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型のない文章を、言葉を、紡ぐと言う欲求

自由な形式で書く文章というものから、だいぶ離れていた気がする。

ライターとして活動し、そのほかも色んな「仕事」や「活動」や「事業」を広げていたいま。ふと見つけた過去の自分の記事を眺めていたら、そんな問いに当たってしまった。
https://note.com/mlf/n/n051eb3d9cdde
私は、「書く楽しさ」を忘れてやいないだろうか、ということに。

書くことの楽しさは、そう、ありあまるほど挙げられる。
何か魅力のあるものを、自分がセレクトした言葉で伝えるのも嬉しいし、伝わっていないものを丁寧に編み直して誰かに届けるのもいい。けど、もっと生生しい、内側を伝える喜びというものも、やっぱり欠かせない「書く魅力」の一つだと思う。

「伝わる文章」には、ある程度の型がある。

共感して、丁寧に説明して、魅力ポイントをわかりやすい言葉で並べて、そしてやさしく結論を言う。駆け出しライターとして走り出したあの頃に身につけた「ライターとしてのきほんの『き』」は、いまだに私の中で根付いている。し、その型に助けられたことなんて、数えきれないほどある。


でも、だからこそ、あえてその型を崩すこともしてみたい。

何かに出会った時の感動を、そのまま綴る。
自分の中で何かを取り込んで、うまく消化できないままの時に浮かんだ言葉を並べてみる。
誰かのためではない文章を、いつか見返して自分が「くすっ」となるために保管しておく。そんな気持ちが近いかもしれない。

ありのままを、素直に、生っぽく。
そんな言葉を少しずつ、ひっそり愉しみとして貯蔵しながら生きるのも、悪くない。

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