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「得体の知れなさ」のあるひと

ふと、ついこの間ワイン片手にふわっと頭によぎったことを、久しぶりにnoteにでも気ままに記してみよう、そう思ったのでつらつらと書いている。


やりたいことも、理想も、色々追いかけて、追いかけ尽くして、今思うこと。それは「得体の知れない人」になりたいな、と思うことだった。


いまは、いろんなことが透明性に溢れている。

SNS、音声、動画プラットフォーム…その人のその人らしいことがいつでもどこでも見れる状態で、なんなら見た目だけじゃなくて、言葉にして整えたら「思い」も可視化されるし、いろんなものが筒抜けな世界。個人だけじゃなくて、会社もチームも、「わかりやすさと伝わりやすさが正義」。そんな流れが長かったように思う。ステートメントで方向性を社会に提示する、そんな仕事もたくさんした。

なんならビジネスするにはそっちのほうが都合がいいし、共感されやすいし、見える化したほうが、都合がいいことはたくさんある。


でも。
でもね、敢えて言いたい。
心の中に住むあまのじゃくな小さな私はふと思ったのだ。


そんなの、面白くないんじゃない?


そう、「得体の知れない人」。
それが一番甘美で魅惑的なのかもしれないな、いうこと。


人が魅力を感じること。それって、何か才能らしきものがあったり、その人の個性が光るものだったりすると思うんだけど。

不思議と、わたしはその中で「よくわからないその人のブラックホール」みたいなものに、なんとなく引き寄せられてしまうのだ。その人の持つ本質、というきれいな表現より、その人の底知れない“何か"と言った方がしっくりくるかもしれない。

なんかよくわかんないけど、その人が突き動かされてしまうこと。動機なんてうまく説明できないけどやっちゃうこと。変態性。「お行儀よく本能むきだし」になっているような状態。そんなことって、実はみんなあるものだと思うのだ。


見た目だときちんと頑張っているけど、どこか滲み出ているような感じとか。そんなことにドキドキするし、とても引き寄せられる。そういうことっってないのか? そう友人に投げかけたら、うーん、それはいわゆるギャップ萌えだねと言われた。・・・あながち間違っていないけど、もうちょっと深くて、人間臭いような感覚だったりもする。誰かのそんな言語化できない「何か」に触れて、「この人って魅力的だな」と"感じとる"、そんなことって、ないだろうか?


もちろん、わかりやすいは正義だ。

言葉にする。記事にする。だってなんならわたしはライターだし(しかもインタビュー記事が主戦場)、そんな仕事にも誇りを持っている。

でもだからあえて、そうじゃないことを言いたいのだ。言葉にあえてしない。だからこそ素敵なこと。みんなに理解されないしすべてを知られないからこそ引き立つこと。そんな魅惑的な“得体の知れなさ"が、最近とても気になっている。そして最近出会った人の中にも、ずば抜けてこの“得体の知れなさ"を持っている人がいた。その感じ取った何かを持つ人の未来が知りたくて、わたしはいつも、そういう人を追いかけている。


誰にだってそんな魅力はきっとある。そして、”自分を諦めていなければ”そのオーラは絶えない。

ただ、静かに自分の中の炎や気持ちを燃やしていく。誰に理解されなくたって構わない。わかりやすいことが価値になる世の中だからこそ、わかりにくいことにも敬意を払おう。いっそのこと、ひたすらわかりにくく、魅惑的な人をめざそう。あなたの可能性を決めつける人がいたら、「わたし、あなたの理解の範疇にいるほど、単純じゃないんで」って、妖艶な微笑みを浮かべて、軽やかに立ち去ればいいのだから。

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