個撮百景 Portfolio of a Dirty Old Man第7話:虚構と現実のあいだに
食器を洗ってインスタントコーヒーを用意し、パソコンを立ち上げる。半月ほど前はここからソーシャルメディアの泥沼に首まで、いや鼻先だけ残してほぼ全身つかっていた。だが、先月末にアカウント削除宣言を投稿して以来、タイムラインはみなくなってる。とはいえ、みないのは本当にタイムラインだけで、毎日アカウントにはログインするし、リプライやメンション、メッセージなどはチェックするのだけど。
まぁ、みっともないと、自分でも思う。
とはいえ、これしか連絡手段がない人たちについては、最後の最後まで返事をまって、別の方法を案内したかった。そんなわけで、いちおう毎日チェックしているけど、ここしばらくはなにもない日が続いていた。
アカウント削除を告知してから数日はなにがしかの反応があって、後ろ髪を引かれる思いもしたし、自分なんかを気にかけてくれる人もいるなんて、なんだか子供じみた嬉しさを感じたりもした。ただ、流石に正面から否定的な反応を投げつけるようなアカウントはなかったけど、影でなにか小馬鹿にするというか、呆れられてる雰囲気はかすかに感じなくもない。そもそもアカウント削除宣言からしてあざけりの的だし、やっぱりもの笑いのたねだろうと思ってしまう。でもまぁ、そういうのは考えても仕方ないので、自意識過剰の被害妄想ですませる。
ただ、その日はちょっと違っていた。
メッセージボックスの新着マークを二度見して、次に思ったのは詐欺か? スパムか? いや、股間のしょぼいイチモツを丸出しのおっさんってのもある……まぁ、全て経験済みだし、いずれにしても開かないと確かめようもない。シュレディンガーのメッセージなんて茶化していたのも最初の間だけ。いまは指先ひとつ動かすのもだるいが、放ったらかしにはできない、よなぁ。
とはいえ、こうして頭の中ではさんざっぱら後ろ向きの考えを並べ立ててみたものの、腹の底ではキラキラおめめのうっとうしい感情が、怪しげな期待に湧いているのもまた、まったく否定できなかった。それに、メッセージと同時にこちらをフォローもしているのは、いちおう肯定的な要素だなと。
さて、グズグズしていても仕方がないので、ポチッとクリック。
最初の文字列は『はじめまして……さんから紹介していただきました』だった。
そこには、去年の夏にトークイベントで知り合い、それからは撮影もさせていただいたコスプレ姉貴の名前がある。
よかった、とりあえず、まともだ。
ホッとした瞬間、怪しげな期待感が、さらにむくむくと湧き上がる。だが、読み進めていくうちに、熱く湧き上がった気持ちは急速に冷め、やがて当惑とも困惑ともつかないシワシワの皮ばかりになってしまった。
というのも、メッセージに記されていたのは撮影依頼で、それも俺のポートレートと、可能ならヌードも撮影したいという内容だったから。
「まともかと思ったら、まともじゃなかったな」
ひとりごちてはみたが、慌てて『まともじゃない』は失礼だろうと、自分で自分にツッコミを入れる。なにせ、メッセージには『報酬はご用意できないのですが、私でよければ相互撮影はいかがでしょう?』なんて、ひとりやにさがってしまうような言葉もふくまれていたのだから。
もちろん、撮影に応じるのは確定として、問題はお返事の文章だけど、どうしたものかな?
あれこれ考えてはみたものの、結局は簡単で事務的な応諾の文章と自分の写真だの駄文だのを掲載したサイトのアドレス、そして今後の連絡先としてメッセンジャアプリのIDを末尾に記し、送信して風呂を沸かす。
身も心もさっぱりして、そのまま寝ちまえばよかったのだけど、なんとなくスマホをいじり始めたのが運の尽き。さっそく相手から返事が来ていて、それがまたサイトをみたとか文章が気になるので読んで感想を送るとか、ロマンス詐欺かと思うほど嬉しい言葉の大渋滞。開いて数秒も経たず、俺の思考回路は完全にショートした……。よせばいいのに、それにまた返事なんかしたものだから、言葉のキャッチボールも始まってしまう。そのまま明け方までチャット状態のやり取りが続き、妙な興奮でほとんど眠れなかった。
それが、彼女と撮影の日まで続いた長い長いやり取りの始まりだったけど、その時はまだメッセージの交換が愉快な日課になるとは、夢にも思っていなかった。
あからさまに寝不足だったが、疲労を感じさせないほどの高揚感で、脳の覚醒状態がおさまらない。流石に昼飯後のリモート研修で思いっきり寝落ちしたが、個室ブースだったからノーダメージ。いったん、少しでも寝てしまうと、また元気になるのが人間の面白いところというか、脳がまだ興奮しているのだな。
それは、昨夜のやり取りの濃密さ、刺激の強さの証でもあろう。
もちろん、はじめからそうだったわけではない。最初はごく軽い、互いを探り合うような言葉が行き交い、それがふたりの隔たりを狭め、やがて響き、共鳴しながら波長が高まり、調和する。それが文字通り一夜にしておきたのだから、興奮するなというほうが無理な話だが、それだけに疲労の反動が怖くもなる。
思い返せば、共通の知人で、俺を紹介したコスプレ姉貴が、素晴らしい触媒の役目を果たしたのだろう。だいたい、姉貴が相互撮影の彼女に伝えたという、俺の人物評がふるっていた。
『かなり気難しいし、はっきり言ってめんどくさい人だけど、こっちの話が通じる人。フラットな感覚の持ち主だよ』
気難しくてめんどくさいのは自覚していたし、それをはっきり言葉にして伝えるのもコスプレ姉貴らしいと思った。まぁ【かなり】はよけいといいたくなったが、それよりも【フラットな感覚】が気になった。相互撮影の彼女に、姉貴の人物評には完全同意と返しつつ、フラットな感覚についてはよくわからないと率直に返したら、びっくりするほど素早く回答が届く。
ポップアップした通知を叩くと、冒頭から『ネキの昔話は聞いてるよね? でもネキがおじさんに話したとき、食いつきもせずスルーもせずだったでしょ? それがフラットな感覚なの。私もAV出てたというか、いまは同人でやってるけど、そういう話ってめっちゃ食いつくか、完全スルーのどっちかなのもわかるでしょ? でも、おじさんはちがってふつーの仕事話みたいな反応だったから、ネキは話の通じる人だって』なんて言葉が、解除コードのように俺の警戒心や猜疑心を機能停止させる。
すでにしばらくやり取りが続いていて、そろそろ寝ようと思っていたのも忘れ、すぐに返事をタイプしたくなる。なにせ、フラットな感覚の説明から始まった彼女の身の上話がまた、めっぽう面白くて、なかでも『ネキが出た契約最後の作品に、無理いってノーギャラで絡ませてもらった。なのに気がつけばダブル主演にされて、タイトルにもでっかく使われたから、さすがに愛想がつきて同人に移ったんだわさ』ってくだりは、ネットミームならずとも情報量が多すぎた。
そして、相互撮影の彼女が始めた同人AVはそれなりに売れ、なじみのスタジオもでき、男優のヌードを撮影し始める余裕もできたところまではよかった。だが、スタジオのオーナーから『鍵を渡してもいい』と、遠回しにセフレ勧誘され、めんどくさくなったので縁を切り、別の男性モデルを探し始めたところに、コスプレ姉貴が俺を紹介したらしい。
この流れに、言いたいことがないといえば嘘になる。だが、こんなに面白くてエキサイティングな人物と引き合わせてくれたのだから、感謝するしかない。とりあえず、相互撮影の彼女へ『ちょっと、濹東綺譚みたいですね』なんて返事を書き出したのはよかったのだが、流石に眠気が限界だった。なんとか、相手の話への反応だけ書いて、送信ボタンをクリック。
そこから、どうやってパソコンをシャットダウンし、寝床へ潜り込んだのか、まったく記憶はない。それでもまぁ、いつもの時間に起き、飯を食って身支度もできたのだから、自分をほめてやってもよいだろう。問題は、相互撮影の彼女へ送ったメッセージがまともだったかどうかだ。
とはいえ、はやくも昼過ぎには通知があったし、仕事帰りにいそいそチェックすると、相互撮影の彼女は冒頭から『おじさんのブログ読みました』なんて、俺の駄文や写真の感想らしい言葉がならぶ。ただ、ちらと垣間みえた『おじさん積極的というか、いきなり距離を詰めてきますね』なんて文章は、ものすごくきな臭い。こりゃ、スマホなんかで読んだら妙な勘違いしかねんと感じたし、自分がどんな文章を送ったのかも読み返したかったから、はやる気持ちを必死に抑えつつ家路を急いだ。
帰って洗濯物を取り入れて買い物を片付け、夕食の支度をしたりと、家のことをぱっぱとすませ、鍋の残り物を飯にぶっかけた貧乏丼を慌ただしくかきこみ、歯をみがいてインスタントコーヒーをこさえると、ようやくパソコンにむきあうよゆうが出てきた。
まずは相互撮影の彼女から届いたメッセージを読む。
『実は、ネキから紹介されたときにもちょっとみたんですけど、おじさんの写真って被写体へのフラットな感覚があるんで、それすごく気になりましたし、気に入っちゃったんですね。文章もそうなんですよ。肉体関係があるふたりなのに、すごくフラットで心地よくて、つい読みふけっちゃいました。
おじさんはフラットな感覚ってのがよくわからないみたいだけど、わたしやネキにとってはすごく大事で、しかもカメラマンにはあんまりいないんですよ。カメラマンなんて、ほとんどが撮ってあげるとか、撮らせていただくとか、妙な上だの下だのの感覚がプンプンにおうんですよ。ただ、ネキは売れてるファッションカメラマンだとフラットな感覚で接してくれるって言ってたし、わたしもAVの宣材みたいに淡々と撮るのはノーストレスで嫌いじゃないけど、それってやっぱ作業みたいでバイブス上がらない。
それに、おじさんがブログでちょくちょく写心、写心って小馬鹿にしたり、おちょくってるの、すごく気持ちいい』
とりあえず、冒頭からしばらくはこんな調子だったからキセルが天井を向くんじゃないかと思うほど、自分でもやに下がっているのがわかる。けど、末尾にはきな臭い言葉、つまり『おじさん積極的というか、いきなり距離を詰めてきますね』なんて文章が確かに存在し、嫌な予感を振り払って自分が送ったメッセージを確認した瞬間、デレデレした気分は跡形もなく吹き飛び、ニヤけた口元も瞬間冷凍された。
……それではまた。あ、でも最後に。よければ、そろそろ通話しませんか? お話はとても面白いし、できればあなたの声も聞いてみたいので。ではではぁちゅ!……
あぁ、コピペだ……締めのあいさつだけのつもりだったけど……まるっとコピーしてたんだ。にしても『ちゅ!』はホンマにまずい。やらかした。
とはいえ、少なくとも返事はあったし、それもまともな内容だった。問題は、相互撮影の彼女が望む【フラットな感覚】から逸脱……してるに決まってるよな!
あの文章のどこにも【フラットな感覚】はない。とりわけ『ちゅ!』はまったく申開きできない。間違いコピペにしても、俺はコピーもとの文章をもっていて、それをひんぱんに参照、使用してるのも相互撮影の彼女には見え見えだったろうな。
やれやれ、さてどうしたものか。
キーボードに指を乗せながら、見慣れた天井を仰いで考える。このさい、なにもなかったていで返事を書くか? たぶん、そのほうがいいんだろうな。そこまで考えているのだが、それはそれとしても言葉が浮かばない。さて、そろそろ決心して、と思ったところで動かない指は動かない。
そんな調子で画面と天井を行き来する眼差しの片隅に、通話を知らせるポップアップが飛び込んだ。
発信元を確認もせず、俺は反射的に受信する。
「もしもし、はじめまして」
そこでようやく、俺は発信者のアイコンへ目を走らせる。
認識した瞬間【やはり】と思う反面、同時に【ほんまかいな?】と思う自分も存在していた。ともあれ、アイコンの主、つまり通話相手は相互撮影の彼女だ。
俺はろれつの回らない調子で「あ、どうも、どうも、はじめまして」なんて、間抜けな言葉を口にするのが精一杯だった。
「もしかして、おいそがしかったです?」
相互撮影の彼女が口にした気遣いの言葉は、ネットの流行語にまみれた昨夜のメッセージとは全く異なる、ていねいに相手をおもんばかる心遣いを感じさせた。
「あ、いやいやいやいや、大丈夫、だいじょぶ、いま、ちょうどお返事を書いていたところ。ちょうどよかったくらい。ありがとう」
相互撮影の彼女とは正反対に、俺はすっぱりテンパっている自分をさらけ出しながら、とにかく反応するだけ。
「よかった! わたしもお返事しよかと思ってたんです。でも、せっかくのお誘いだし、ゆうべ盛り上がったとき、通話に切り替えませんかって、よっぽど言おうかと思ったくらいなんですよ」
「あぁ、それはよかった」
「だから、ちょっと嬉しかったんですけど、あれはコピペでしょ?」
相互撮影の彼女が切れ長の目をすっとひらき、真正面から俺を眼差す。俺はただ口をパクパクさせるだけ。それでも、美人画から抜け出したようにはっきりした目元と、きれいに整った鼻筋をながめている間に、少しずつ少しずつ気持ちに余裕が出てきたような、そんな気になっていた。
「ふふふ、いいんですよ。気になさらなくても。むしろ、ホッとしたくらいです。もし、ちょっとでもガチ恋っぽかったら、そこでおしまいにしてます。それにしても、おじさんは自分で言う通りのアロマンティックポリなんですね。すごくよくわかりました」
言葉が出てこない俺を見かねて、相互撮影の彼女は言葉を重ね、話の流れを変えてくれる。
とにかく、よかった。
なにがよかったって?
落ち着いた大人の雰囲気を漂わせた女性だし、最初に思ったよりもまともそうだ。俺はあいまいにほほえみ、彼女へ次の言葉をうながす。なにせ、俺はまだ自分の言葉も、伝えるべきなにかも、持ち合わせていなかったから。
困惑気味の俺に、相互撮影の彼女は予想もしない言葉をぶつけた。
「おじさん、寺山修司はお好きですか?」
「はい? テラヤマシュウジ? いったいどこから?」
俺は再び不意を打たれ、思考も麻痺してしまう。
実のところ、寺山修司については名前しか知らないに等しい。ただ、寺山修司は森山大道などの著名な写真家と交流があり、自身も写真作品を残しているので、そのからみで資料は読んでいるし、多少は当時の発言なども把握している。
とはいえ、だ。
それは寺山修司の膨大な業績のほんのひとかけら。それも周辺、片隅のなにかでしかない。
「実はおじさんの記事ってめっちゃ寺山修司っぽいんですよ」
ますますわからない。
「申し訳ないが、わからないよ。自分は寺山修司の名前と、いくつかの言葉しか知らないんだ」
「アヒャヒャヒャヒャ、うひゃひゃ! えぇっ? マジすか?」
日本人形のように整った顔立ちがたちまち崩壊し、笑い袋やワライカワセミよりも凄まじい耳障りな笑い声が、ちっぽけなスピーカーを震わせる。ハスキーというよりも、酒焼け声に近い。俺の困惑はさらに深まり、うかつに眉をひそめないよう、あいまいな笑顔を作り続けるのも難しくなっていた。
ただ、同時に妙な仲間意識のような安心感も覚えていた。
まちがいない。相互無償の彼女は【こちらがわ】の人間だ。
だから、俺は身構えずなにも知らないに等しいと、落ち着いて口にできたと思う。
「いや、マジな話、言葉にしたって『書を捨てよ町へ出よう』くらいしか知らない。それに、短歌も小劇場演劇も興味がなくて、あ、映画も観てないや。街頭インタビューのテレビ・ドキュメンタリーはみたけど。むしろドラマは唐十郎が好きだったな」
「えぇ、そうなんですか? じゃ、別々の道から同じところに行ったんですね」
「寺山修司と? 俺が? それはどうなのかな?」
「いや、それだけ普遍性があるんですよ」
「なるほど。で、寺山修司っぽいって、どのへんですかい?」
「おじさんの文章って。物事の外側に立って考えようとしてる。そして物事に上下や優劣をつけない、持ち込まないようにしてる。そのあたり、かなり寺山修司ですよ」
ほんまかいな?
俺にはさっぱりわからないが、ここは話を合わせるしかない。ただ、相互無償の彼女が指摘した、俺の書き癖、文章の特徴には自覚があった。とはいえ、正直なところ寺山修司は無駄に晦渋かつ難解との先入観があり、また寺山の作品を理解しているのは自分たちと言いたげな愛好者の物言いや振る舞いも、あまり好ましいとは思っていなかった。だが、俺がいま喋っている相手は、紛れもなく熱心な寺山修司のファンで、おそらくは最上級の賛辞として俺の駄文を寺山修司の作品になぞらえている。
と思う。
しかし、深入りはまずい。
なにがどうまずいのか、それは全くわからない。ただ、今夜はさっさと切り上げて、寝ちゃったほうがいいんじゃないか?
そんな予感もこみ上げる。
なにがどうツボったのかわからないが、眼の前の彼女は俺を勘違いしている。でも、いまなら幸福な誤解のまま、真夏の夜の夢として逃げ切れるかもしれない。たとえ、撮影が流れたとしても。
そんな考えすら頭をよぎる。
でも、彼女はなにをどう誤解してるんだ?
そんな俺を置き去りに、相互撮影の彼女は急速にテンションをあげ、いっとき所属していた劇団の思い出から、演劇への傾倒、さらにはスタニスラフスキーと、好き放題に喋っている。よいのか悪いのか、俺も本で読んだり映画を観ている世界なので、相づちや生返事だけではない、ちょっとした返し言葉が口に出たりもする。もちろん、それが彼女の燃料になっているのも重々承知だが、さすが役者というか、飽きさせないのだ。
芸人よりうまいんじゃないか?
ただ、その彼女の巧みな話術をもってしてもなお、俺の反応はほころび始めていたし、そもそも昨日からあまり眠っていないのだ。いや、ここはいっそ寝落ちしたほうが、穏便に話を打ち切れるかもしれない。
しかし、そんな思惑を見透かしたように、相互撮影の彼女は強烈なネタをふって俺を覚醒させる。
「ところで、おじさんはわたしのAVって、みたことあります?」
「え? いや、ないです」
「ですよね。タイトル教えてもスルーでしたし」
「あ、いや、まぁ……」
「いいんですよ。それこそ、フラットな反応でしたから。それより、わたしってけっこうガチ逝きしてたんですよ。撮影中」
「え! あ! マジすか?」
完全に目が覚めた。
彼女が発した言葉は、俺の性的関心のど真ん中を見事に貫通していた。
くそっ! パスワードを入力されたような気分だ。しかし、どこでわかったのか?
まさかの偶然? それとも、推理できるだけのシグナルを送ってしまっていたのか?
俺が? 無意識に?
いずれにしても……いや、ここは乗るしかないんだ。
この話に。
「あはははは、目が覚めました?」
「うん、覚めました」
「でもですね、時間のあるときにレビュー観てほしいんですけど、だいたいぜんぶの作品に『演技しすぎてなえる』って書かれてるんですよ」
「うわぁ、それってなぁ」
「でしょ? ただ、マニアなんてそんなもんだし、それを書いてるのは特定の粘着ってわかってから、あんま気にしなくなったんですけどね。それはさておき、面白いと思いません? 本番やってるのに演技って」
「それはたしかに」
これまた目が覚めるネタだ。俺の最も嫌いな糞マニアの話。
「男優さんだって、ちゃんと射精してるんですよ」
かすかに口をとがらせた相互撮影の彼女に、俺は本気で同意する。
「うんうん。なんか、女優ばかり言われるんよね。演技って」
「まぁ、それこそ【義務と演技】ってドラマもあったけど、嫌な話ですよ」
「だよね。それに、ゲイビデオじゃ出ないからね。そういう反応」
「でも、ゲイビデオってところてんでしょ?」
「いや、そうとも限らないけど、でもまぁ、どっかで射精するから」
「うひゃひゃひゃ! どっか……ねぇ。って、おじさんゲイビデオくわしいですか?」
「いや、詳しいってほどじゃないけど、とりあえず観ていないわけじゃないよ」
「でも、そもそもノンケは観ようとも思わないでしょ?」
「うん、間違いない」
「おじさんはなぜ観たんです?」
「好奇心と、少しばかりの性的欲求」
俺は即答したが、相互撮影の彼女はほんの少し、意外そうな表情を浮かべた。
「ほんとにフラットと言うか、性的な事柄に後ろめたさがないんですね」
「いや、相手によりますよ」
俺は再び即答する。
「いやいやいやいや、たいていの人は相手によらず、どこかに後ろめたさを感じているものですよ。性的な事柄については」
「いやぁまぁ、そういうもんですね。自分だって、いちおう【感じているフリ】はしますよ。他人の目ってのを気にしなければならない世の中では、ね」
俺の言葉が回線を流れたとたんに、相互撮影の彼女はほんの少しばかり、切れ長の目尻をあげ、いらだちをおさえるような表情が浮かび、そして消えた。俺はただ相手の言葉を引き取り、返しただけのつもりだったから、この数時間で何度目かの不意打ちを食ったような気持ちがわいた。
さて、どうしたものか?
しかし、沈黙は続かなかった。
「おじさんって、本当に天然なんですね」
彼女は呆れ顔で話を続ける。
「ほとんどの人は【性的ななにかに関心を持つじぶん】を、自分自身で見下しているんですよ。そうでなくても、正しい性のあり方と、正しくないあり方ってのを作って、無意識のうちにそれぞれ崇めたり卑下したり、差別してるんですよ。わかるでしょ? でも、おじさんには【それがない】んですよ。世間の目じゃなくて、自分自身が内面化した【想像上のまなざし】なんですよ。それなのに、はぐらかすでもなく、さっきみたいに間抜けなセリフをはけるなんて、天然もいいところです。呆れました」
相互撮影の彼女は、甲高い声で早口にまくしたてながら、だんだん【こっちがわ】の顔つきになっていく。そして、彼女が口にする言葉からは、かつて【性の解放】がうたわれた時代の残り香が、いやもっとはっきり言ってしまうと濃厚な寺山修司くささがあって、むせ返りそう。
「つまり、俺は性的にフラットで、同時に自己を客観視し、それぞれが等価って、そう言いたいのかな?」
「そうです! そうなんですよ! めちゃめちゃ珍しい。おじさんみたいな人って、はじめてですよ。ネキが紹介するだけの人だった」
なんだかわからないが、とりあえずあいづちはうつ。
やがて、読書会に参加した作家自身か編集者のように「読んでください」と寺山修司の幸福論を画面に写し始めた。俺は「わかりました」と、その場で電書を購入し、明日には必ず読むと約束して、ようやくその日の通話は終わった。
案の定というか、予想通り『幸福論』は寺山修司お得意の、世間的価値観の前提を掘り崩すような語りで構成されたエッセイで、実際『思想の科学』に掲載されたコラムをまとめたものだった。ただ、相互撮影の彼女が『最低でもここだけは読んでください』と指定した【演技】の章は、俺の興味範囲とかぶるところもあり、なかなか刺激的な読書になった。というのも、俺の【物事の外側に立って考え、それらに上下や優劣をつけない、持ち込まない】書き癖を、彼女が寺山修司っぽく感じたその手がかり、考え方の土台がなんとなくみえてくるような文章がちらほらあり、少しづつ寝不足の脳にしみてくる。
そのうち【演技の思想とは、いわば「自分が何者であるか」を知るために、存在を本質概念に優先させようとする企らみである。しかし、この存在は常に醒めた演技生理によって自律されている】や、その数ページ後に語られる【大島渚の「絞死刑」という映画の中で、Rという犯罪少年が、ひどく滑稽に見えるのは、空想と現実との地平線を探しだそうとする、「醒めた眼」を持たなかったということである】のつながりなどから、相互撮影の彼女が【演技】の章を指定した意味、さらには【実世界と想像力世界とのあいだの境界線】というキーフレーズから、物事の外側に立って上下や優劣をつけない、持ち込まない俺の書き癖が【醒めた眼】へのつながるのではないかと、そんな考えも浮かびはじめる。
とはいえ、やはりいくらなんでも牽強付会に過ぎる。それに他の部分、とりわけ当時の寺山修司が前提としていた日本社会、また人々の意識や考え方が、俺にとってはどうにも古臭く思えてしまい、相互撮影の彼女を熱狂させたなにかは、結局のところわからずじまいだった。
どちらかといえば、相互撮影の彼女はサピオセクシャルだろうと確信したり、また写心なんて知性の欠片もない言葉を臆面もなく多用するカメラマンへの嫌悪が、それこそ【醒めた眼】を持たない滑稽さへの不快感やいらだちに端を発しているのではないかと察しがついたりと、彼女自身への理解が深まったように思う。
とりあえず、相互撮影の彼女が苛立つように、ほとんどすべてのカメラマンは空想に対する現実の優越を所与として疑いもせず、だからこそ写心なんて知性の欠片もない言葉を用いても、なんら恥じるところがない。そして、写真は現実そのものと驕っているがゆえに、取ってつけたような、いやまさしく単なるダジャレ、語呂合わせに過ぎない【真と心】なんて言い換えから、非物質的な存在まで【写真としての現実】に飲み込む、飲み込んでしまえると思うのだ。
しかし、それは寺山修司が【空想していたものが、いつのまにか現実になだれ込む無思想】と、これ以上ないほど明確に記していたように、現実が空想へ溶け込んでいく無様な倒置に過ぎない。
そんな具合に、通勤時間と昼休みを費やして寺山修司の幸福論を読み込んではみたものの、帰宅したころにはすっかり疲れ切っていた。連夜の寝不足だから当然だが、勤務中もやたらとぼんやりして叱責されるし、部屋に帰り着くまでメッセージが来なかったのも、率直に言って助かったと思っていた。
ところが人間なんて勝手なもので、簡単な夕食をそそくさと食べ、シャワーを浴びてもまだ音沙汰なしとなったら、こんどは来ないのが気になって仕方なくなりはじめ、しまいには不安にもかられてしまう。まぁ、相互撮影の彼女だって日常はある。たまたま明け方までのやり取りが続いたといっても、それだけでなにかが決まるわけでもないのは、そろそろ他人へ教え諭す側に回る歳だ。
そんなわけで、きょうは無しかなと、深夜アニメの見逃し配信を再生し始めた途端、画面に通知が表示される。もちろん、相手は相互撮影の彼女。まぁ、世の中そういうもんだと、アバンタイトルも終わっていなかったアニメを停止し、メッセージを表示する。
書き出しは『濹東綺譚、読みました。青空文庫にありました』だった。
……美しい物語ですね。でも、女を捨てる男が繰り返し出てくるところに、男は女なしでも生きていける、なんのかんの言っても世の中に居場所はある、潜り込める隙間はある。なのに、女は男無しで生きていけない、女が独りでは世の中に居場所がない、そういう時代の物語で、作者はそれに無自覚などころか、消極的ながらそれを当たり前だと思っている。疑問すら抱かない。そういう時代の限界を感じてしまいました。しかも、娼婦から持ちかけて男が逃げる展開っての、そこがずるい。反対に男が持ちかけていたら、そもそも女は断れない。断る発想もない。そりゃ、女が断ると小説として成立しないとも思いますし、あのように評価もされなかったのもわかります。でも、やっぱり多数派の身勝手な価値観ですよね……
こんな調子のかなり辛辣な評価だったが、それでも『永井荷風に興味を持ちました。すこし調べようと思います』とも書かれていたから、なにか響くものもあったのだろう。どちらかといえば、末尾の『仕事がすこし押し気味なので、しばらく低浮上とおもいます。落ち着いたらメッセ送りますね』が気になってしまう。
続けて明け方まで話し込んでしまったし、ちょっと迷惑かけたかななんて、そんな自意識過剰と同時に、体の良い逃げを打ったかなんて猜疑心まで湧いてしまう。どちらも間違いだろうと思う。経験的にもそうなのだが、どうにもこうにも止められない。難儀でつまらない人間だと、自分でも思う。
それにしても、相互撮影の彼女はどんな顔して濹東綺譚を読んだのかな?
ともあれ、返事は書こう。
あれこれ考えたが、荷風自身や作品への論評は避けつつ、彼には覗き趣味があって、自分の女に任せていた待合に覗き穴を作って客の行為を盗み見ていた話や、写真に凝って自家現像もしていたが、学生カップルに金を渡して本番写真を撮影していた他、娼婦のヌードも盛んに撮っていた話などでお茶を濁す。
評価を避けるあたり、どうにも自己保身の感じがして嫌だったし、エピソードを語るだけの返事も芸がないと思ったが、結局はそれで送信してしまった。
翌日、風呂から上がったら、携帯に通知が表示されている。
案の定というか、相互撮影の彼女からメッセージが届いていた。
「おいおい、半日でも間が空けば低浮上なのかい?」
つい、茶化したくもなる。だが緊急事態、もしくは多忙ゆえのキャンセルもありえると思い至った俺は、真顔でスマホをみつめている。
しかし、表示された文字列は撮影のアイディアと永井荷風、いや荷風ファンへの怒りに満ちた罵倒、そして末尾の『こんどこそしばらく沈みます』なんて、しなくてもいい宣言だった。
ふと、自分のアカウント削除宣言を思い出してしまい、意味もなく気恥ずかしさがこみ上げる。
ともあれ、自分も真面目に撮影内容を考えねば。そう思いつつ、メッセージを読み返しながら、彼女がボロクソにけなす永井荷風ファンの有り様にいちいちうなづいたり、寺山修司ファンも似たようなものだろうと、腹の中でツッコミを入れてしまう。
……お返事ありがとうございます。突然ですけど、テーマが降りてきちゃったんで、忘れないうちにメッセージします。虚構と現実でいきましょう。ベタですけど、寺山修司を読み返しながら、やっぱりこのテーマしかないって確信しました。具体的な手法や内容については、できればおじさんといっしょに詰めたいんですけど、虚構と現実をテーマに制作する気持ちが固まってます。
それから、エピソードありがとうございます。ぶっちゃけ、作家とか創作者のエピを語って悦に入るオタクって大嫌いなのですけど、今回は助かりました。なにせ、永井荷風を検索したら、ファンと称するクズどもが作家をダシに自分語りしてる、胸糞悪いゴミ情報ばかりヒットしちゃって、うんざりしてたんですよ。それも、作品ですらなくて荷風自身を持ち上げて、その生き様がなんとかって自己投影してるんですよ。
キモくないですか?
被写体をダシに自分語りするカメコもうんこだけど、荷風おじはもっとひどい。
とにかくキモい、いますぐ死んでほしい。
そびえ立つクソの山でした。
おじさんにはそういうところがなくて、助かります。ちょっとくらいのオタク仕草は見逃してもいいって思いました。なにしろ、情報がいちいちクソ山に埋もれてるから、手を突っ込むどころか直視もできなかった。
そもそも荷風の粋って金持ちの贅沢だし、それをお金も教養もないふつーのおっさんどもが自分に引き寄せてる段階で滑稽なのに、挙げ句の自分語りでしょう。もうキモい、キモい、それこそ【空想していたものが、いつのまにか現実になだれ込む無思想】でしかない。ただ、おかげで自分もやりすぎたか、マンネリ化かもって思って遠ざけていた、ベタベタのテーマに再び取り組む踏ん切りがついたんだから、おっさんどものキモいエントリも、役に立つときがあるんだね……
とまぁ、こんな調子だったが、気持ちはわかるというか、心底共感するし、ほぼ丸ごと同意する。ただ、それを写真でいかに表現するか?
だよな。
ただ、それについては、どうにもよい考えが浮かばない。丸投げされると嫌だなぁと、そんな漠然とした不安がよぎる。
いや、ちょっと、まてよ。
ワイの撮影や! ワイが思想とかコンセプト考えないかんのや。
じぶんで!
さて、どないしよ?
ワイの撮影も虚構と現実?
え?
それは違うでしょ。安易に乗っかりすぎ。
しかも、先に俺が撮るんやで。
まてよ、じゃ俺のテーマは?
自問自答しつつ、ふと我に返る。
べつにきっちりプロジェクトにせんでもえぇんちゃう?
せやった!
とはいえ、相互撮影の彼女が設定したテーマ『虚構と現実』は、自分も大好物で、可能なら乗っかりたい。文章からしても、むしろ乗っかってほしそうな気さえする。ダメ元でテーマの共有を頼んでみよう。
そんな感じで、テーマの感想を述べつつ、最後に自分の撮影でも共有させてほしいと書いて、送信ボタンをクリックして即パソコンをシャットダウンし、携帯の通知も切って寝た。
翌朝は通知がなく、仕事を終えて帰宅してもメッセージは届いていなかった。夕食の後でシャワーを浴び、パソコンを開くと、相互撮影の彼女からメッセージが届いている。週末だし夜ふかししても大丈夫と思いながらも、深呼吸して本文を開いた。
……テーマ共有は了承。作品公開時にはクレジット表記をお願いします。週明けまでリプできないけど、具体的な手法や内容についてはすべてお任せします。おじさんの作品ですしね。では……
拍子抜けするほど、あっさりしている。
とはいえ、だ。テーマは共有させていただくとしても、確かに『おじさんの作品です』から、俺が自分で考えないとなにも始まらない。それでも、テーマが先にあるのはすごく助かる。なにせ、自分はほとんど強迫観念的に制作し、その集積からテーマが立ち上がるのを待っているから、テーマ先行の制作はあまり得意としない。だけど、その場のノリと勢いにしても俺が決めたのは確かだし、たまにはいいかなとも思いはじめていた。
テーマは『虚構と現実』で。
表現手段は『写真』だ。
問題はそれぞれをつなぐ説得力だ。
とりあえず、週末を使って構想を練ろう。美術館や写真ギャラリーで刺激を得るの悪くない。そう思いながら、俺は本棚の写真集を漁ったり、ネットで展示情報をチェックしはじめる。
週末は本当に写真集をみたり、美術館やギャラリーのはしごなど、とにかく情報の吸収と思考の活性化を図って過ごした。とはいえ、たかだか一日二日で冴えた発想が浮かぶはずもなく、部屋でなかばやけっぱちに『ミロスラフ・ティッシー』の写真集をめくりながら、ふと『ダーガーといいティッシーといい、ど真ん中の性的妄想、性的フェティシズムが、なぜか芸術的に評価されている。フェチとアートの明暗境界線って、いったいどこにあるのだろう?』なんて、これまたでっかい疑問が湧いてしまう。
ただ、同じ作品でも文脈で評価が変わる胡散臭さ、芸術権威ってのは、フックになるかも知れない。
そんな考えをひねくり回していると、不意にひらめいた。
【覗き趣味の客向けに『盗撮画像』をこしらえる裸族のキャスト】
ただ、これは俺がそのまま撮ったら台無しというか、わけがわからなくなる。だから、たとえばモニタを用意して、撮影画像をチェックしたり、編集する姿をちょっとドキュメンタリータッチで仕上げられないかなと、そんなイメージが、俺の中で形成され始めていた。そもそも、ドキュメンタリー自体が、ややもすれば覗き趣味っぽくなる。
自分でも多重メタ構造でめんどくさそうと思ったが、思いついた勢いで構想メモを書き散らし、あまり推敲せず相互撮影の彼女へ送信した。
週明け月曜日、帰宅途中の通知で彼女から返答を把握する。帰宅してメッセージを確認すると、ただ『通話したいので、都合良くなったらメッセージください』と、簡潔に要件のみ。月曜に通話かぁと思わなくはなかったが、受けるしかないよな。夕食だのシャワーだのはできるだけ手早く済ませ、パソコンを立ち上げインカムをつける。
『通話できます』
メッセージの返答は着信通知だった。
型どおりの挨拶から、ざっくりと近況報告。と言っても、週末なにしてたとか、その程度だ。そして「メッセ読みました」から、ひとことでバッサリ。
「ベタやね」
ベタという反応は、ほんのちょっと意外だったけど、それでも『虚構と現実』ってテーマに対しては、ベタとしか言いようがないのも間違いなかった。
「え? あぁ、でもメタ構造って好きなんよ」
そして、反射的に口をついた言い訳に対して相互撮影の彼女がみせた反応もまた、俺の予想から少なからず外れていた。
「わかる」
だが、俺が『ありがとう』というより先に、彼女は致命的な疑問をぶつけた。
「でも、そういうのって、たいてい自撮り。いや、動画のほうが面白くない?」
モニタの中で、相互撮影の彼女は挑発的な笑みを浮かべる。あぁ、こいつは引いたら負けの勝負だ。しかし、どうにも俺は突っ張るってのが苦手で、気がつけば煮えきらない言葉が口から溢れ出る。
「凝り過ぎとは思う」
「アヒャヒャヒャヒャ、うひゃひゃ! 凝り過ぎとか、そういう問題じゃないっしょ? ほんと、おじさん天然ですよ。でも、いいや。それ乗った!」
いつか聞いた、笑い袋やワライカワセミよりも凄まじい耳障りな笑い声が、今度はインカムのスピーカーから俺の耳へ突入してきた。
「でさ、クソ客からぶんどったスパイカメラ、あるんだけど」
「マジか? すごいな。でも、この場合、そういうリアリティはいらないような……」
そう、俺のアイディアは【覗き趣味の客向けに『盗撮画像』をこしらえる裸族のキャスト】だから、ここでブレるとまずい。それは、相互撮影の彼女にも即座に伝わった。
「あぁ、うん。でもさ、画像には興味あるでしょ?」
「ある! けど、いいの?」
「おじさんならね」
「ありがとうございます」
そしてじゃれ合うような馬鹿話へとなだれ込み、気がつけば日付も変わっていた。
翌朝、どうにかこうにか出勤し、大きな失敗もせずに退勤までやり過ごせたのは、われながら大したものだと思う。帰宅してからはシャワーや夕食の合間にも撮影プランを練ったり、必要な機材などリストアップして、相互撮影の彼女へ送ると、返事を待たずに睡眠を取る。予想というか、期待したとおり、翌日には彼女のコメントが寄せられている。
翌日もそういうやり取りがあり、翌々日も。
やがて、新しい日課になった。
俺は撮影プランを修正したり、スタジオ代わりの部屋をチェックするなどして、単なる思いつきから具体的な撮影計画を固めていく。メッセージだけではなく、週末や、俺に余裕があるときなどは通話もして、テーマである『虚構と現実』の認識をすり合わせ、同時に撮影の段取りを詰めていく。
そんなやり取りがしばらく続き、やがて撮影の日を迎える。
当日、俺は撮影に使う事務所でモニタなどを設置したり、採光を確認して相互撮影の彼女を待つ。
モニタの映像と彼女を同時に、それも明るさをそろえて撮影するのは、最初に考えていたよりもずっと、ずっとめんどくさかったけど、単純に部屋を暗くして切り抜けられないかと思っている。ただ、おかげでストロボは使えなくなり、三脚をフル活用しなければならなくなったのは、やはりちょっとめんどくさかった。
まぁいい。始めてしまえば夢中になる。めんどくさくなくなる。
自分に言い聞かせながらセッティングをだいたい終えたところ、ようすをうかがっていたかのように彼女から到着のメッセージが届く。いや、すでに約束の時間だった。俺はあわてて最低限の身支度だけで、相互撮影の彼女を迎えに出かける。
彼女とともに部屋へ戻ったら、打ち合わせしていた開始時間をとうに過ぎている。
時間の計算間違えたかな?
焦る気持ちを抑えて「ひと休みしてから撮影にしますか?」と、彼女にたずねたら「いや、すぐ始めましょう」と即答だった。そのまま「荷物と服はどこにおきます?」なんていいながら、景気よく脱ぎ始めた。
「どうせ、全裸でしょ? ランジェリーなんて、まだるっこしいの撮らないでしょ?」
俺は服を入れる洗濯かごを用意しながら、うん、うん、とうなずくばかり。
「実はさ、きょう、この後が入っちゃったのよ」
「まじ? じゃケツカッチンやん」
「そなのよ。急に決まっちゃってさ。ごめんね」
「有償?」
うなずく彼女に「とりあえず、まきで行くわ」と、ちょっと大げさなジェスチャーで応える。先にコンデジで彼女の盗撮画像を撮っておかねばならないが、いまごろになってナニも考えていなかったんだと気がつく。
そもそも、盗撮なのにやたらはっきり写ってるのはどうなのか?
いや、モニタへはっきり写ってないと、画像処理しててもわからない。だいたい、最近はコンデジで盗撮しない。まぁ、いいや。なにもかもフェイクだから、むしろリアルがいらない。問題は、背景か……。いや消せば、消してる設定でえぇんや!
そんなわけで、コンデジの撮影を始める。
「ポーズはどうします?」
「いちおう、ドレッサーに設置の体裁で胸とか谷間からいきますか?」
「うむ、頑張って寄せるわぁ」
「いや、そういうわけじゃ」
「わかってますよ」
あくまでも【素材】なので、数ショットあれば足りる。胸とお尻をぱっぱと撮って、加工用のパソコンへデータを移す。
「データを移して加工する間、休憩にしましょう」
「撮影に使うパソコンは違うの?」
「うん、加工はノート機で、撮影はデスクトップ機。画面にはマウスとキーボードだけのつもり」
「まだるっこしいな」
眉間に縦皺をこしらえながら、相互撮影の彼女はめんどくさそうにつぶやく。
「わたしのパソコンでちゃっちゃと作業しちゃうから、その間に露出とかテストしちゃいなよ」
言い終わるか終わらないかのうちに、彼女は自分のキャリーカートからゴツいノート機を取り出し、起動させると「データ頂戴」と催促する。俺は『終わりが決まってるんだった』とひとりごち、相互撮影の彼女へメモリカードを渡した。
彼女は言った通り、俺がカメラのセッティングを確認している間に画像の処理を終え、ノート機を抱えて「ケーブルはどこ?」と繋ぎ変える。相互撮影の彼女が処理した画像を全画面表示すると、いよいよ本題の撮影を始めた。
まず、彼女の手元から胸元で画面を構成して、数枚撮る。次に背後へ回り、背中からやはり数枚撮った。そうして、こんどは体を開くように斜めにして、画面の明かりで胸を照らすような感じにして、また数枚撮る。なんだか、左手を机の上においたまま、体だけカメラに向けてインタビューに応じる学者だか起業家みたいな、明らかに不自然な体勢だけど、写真としてのおさまりはよさそうだった。
「ここまで来ると、もうフェイクもいいところだねぇ」
相互撮影の彼女も、さすがにちょっと呆れ顔だ。とはいえ、あとは上下で変化をつけるくらいしかなさそうだけど、机の上や天井が写り込むのはよろしくなかった。
「そろそろネタ切れっしょ? 立とうか?」
彼女もすっかりお見通しだ。しかし、相互撮影の彼女はアンダーヘアを完全に処理していたので、単にのっぺりした下腹部が画面の半分ぐらいを占める……いや、後ろだな……尻はどうだろう?
「せやな、立って後ろ向いてくださいな。お尻を撮りますわ」
彼女は笑いながら立ち上がり、後ろを向く。俺はうす灯りに照らされたお尻を撮りながら、スラングのムーニング、尻を車の窓に押し付けたり、窓の外へ突き出すいたずらを連想していた。
確かに尻は月に見える。
すると、相互撮影の彼女は俺のこころを読み取ったかのようなタイミングで、すっとかがんで尻をぐっと突き出した。俺は声に出して笑いながら、ビシビシとシャッターを切った。
「面白かった?」
「ワロタ」
ネットスラングで答えたものの、ファインダ越しにみえるのは滑稽さと非現実的な美しさが同居した、奇妙な景色だ。もしかしたら、イケるかも知れない。そう思って、さらにシャッタを切ったところへ、彼女はぐっと前かがみになり、局部もあらわになる。
「やり過ぎ」
「えぇ、みえるからいいのに」
たしかにそうなのだけど、みえてしまうと発表する媒体が限られてしまう。不合理でくだらない法律といえば、間違いなくそのとおりなのだけど、文字通りの意味で悪法なりとも法なのだ。そして、俺はもう数枚撮ると「オッケーです。休憩にしましょう」と声をかけた。
「画面がみえてるときはね、画像をチェックしてたの。まじで作業してるみたいに」
「そなんや。顔も撮っておけばよかったかな?」
「いや、そういう問題じゃないんだけど、でもわたしの眼差し、気持ちとしてはガチで作業してた。作業してるふりじゃなくて」
「作業してるふりじゃなくて……か」
思わず彼女の言葉を繰り返してしまう。
「本番しててガチ逝きしててもフェイクって言われる女だけどね」
「それ、パンチラインじゃん。こんなところで出すネタじゃないやろ」
自分でもびっくりするほど、スラスラと言葉が出てきた。
相互撮影の彼女は例のワライカワセミみたいな哄笑を部屋中に響かせながら「おじさんもいうねぇ」と、アイコンタクト。そして「お芝居のメイクしてるときって、演じる役ヘ没入してるんだけど、役と同じにはならないし、しない。そういうの、わかる?」なんて謎をかけてきた。瞬間、俺の中でめんどくさいなって感情と、なにかうまいこと言って感心させたいなんて下卑た欲が交錯して、気持ちが落ち込みかかったところ、不意にひらめいた。
「それ、外側の話やろ。物事の外側に立つ話」
「エクザクトリィ!」
なんだか、気分はもう撮影どころじゃなくなったけど、もう少し稼がないと作品としてまとまらない。相互撮影の彼女に「もう少し撮らせてくださいな。数がまとまんなさそうだから」と告げたら、しょうがねぇなぁと言わんばかりに立ち上がり、腰に手を当てながら「じゃ、マングリ返しでも」なんて煽り始める。
「いや、むしろ局部は隠してください。お芸術ヌードなんで」
俺の言葉に、彼女は「ふん!」と鼻を鳴らした。
とりあえず、カーテンをちゃっちゃと開けて自然光を取り入れつつ、差し込む向きや角度をみて、ぱっぱと撮影ポジションを計算する。気分を再び撮影モードへ戻せるか、ぶっちゃけわからないけれど、相互撮影の彼女はそろそろあとがない。切り替えて……切り替えられなくても、撮れるだけは撮る。
そう腹をくくって、彼女にポジションを指示した。
相互撮影の彼女はというと、流石に切り替えが早い。すでに被写体モードで、いつでも来いと言わんばかりだった。そうなると、俺のテンションも自然と上がる。
自然光でパシパシ撮って、まず俺好みのカットを確保する。それから、残り時間を気にしつつ、ストロボ直あてのゴリッとした写真を撮った。ストロボ撮影の方は、正直なところ結果が全く想像できない。しかし、確認して修正する間もなくタイムアウト。
相互撮影の彼女は服を身につけて簡単に化粧を直すと、ものすごい勢いで荷物をまとめてタクシーを呼び「見送りはいいから」と明後日の方向へ言葉を放りだし、夜逃げのような素早さで部屋を出ていった。
その後、部屋を片付け、撮影画像を処理した。
どうも、納得いかない。
とはいえ、ボツにするほどひどいわけでもない。
違和感を押し殺して処理を終え、組み写真としてまとめると画像アップロードサービスへあげ、リンクを相互撮影の彼女へ送った。
翌日、彼女から感想が届いた。
……なんというか、考え落ちでしたね。ひねりすぎとも。言っちゃうと、テーマを意識しすぎて、写真としての表現がぎこちなくなってる。ただ、最後に撮った自然光とストロボの対比は良かったです。また、ぜひ撮ってください。さておき、おじさんは撮影時のテンションが画面に現れちゃうほうなんですね。それこそ写心じゃないですか?……
なんてひどいアオリだ!
クソ! この汚名はなんとか返上せねばならん。
了
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