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感動の本質は、ライブ感にある

未だに、この世界で心が痺れるような体験は、きっとリアルでしかできないと思っている。

私たちは、手軽に仮想現実を手に入れられるようになった。
身近な仮想現実は、SNS。リアルで体感した何かしらを、自分なりの”フィルタ”をかけて”切り取る”。切り取られた一枚の写真や動画は、自分の世界観を作ったり、誰かの共感を生むことができる。
もっと今っぽいところなら、ゲーム。
最近見つけた「もう一つの世界で生きなさい」といったとあるゲームのプロモーションメッセージに、なぜだかすこし恐さを感じた。そうか、仮想現実が充実した今ならば、難しいリアルな現実なんて、生きる必要すら減らしていくのかもしれない、と思ったのだった。


リアルな現実は、しんどい。

自分の思うがままにできない対人関係や、自分の望む環境が手に入らないじれったさ、これでもかと見せつけられる周囲との格差、我関せず、と思っていても、自分の心を乱される要素が溢れている。
ゲームのようにリセットできないし、頭を抱えるような失敗もすべて受け入れなければ進んでいかなければならない。
(と、小さい頃ゲームでよく遊んでいた私は、しばしば思っていた)

それでも、真に心が震えるような体験は、やっぱりリアルじゃないとできない。いや、リアルでしかできない感覚が、最高だと思える自分でいたい、と思う。


先日、とあるイベントにいって、二種類のパフォーマンスに、心が引き込まれていた。
イベントは、650名が集まる地域の一大イベント。


一つは、高校生のプレゼンテーション。
きっと初めてステージに立つであろう高校生が、パワーポイントのスライドとともに、自分の学校の魅力を精一杯プレゼンテーションするステージの一幕。
ステージに立ったあどけない高校生。きっとこんな場に立つなんて、これまでにないし緊張するだろうなあ・・と想像し感情移入しかけた、その時。雰囲気に似つかわしくない堂々とした、まるでアナウンサーのような流暢な喋り。作り込まれたパワーポイントと、練習し尽くされたような語りぶりは、まだ高校生なのにプロ意識がにじみ出ていた。

もう一つは、シンガーソングライターさんのアコースティックギターのソロライブ。
誰もが知っているカバー曲や、地域の想いを歌い上げた曲。アコギのメロディに乗せて歌われた声のエネルギーに、1000名規模のホールの会場の空気が圧倒されていた。その人の魂の叫び、そんな言葉がぴったりはまる圧巻のライブ。歌の歌詞がこんなにも心にズシンと入り込むライブなんてあるんだ、そんなことを思った瞬間だった。

聞きながら、体感しながら思ったことは、どちらも、きっと動画で聞いていたら、気付けなかった、ということ。

それは伝わる緊張なのか、どこか共感して応援したくなる感じなのか、その場の空気の振動の渦に巻き込まれていく感覚なのか。どの要素が最も起因するのかはわからない。そのひとの存在をリアルで感じながらパフォーマンスを見るというのは、どんなに貴重で感動的なことなのか、ということを思い知ったのだった。


これまでこういった「ライブ」的なものを、主演者が豆粒みたいになっている距離でしか見たことがなくて、どこか「ふーん」的な感覚しかなかったけれど。その回は主催の方の取り計らいにより、最前列で見ることができた。
きっとライブの面白さは、その人の存在を感じながら、その人の生きるエネルギーを体感することにある。今回のステージは、1対1にはおさまりきらない、1対多でも負けないパワフルなパフォーマンスにも、きっとひとは魅了されたのだと思った。


楽しいことが無限ループできる、バーチャルの世界。その中であえて選び取るリアルだからこその価値。

せっかくこのリアルな世界に生きているのだから、ココロを震わせるような体験をしたい。そして、それを与えられるような人でありたい。スマホも便利、仮想現実だって楽しい。それでもやっぱり、この世に生身で生きているのだから、それであることを誰よりも楽しみ尽くしたいと思う人が増えたらいいな、と思うのでした。


きっとわたしたちの人生は、毎日がライブなのだから。

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