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消費の空気を読む

今日のふとした仕事中のワンシーンで、心に引っかかったので、書き留めておく。

「買うこと」がちょっと複雑になったな、と最近思う。

この感覚を、どう表現するのかとても迷った。難しい、時間がかかる、じっくり考えた上で、いろんなそれを取り巻くものの背景も見て、など。なんだか、一言でいい尽くせない感覚。

とにかく、買うという行為を細かく分解するに、それを意志決定するまでのまつわる変数がすごく、すごーーく、増えた気がするのだ。

・ああっ!かわいい!もう、ほしい!気分が上がる。
・うわ!すごい素敵!これを買ったら、こうなれるし。でも、待てよ…

昔は(いや年齢もあるけど)、前者が多かった。でも確実に、年々後半になる確率が増えている。「でも、待てよ…」が多すぎて、全然購入に至らない。前はもっと、何も考えずに買ってた。数百円はそう思いにくいけど、数千円、万単位になると、さらにその傾向が増す。


ということで、何かを買う時に、きっと最近増えたであろう変数を列挙してみる。これを読んでくれたみんなはどうだろう。

・持ち物のなかでどんな存在になるのか?よく使えるか?それとも飽きて、残念なことに1ヶ月くらいですぐ色褪せるものなのか。

・これを使い終わったり飽きてしまった時に、そのものの最後はどうなるのか?ゴミになるのか、それともリセールして高く売れるのか。

・これを買うと、どんな人が喜んでくれるのか。そのひとやことと、どんな関係性になるのか。

・そもそも、そのものって自分がほんとに好きなものなんだろうか?自分の目指す方向に本当に必要なんだろうか?目の前のインパクトに負けて、一時的な衝動の欲望なのか。

・買うことで発生する義務や、しがらみはないか。かならず身につけなきゃいけない、年に1回挨拶をしに行かなきゃいけない、それを買うことでメンテナンスに時間をとられたりなど、見えていないものはないか。

・それを買うのは、今がベストタイミングなのか?もっとお得に理性的に買えるタイミングがあるんじゃないのか。もう少し待ってみたら、いい買い時に出会えるんじゃないか。


とにかく、どんどん容易に買わなく、いや、買えなくなってきている気がしているのだった。私が考えすぎなのかもしれないけど。

〜〜〜

コロナ禍で、「ものを持ちすぎている」とか「本当に自分にとってこれっているっけ」と、家と自分の所有物と向き合った人は多いと思う。自分もその一人。

だけど、先に述べた感覚は「ものが多い→なんか邪魔だから減らそう→新しいものも買うのを控える」というそんな単純なものではなく、なんかもっと本質的なものな気がしている。コロナを経て、一つ一つの消費の精度が上がっているような感覚になっている。

DtoCのブランドの盛り上がりも、サブスクサービスの活況も、インスタグラマーの出すブランドの服も、全体としては必ず背景が一本でつながっていて、自分がいかにそれを生み出す人たちとコミュニティを継続したいものであるかというのが、それぞれの消費に濃淡はあれど潜んでいる。

ちなみに、コミュニティの概念は、ただの仲良しグループという意味じゃない。同じ目標や、未来や、ビジョンを見て、共感して、その実現に向けて動き出す。SDGSもコミュニティなのかもしれない。



だから、私は今、簡単に買えなくなっている。

もったいなくて時間を使いたくない、そうじゃない。それぞれのものに、ことに、ひとに、丁寧にしっかり向き合いたいし、愛したいからこそ、自分が愛せるものを、愛せる数だけ、手元において生きたいなと思うのだ。そんな心の変化が、きっと消費やお買い物にも出る。これから、どうなるのだろう。

何に心を動かされ、何を買うのか。そこには生き方が透けて見える気がするから。その風を、読み解きたい。


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最所あさみさんの、「知性ある消費」という言葉も、非常に気になっている。

https://note.com/qzqrnl/n/nc32cc1689cda

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