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サブカル大蔵経369越中詩郎他『平成維震軍「覇」道に生きた男たち』(辰巳出版)

8月8日両国国技館大会では、若手の小原が本体を裏切り、反選手会同盟に加入した。p.16

「今日から俺はこっちだー!」という小原のプロレス史に残る名言が印象深いです。でも、これって、正規軍→反選手会の時か、犬軍団→維震軍の時か、どちらの時のセリフでしたっけ…(^^;)

2人は新日本のリング上を席巻していた蝶野率いるnWoジャパン入りを目指し一時的に共闘体制を取るも、最終的に蝶野たちは拒否。背中に黒いスプレーで「犬」と書かれる屈辱的な目に遭ってしまった。年が明けて98年1月4日の東京ドーム大会で越中が欠場すると、小原と後藤も平成維新軍に再合流。p.20

犬スプレーも懐かしい。その小原が本書に加わってないのが〈らしい〉のかなぁ。

越中と小林邦昭と誠心会館の諍いがここまでのムーブメントになるとは誰が当時思っただろうか。意地が、プロレスの可能性をこじ開けた。反選手会という響きが良かった。それにカブキと木村が加わった時は盛り上がったなぁ。

一番分析が鋭かったのは、AKIRAでした。

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越中は異種格闘技の試合でも得意技のヒップアタックを繰り出していた。/俺はここまで積み上げてきた緊張感が薄れてしまうのではとヒヤヒヤしながらその光景を眺めていた。(小林邦昭)p.33

 まさかケツにヒヤヒヤしてたとは(^^;)

ハッキリってしまえば俺は誰が加わろうと戦力としてアテにするつもりはなかった。何度も言うように客に飽きられれば長州さんの「お前ら、ご苦労さん」と言う一言で、全てが終わってしまう。(越中)p.112

 越中の覚悟と長州全盛期

中でも越中対天龍がメインと言うのはおかしいと主張していたのは馳だったと言う。彼にしてみれば年内最終戦は本隊の選手が最後を締めなければいけないと言う思いがあったのかもしれない。(越中)p.119

 馳よ、コミッショナーに越中を起用してみろって。

感性も鋭かった。俺がアイデアを考えて持っていくと「それは流行らない」「これは無理だ」とハッキリ言われることもあった。しかも、そこに間違いは一切なかった。「ここはコメントを出しとけば大丈夫だ」「これは何かアクションを起こさないとだめだぞ」長州さんはカードを眺めながら、そんなことを口にする。その判断が全て当たるのだから、こちらとしては驚くしかない。(越中)p.137

 長州幻想。どれだけ頭いいんだろう。

試合後マサさんが私のところに来てこう言ってくれた。「青柳、橋本よりよかった。お前の方がトニーホームといい試合をやったよ。すごくよかったぞ!」(青柳)p.160

 マサイズム

やはり全日本は馬場さんが作った団体だから、鶴田にしろ、皆馬場さんのようなスタイルになっていく。要は厳しいトレーニングを毎日こなしているようには思えないのだ。(木村健吾)p.197

 木村、意外とガチに吠える。忖度のない議員なのか。

だが、俺は昔の人間関係を引きずる方ではない。いつまでもSWS時代のことを根に持っていても仕方がないし、試合は普通にこなしたつもりだ。あの時は谷津がいきなりトップロープに上がったので身構えたら、特に何もすることなく降りてきたので面食らった記憶がある。(カブキ)p.238

 谷津・リングイン。

この頃からファンが選手の粗探しをする傾向が強くなってきたように思う。そして、野上彰と言うレスラーは、その格好の獲物になっていた。(AKIRA)p.252

 JJの頃か。「粗探し」かぁ…。粗探しだったのかなぁ。

俺なりに翻訳すると「越中さんや小林さんが会社の上の人間と手を組み、俺たちの知らないところで動いてるのないか」と言う意味になる。言ってみれば、選手会とは労働組合だ。会社側にとって実際は選手会こそ、「反体制組織」と言えなくもない。必要以上に力を持たせるとかつてのジャパンプロレスのような離脱劇を招きかねない。実際にそれを実行したことのある長州さんだからこそ警戒していたはずなのだ。(AKIRA)p.256

 たしかに越中や小林邦は体制側・長州側ですもんね。AKIRAのムササビ分析もっと読みたいです。

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