帰国子女ユンセリ〜輝きから転落人生へ~
実はこのアカウントはサブ垢でした。フォロワー8000人のアカウントが突然凍結。2019年9月末、メインアカウント凍結と同時にこのサブアカウントを動かし始めました。その時点のフォロワーは、たった50人程度。 2ヶ月半の超短期間で、どのように50→7000人越えにフォロワーを増やしたか‼️ 誰のノートでも教えてくれない。 インターネットにも書いていない。 絶対口外禁止の秘密を全て伝授します。
2018年の記事を改めて書き直しました。 一級建築士の父、銀行務めの母。 いわゆるエリートの家に生まれました。 当時父は今でも5本の指に入る大手企業で働いていたので、かなり裕福で私は習い事に追われる日々。遊ぶ時間などありませんでした。 人生が逆転したのは、父が同僚と独立して設計事務所を立ち上げ 最初は順風満帆。 社長の娘ということでみんなから可愛がられました。 しかし、同僚(共同経営者)が、数千万というお客様のお金を横領していたことが発覚し、会社が倒産。 それから
とても久しぶりの記事になります。 以前のキラキラ輝くように見えた人生とは 全く違う人生を過ごしています。 昔、私は趣味で始めたブログが大人気になり収益もかなりありましたが、私のブログは 日々の事を書いていた素朴なブログであったにも関わらず、気づいたらアンチの餌食になっていました。
別々の道を歩もうか 悩んだ2人がいる お互いを心の底から愛しながら 別々の道を歩み始めた 会えなくても お互いの身を案じ お互いの幸せを願い そして 今日という日が来て 離れられない運命に 気づいた2つの心が 再び輝き始めた
あなたは私が持っていない全てのものを持っている。 私がどんなに努力しても到底真似できない文章力や、知性、会話で人を魅了する力。 少しでも近づきたい・・・ 今はそう思う。 そしてありがとう。 全てに。
何も言わず 君を送り出した 季節は変わり 2度目の夏 どうして私はあの日 あの時 あの場所で 愛が何かを教えてくれて ありがとうと 愛してると 行かないでと ごめんねと 言わなかったのだろう もう遅いのに 間に合わないのに 過ぎた時間は 戻ってこないのに 私はまだ あの場所から 進むことができない きっと ずっと ずっと 一歩も進めない ・・・・・・・・・・thinking・・・・・
今日は英才教育について書いていきます。 私はまだベビーチェアに座っていた年齢から食事の時には必ず英会話を聞かされていた。 小さな子供にとって、その英会話は子守唄にしか聞こえなくて、眠くて眠くて食事が苦痛だった事を未だに覚えている。
時間は止まらない。 時は止まることなく過ぎていく。 友人達は、自分が年齢を重ねていってる実感があるという。 私には全くない。 実感が・・・ 「みかちゃんは、お花畑に生きてるな」 そう言われて その通りだと思った。 でもこのお花畑も時には苦しい。 365日24時間、笑って過ごせる そんなお花畑じゃない。 最近 風船が「パーン」と弾けた 旧正月も海外で過ごそうと 明日から海外滞在の予定だったのに チケットもキャンセルした。 待っててくれたみんなに
同じ事の繰り返し そんな日常がしんどい それは誰の為なんだろう 夢はあっても 果てしなく遠く 辛くて 孤独を感じる時 空を眺めてみて 同じ空を 同じ気持ちで 眺めている 誰かが 必ずいるから
日韓仲が悪くて、日本人である私から見ると韓国という国は好きではない。 政治的レベルではなく国民レベルで考えると私は韓国人は情に溢れていて日本人と似た部分もたくさんあると感じる。 そもそも、この韓国ファミリーとの出合いはソウル経由、シアトル行きの飛行機の中だった。 偶然横に座っていたのが韓国人夫婦でシアトルに住んでいる娘夫婦を訪ねるとこだった。 ふとしたことから、旦那さんは高校で英語の先生をしてることが分かり、「英語をたくさん話したい。会話する機会はあまりないから」と約
実は、病気を患ってます。 完治もない。 難病指定のリストにも入らない。 希少過ぎて、研究も進まない病。 大学病院でも対応できないくらい難しい病気ですが、私は幸運なことに、その道の研究者、兼医者と出会うことができ、ずっとずっと診てもらっている。日本でも少ない名医だ。 外見は普通に元気な人に見える。症状がおさまってるときは自由気ままになんでもできる。 だから、まさか私が完治しない病気を患ってるとは誰も想像できないと思う。 悪化、寛解を繰り返す。 悪化すると、痛み、熱、血
3ヵ国語を話すと聞くと、みんな私をお金持ちのお嬢様で留学も親にさせてまらってって思われがちなんだけど、実は真逆。お金がないからバイトを数年して、渡米した。