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サブカル大蔵経923石飛幸三『穏やかな死のために』(さくら舎)

米谷さんから頂いた本。前作の二番煎じかと思いきや、さらにブラッシュアップされていて、見出しになる決め言葉も多い。

本書の後、鹿子裕文『へろへろ』や若月俊一『村で病気とたたかう』など医療施設の本をたまたま続けて読んだのですが、どの施設でも「闘い」がテーマとなっていました。何と闘うのか、それが最後のテーマなような気がしました。国なのか、制度なのか、常識なのか、実は私たち読者なのではないか。

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常勤は特養で医療行為をしないとなると、では、一体何をすればいいのか。p.21

 特養で医療ができない医師。医療保健制度と介護保険制度の併存。医師の存在意義が問われる。だから立ち上がれたのかも。

まるで、芦花ホームは「誤嚥性肺炎製造工場」、病院は「胃ろう設置工場」のようでした。p.28

 口から食べさすことをしない病院。

医師も国民も「治すことを中心に置く医療」をありがたがる考え方から抜け出せていませんでした。p.33

 超高齢化の先。治さない医療。

「介護はこんなことまでやってくれているのか」と感じすることが多くありました。p.35

 医務室では見えなかった介護の現場

「食べないから死ぬ」のではなく、「もう死ぬのだから食べない」という、それまでの私たちの常識をすっかり覆す真理でした。p.41

 八丈島の看取り

マツさんが目を覚まして「おなかが空いた」と言えば、ご主人はマツさんが好きなものをほんの少し食べさせます。p.48

 お腹が空くということの贅沢さ。点滴によりこれが無くなる。

そんな彼らが、介護技術の上手い下手の問題ではなく、そもそもご本人にとって今の食事介助はどうなのかと自分に向かって問うようになったのです。p.58

 カロリー通り食べさせるという幻影。介護士が介護を問う縁。

「あなたはまるで胃ろうをつけることがわるいように言うが、私たちは患者さんに胃ろうをつけて、たくさんのご家族から感謝されています」と、会場からマイクを手に女医さんが声を震わせて言いました。p.63

 胃ろうが悪いのではなく、明らかな延命の胃ろうを問題にするという著者。

見送った後にそのときの苦しい記憶が、旅立った人への誠意となって残ります。p.77

 家族が亡くなった後、何となく実感しています。

老人にはここまで生き抜いてきた自負があります。憐れんでほしくなんてありません。一個の人間として対等でありたい、もう本音で生きていくことしかできないのです。ただ人間として扱ってほしいと、同じ年寄りとして私は思うのです。p.85

 故障した親を人間扱いしていただろうか。できるだけ普通に接していたつもりだったが、普通とは自分の都合だったかもしれない。

同じ頃、私は病院で外科医として診療を続けながら、その病院と裁判で争うという壮絶な試練に直面していました。p.99

 何かをする人は身内から矢を撃たれる。

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