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記事「Zoomに心を許さない理由」から、コミュニケーションとファッションを考える

ハッとさせられた、この記事。これまでなんとなく感じていた違和感のエッセンスがぎゅっと凝縮されていた。

・総体として言えるのは、電話出演やグループ通話やテレビ会議でのオダジマは、空回りをしているということだ。
・画面(あるいはインターネット回線)を間にはさんだ対話に参加している人間たちは、リアルで対面している時に比べて、「空白」「沈黙」「間」を恐れる傾向がより顕著になる。このことが、会話を散漫な方向に導くのだ。
・実際、テレビやラジオの出演に慣れていない出演者は、「空白」を過剰にこわがると言われている。
・それは、テレビ会議に集うメンバーがその枠組みに慣れていないからでもあるのだが、それ以上に、社会的動物たる人間が、「孤独な環境の中で親和的に振る舞う」ことにうまく対処できないからなのではあるまいか。
・いずれにせよ、テレワークの会議は、一個の人間が自分の中に持っている孤独と社会性のいずれか(あるいは両方)をゆさぶりにかかる。そういう意味で、なかなか油断のできない相手なのである。
・学生であれ会社員であれ、自室にこもっている時の自分と、他人とツルんでいる時の自分はきちんと区画化しないといけない。

リモートワークやオンライン飲み会への高揚感は一通り終わり、ああやっぱりリアルで会うことに勝るものはないなと思い直した最近。
最近のオンライン飲み会での違和感のヒントになりそうだった記事でもあった。
いくつか要素を切り取ってみたい。


オンライン飲み会は「間」が難しい

最近ひしひしと違和感をもっていたので、ようやく言語化。
オンライン飲み会の間の取り方が、どうしても難しい。いろいろやってみたけど、以外と1対1はいける。相手と真摯に向き合う場なので、以外に深い話もできる。

ただ問題なのは3人以上になった時。
3人から10人くらいまでのセミナー的なものまで受けたことあるけど、どうにも会話のバランスがわからない。盛り上がりポイントも難しい。全員で「どっ」という感覚が少ない。「こんな盛り上がったんだから、言っちゃおうかな〜」という勇気あるカミングアウトがしずらい(というかしても面白くない)。という感じでしょうか。

オンラインでの会話をやってみて思ったことは、オンラインだと言葉以外の情報がないので、「ただ、いるだけ(相手の存在を慈しみ、一緒に存在することを喜ぶ、的な)」という価値を楽しむことはできない。それって、人と過ごす時に結構な割合を占めていたんだなあ、としみじみ実感した。

あと、オンラインだと、上の「ただいるだけ価値」がなくなるので、失然的に盛り上がる場所にある程度の「目的」や「ゴール」、そして信頼関係が必要になる。曖昧な関係だと適当なことがいいずらい。ただ「いる」ことが楽しめないので、何かしらの議論とかブレストとか実行までのプロセスとか、それ以外のことに意義を求めたくなってしまう。これは一番強く感じたことだった。でもすべてのことに目的を求められてしまう時間の使い方なんて、豊かじゃないよな、と思ったりもした。

外と内とで変わる自分の見た目

あとは、ファッション、メイク、ヘア、ネイル。女子的要素でもあるそれらは、そもそも何のためにあるのだろうという思いにもなった。

自分は割ときれいめなファッションが好きだったけど、家にいるとさすがにカジュアルになり、リラックス感のあるものになる。出かけていた時は、ファッションのテイストも、メイクのイメージや濃さも、なんとなく行く先のコミュニティに合わせてちょっとずつ変える。そんな楽しみがあった。
でもそれがなくなった今、自分が心地よいものを見つけるゆったりした穏やかな喜びと、外に対して「装う」という楽しみを奪われた残念な気持ちの二つがあって、実は、私の場合は割と前者が勝っている。

このバランスはみんな違うと思う。
自分としては、かねてから装う姿の並ぶ服を見て、ああ、自分は外に対して見せたい姿と、自分自身の中の姿とで、結構ギャップあったんだなあとも気づく。
ギャップがあることが悪いことじゃないし、いろんな自分を演じたりなりきることだって十分楽しいけれど、それを自覚しつつ、一番いい見た目のあり方を考えるいいきっかけにはなりそう。
「モテる」「憧れられる」「褒められ」的な誰かがいることを前提にしたワードよりも、今後はより「心地よい」「豊かな」「幸せな」という自己認識系のワードのアイテムが増えそうだなと。

ファッション、そして服は、ほぼニアリーイコール自分のなりたい姿とリンクしていると思っているので、対外的に装うエネルギーをすべて自分に注ぎ込める今のタイミングは、自分のなりたい姿を見つけるいいチャンスでもあるような気がしている。
だから、自分というものを深堀できたり、普段聞けない声を聞くことができるのかも。このボーナスタイムを使って、ちゃんと自分に向き合える人が増えますように。もちろん私も。


コミュニケーションのあり方が変容する時代を生きる

5G回線の整備が進んで、VR技術で相手の存在がもはや現実と区別がつかないくらいの状態になった時、人、というか人の本能はどう変容していくのかなあ、という感覚がある。

それをあったこととみなすのか、違和感が拭えずストレスフルになるのか。もはや適応していくのか。でもきっとどれもあるんだろうな。

そんな激動の時代の真っ只中にいるという実感も持ちつつ、毎日気づきとともに、よりよく生きることをどんどん模索していきたいと思う。前述したコミュニケーションとファッションというのは非常に興味のあるテーマ。もっと深堀していきたいし、これからの多くの人を豊かにする仕事のヒントにもなりそう。気持ちの変化とともに、ここに記していく。

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