ただ、まぁ、自分にとっては顔立ちが……。
 いかん、いかん。
 そもそもお顔なし、バストトップなしの撮影なんだし、気にせず集中だよ。
 雑念そのものの思考を振り払い、気持ちのゆらぎをさとられぬよう、カメラを持ちなおしてファインダをのぞき、ベッドへ乗るよう彼女へ指示する。洗面台の鏡に写り込まないよう注意しつつ、自分もベッドへ乗って彼女の背後へ回った。
「まずは背中から撮り始めます」
「もしかして、ひもパンも脱いだほうがいいですか?」
 彼女の言葉に下卑た欲求を刺激され、ちょっと慌ててしまう。
「いや、いまは大丈夫。最初は寄って撮るから」
「寄り?」
「うん、寄って撮ります。きょうはマクロでテクスチャを撮る感じで」
 言いながら膝をついて背中をまるめ、ファインダいっぱいに広がる肌色の陰影にマニュアルでピントを合わせる。ペチペチとシャッタを切りはじめたものの、予想以上に彼女の肌は白く、ピントのつかみどころがない。体勢を変えようと腰を伸ばしたら、不意にマットレスが深く沈み、よろけそうになる。
 あわてて彼女とは反対に体をひねりつつ膝をついたが、もう少しで背中に当たってしまうところだった。
「すいません。もし体に触れたら、その段階で撮影やめて部屋を出てかまいませんよ。いちおう、そのつもりでいますし」
「お気遣いありがとうございます。それより、大丈夫ですか?」
 振り向いてこちらを気づかう彼女に、俺は「だいじょうぶ、ありがとう」と返したが、あらわになったバストトップへ視線を走らせてしまう。自分でも抑えがきかないどうしようもなさを少しでもごまかそうと、カメラを替えて撮影を再開する。
 こんどはオートフォーカスに頼ってみたが、じこじこと前後に行き来し始め、じれったいことこのうえない。結局、またマニュアル撮影にもどす。
 ちょこちょこ撮影して、またポジションを変えようとファインダから目を話し、ついでに時計へ目線を走らせた。思ったより時間が経っている。肌の部分が多すぎるのでピントがあわせにくいだろうとは思っていたが、それにしてもモタモタしすぎている。いくらなんでもペースアップしないとまずいが、自分も消耗し始めていた。
「僧帽筋、わかります? ちょっと僧帽筋に力を込め、背筋を伸ばしつつ体を入り口の方へひねっていただけませんか」
「いいですよ、こんな感じですか?」
 背筋の陰影が濃くなり、ぐっとピントも合わせやすくなる。ありがとうと礼を言いながら、こんどは調子良くシャッタを切る。焦りの反動か、気分もよくなり、軽口も出る。
「お肌があんまりにも白くてきれいで、テクスチャにとらえどころがないから、ピントあわせがたいへん。まぁ、テクスチャを撮ると言っても内面まで写るわけじゃない。結局はサーフェス、つまり表面しか撮ってないから、まぁそいうことなんだろうけどね」
 なにがどう、そういうことなのか?
 口から飛び出した言葉をとっ捕まえて、自分で問いただしたくなったが、もちろんできるはずもない。撮影しようと思っても、軽口の雑さ加減が気になって、ファインダに集中できなかった。
 あがいてもしょうがないので、休憩を告げてスツールに腰掛ける。
 彼女もベッドから降り、携帯を取り出して画面をポチポチし始めた。
「いまちょっと調べたんですけど、テクスチャって『質感とか肌合いとか風合い』のほかに『本質』って意味もあるんですね。でもサーフェスの方は、えっと、タブレットじゃないですよね」
 まさか彼女が俺の話を引き取り、かぶせてくるとは全く思っていなかった。不意打ちをくってしまった俺は、あいまいに微笑みながら「あぁ、うん、英語なんだけど……」と返すのが精いっぱい。そこに彼女は「ですよね。つまり『表面とか水面、上っ面』って意味で、写真は上っ面を撮っているだけと、そういうたとえなんですね」なんて続けるもんだから、俺も多少はなにか踏み込んだ話をしたほうがよいような、このままぼんやりと訳のわからないまま逃げられないだろうと、そんな気がしてきた。
 とはいえ、自分でも内容を把握していない言葉の意味とは、いったいにしてどのようなものなのだろうか?
 まぁいい、どうせ中身のないうつろな言葉なんだから、そこになにを突っ込んでも飲み込んでくれるだろう。
「あぁ、うん、それであってるよ。そうだな、じぶんはさ、いわゆる写心……写す心って言葉が嫌いでね。本質まで写し撮るとかなんとか、そういうのって撮影者のエゴで、イキリなんじゃないかとさえ思ったりするもんでね、だからまぁ、写真でもよく言われるテクスチャじゃなくて、サーフェスだろうとか、そんな言葉遊びをしたくなったりもするんですよ」
「言葉遊びですか? そういうの楽しいですね」
 ほんの短い言葉だが、その裏にひそむ彼女の乾いた感情、それこそザラッとしたテクスチャに気がついてしまった俺は、話を変えてしまおうと「ほかのカメラマンさんとは、こういう話をしないんですか? 撮りながらお話とか、そういう人もいるでしょう?」なんて、わかりやすく話を変えるための会話をかぶせた。
「うん、しませんね。いや、もちろんお話をするカメラマンさんはたくさんいますし、撮りながら話しかける方も多いんですけど、いまのような写真の考え方みたいなお話ははじめてですよ」
 上目遣いに挑むような眼差しを投げつけながら話す彼女に、俺はまだはぐらかしてこの場を逃げ切れると思っていた。だから「ですよね」なんて、救いようがないほどくだらない言葉をはさんだだけでカメラを持ちなおし、撮影を再開しましょうと、彼女にベッドへ戻るよううながした。
「あ、はい、そうですね。でも、もしよければ、撮りながらお話しません?」
「もちろん、いいですよ」
 そうする他ないので、にこやかに応えた。だが、ファインダに広がる裸の背中は明らかに緊張していて、これからはじまる厳しいやり取り、いやおそらくは一方的に彼女が俺に対して言いたいなにかを受け止めるしかないのだと、鏡に映るゆがんで不自然な笑みよりもはっきりと伝えていた。

 ちくしょう! 
 つまらん軽口でなにもかもだいなしにしちまった!
 俺はいつもこうだ。

 ネットミームをはんすうしながら、ファインダの陰影にピントを合わせ……。
 背中の表情! イィ!
 俺はすかさずシャッタを切り、彼女に「撮りながら聞いてるから、話を続けて」と、そのときはまだ漠然とつかみどころがなかった期待のようなものをこめて告げる。彼女は鏡越しにうなずき、ゆっくりと、言葉を区切るように、話し始めた。
「わたし、写す心って書くの、言葉として好きなんですよ」
 うんうん、でしょうねなんて、雑なあいづちを打ちそうになったのを、俺はかろうじてこらえ、期待通りに現れた怒りの表情に、背中に浮かぶ陰影にシャッタを切った。
 話の流れから、彼女がなにを言おうとしていたのか、俺はすっかりわかっていたし、その先に続くであろう話もまた、おおかたの予想はついていた。そして、俺は彼女に話を続けるようにうながし、背中の変化を待ち構える。
「写真には本質? そこまで大げさじゃなくても、作品から私自身の深いなにかを感じるときがあるんです。そんなときがなければこの仕事を続けてないかもって思うし、カメラマンさんたちが撮った自分の姿には、いつも新たな発見があるんですよ」
 鏡に目をやるでもなく、背中に浮かぶ表情はいささか自慢げで、俺はその移り変わりを次々と撮影する。
 まぁ、彼女の話はほぼ予想していたそのまんまで、なにひとつとして意外なところはなかった。もし、彼女がフリーモデルとしてもそこそこの実績を重ねていなかったら、たぶん『ですよねぇ』とかなんとか、あいまいに同意しつつ話をあわせ、いい感じに撮影を終わらせるのが正解なのだろう。
 ただ、もし話を合わせるにしても、俺は自分の言葉から鼻白んだようななにかを完全に漂白できるかどうか、まったく自信はなかったし、それに、そんな撮影者がモデルを接待するようなまねはしたくなかった。
 やれるだけの手立てをつくして、彼女がフリーモデルを続けているのに、それはいささか敬意を欠いたふるまいじゃないかとか、そんな考えが浮かんでしまう。
 そして、俺は少し考えてから呼吸を整え、彼女の背中がどのように変化するかを、なんとなく予想しながら、できるだけはっきり発音するように心がけつつ、鏡に映る顔へ言葉を送りはじめた。
「モデルと写真との関係って、占いと相談者みたいなところがあると思うんですよ。宣託と願人 ねがいびとのほうが良いかな? モデルって、作品に自己を再投影して、そこから自分の望むなにか、存在を肯定するようななにかを汲み取ろうとするんじゃないかって、そんな感覚がありましてね。でも、写真家は占い師じゃないんです。そこがちょっと違うところ。いや、まぁ接待撮影する写真家もいます。それに、多くの場合、写真家とモデルとの関係は協調的で、親密と言ってもよいでしょう。でも、いちおう写真家と作品とモデルはそれぞれ独立した存在ですからね。そこが占い師とはちがうのです」
 彼女の背中はちょっとした興奮、もしかしたら反発心から、疑念、そしてうんざりしたような拒絶へと変化していく。俺は話の合間にシャッタを切り、彼女の反応を記録する。やがて、彼女は疲れたように「ちょっと休憩にしません?」と言いながら、俺の返事を待たずにすっと姿勢を崩した。

 やっぱりこうなった! だいなしにしやがった! 俺はいつもこうだ。
 この撮影は俺の人生そのものだ。俺はいつも失敗ばかりだ。
 俺は偉そうにあれこれ言うが、いつも的はずれ。
 誰も俺の話なんか聞いちゃいないんだよ。

「他人の内心なんか、わかりませんよね。自分の気持ちだって、その日の調子で上がり下がりするのに」
 それだけ言うと、彼女はバッグからミネラルウォーターを取り出し、ひとくち、ふたくち飲んで、また丁寧にしまい込んだ。
「ほんと、わかりませんよ。私、べつに占いは嫌いじゃないけど、それを本気にする人たちって、かなり引くんですよね。それなのに、この仕事やってると『若い女の子は占いが好きだろう』って決めつけられるの、すごく多くて……だから、めちゃめちゃ腹が立ったんですけど、でも、どこかわかるようなところもあるなって、そんなふうに思えるところもあったり」
 話しながら、彼女は窓の外に顔を向け、俺に表情を見せようとしない。俺は無言でうなずきながら、撮影はこの辺でおしまいかなと、カメラをバッグにしまい込もうとした。
「まだ時間あるでしょ? もう少し撮りません?」
 俺に顔を向け、目を合わせて、彼女は俺を挑発する。
「ありがとう。じゃ、また背中を撮ります」
 俺も会釈して、ありがたく彼女の挑戦を受ける。
「わかりました。場所はこのへんでいいですか? 背中を撮るなら、お話しながらって、そういう意味ですよね」
 言いながら彼女は鏡に目線をおくり、そしてするっとパンツのひもを解く。
「イメチェンしましょう」
 ひもパン解いてイメチェンもなにもあるかいな。
 内心でツッコミを入れながら、彼女がチップを積み増した勝負に、俺も正面から受けて立つ。すこし傾いてきた日差しを計算しながら微妙に場所を変え、彼女の引き締まった腰からヒップのラインをファインダへ収める。ピントをあわせて数回シャッタを切り、別のカメラに持ち替えて、目線を上げたら「お話の続き、大丈夫ですよ」なんてバカ丸出しの言葉が口から飛び出てしまう。
 彼女の背中が笑っている。
 やがて、彼女は鏡越しにカメラへ目線をおくり、ゆっくりと息を吐いて話し始めた。
「さっきのたとえだと、まるで、カメラマンはモデルにイメージを投影するだけで、モデルは写真から都合の良いところをつまみ食いしてるみたいじゃないですか?」
 背中の表情が目まぐるしく変化する。俺はシャッタを切り、話を続けるよう、鏡の彼女へまなざしをおくる。
「カメラマンさんたちが表現したいなにかと私のそれが一致してればうれしいけど、そうじゃなくても占いのように一方的なものではないと思います。私はこの仕事が本当に好きで、楽しみ。撮影が立て込むと、自分で自分がわからなくなるときもなくはないけど、作品には撮影したときの自分がいる。それを振り返る。それは思い出かもしれないけど、私にはとても大切なんです」
 ふたたび、背中に自慢げな表情が浮かぶ。

 こんどこそ、こんどこそ、このまま穏便に終わらせるんだ。

 どこかから、かすかにそんな声が聞こえたような気もしたが、それを意識したときにはすでに、俺の舌が「いまの、撮る方にとってはすごく嬉しい言葉だけど、すべての撮影が大切な思い出になるわけでもないでしょう?」なんて、へそ曲がりもいいところのセリフを撒き散らしていた。しかし、彼女は待ち構えていたように「いいえ、最近はそうでもなくなりました」と言い、鏡は余裕たっぷりの微笑みであふれる。
 俺が自分自身の愚かしさを噛み締めていると、追い撃ちをかけるようにスマホのアラームが鳴る。ヒトを小馬鹿にしたようなリズムに、俺はつい顔をしかめてしまった。彼女はあわてたようにサイドテーブルのスマホを取り、アラームを止めながら「ラスト30分ですけど、ポーズとか変えます?」と訊ねた。
「いや、このまま背中だけ撮って終わりにします」
 彼女は『ですよね』とでも言いたげな笑みを浮かべ、ベッドでポーズを取り直す。
「また、お話しながらで、いいですか?」
「もちろん!」
 彼女が言わなかったら、俺のほうから話すようにうながしていたろう。そして、背中の表情が変わる瞬間を待ち構える。
「すべての撮影が大切な思い出になるわけでもないって、その意味はわかります。それでも、撮影の間は協力的で、親密でありたいとさえ思います。もちろん、プライベートは別ですよ。だから、そこまで踏み込んでくるカメラマンは本当に困ります。モデルの心は武装してるって、大御所さんもよく言うんですけど、私はそういうのが嫌いなんです。もしかしたら、おっしゃってた写す心のしゃしんを嫌うのと同じくらいかもしれない」
「厄介カメコって、ほんとにどうしようもない」
 俺の相づちを聞き流すように、彼女は話を続けた。
「心も体も裸になるって、これもグラビアじゃ決まり文句で、実はすごく嫌いな言葉だけど、それでも当たってると思うんです。だから、できればそういう気持ちになれるカメラマンさんとだけ仕事をしたいし、反対にそうなれないカメラマンさんとは関わりたくないんですよ。ほんと。でも、事務所に所属してたらそうも行かないし。だからフリーになったようなところはあります」
 彼女がそこまでしゃべったところで、再びアラームが鳴る。
 こんどは金属的な、いかにも癇に障る不快な音だった。
「ラスト15分、終了です。ごめんなさい、おしゃべりが過ぎましたね」
 ぽんと、身軽にベッドから降りる彼女へ、俺は「いえいえ、どういたしまして」と、またしても空虚そのものの言葉を差し出していた。

 ホテルの出口で彼女と別れ、西日に目を細めながら家路につく。
 帰宅すると、まずすべての撮影データをパソコンへ吸い出し、彼女が指定したクラウド共有フォルダへアップする。それからおもむろに処理を始めたが、自分で観ても代わり映えがしない、同じような背中画像からの取捨選択は、思いの外しんどかった。
 結局、気に入ったワンカットをモノクロでコントラストきつく、粒子荒目で処理し、途中で捨てた候補から集めたカットをタイル状にならべ、ひとつの画像を生成すると、そのふたつを作品として彼女へ送った。
 まもなく、彼女から返事が届く。
 当たり障りのない謝意の表明にまじって『どうなることかと思ったけど、素晴らしい作品ができてよかった』など、不穏な言葉も垣間見える。ただ、それよりも末尾の『サピオセクシャル気味の私には、撮影よりも会話が楽しかったです』なんてフレーズが、俺にはちょっと刺激が強かったかもしれない。

 ふと、俺が好きな写真は、カタカナの『シャシン』なんて、言葉を返しくなる。
 しかし、勘違いするな。
 目的は撮影データの受け渡しで、言葉のやり取りじゃない。
 俺しばらく文章を考えた挙げ句、やはり返事は送信すまいときめた。

 了

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¡Muchas gracias por todo! みんな! ほんとにありがとう!