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サブカル大蔵経163 天理教北海道教務支庁編『新・樺太伝道物語』(養徳社)

 北海道の先の日本、樺太を、天理教の記録資料で知る。なぜ天理教だけが資料を出版できたのか。なぜ既存宗派はないのか。樺太を植民化するため、国家の先兵として宗派が入植する。これは、北海道においても同じだった。天理教目線が遠隔地、北海道と樺太を繋ぐ。日本の写し絵、北海道と樺太。

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日露戦争前に豊原地方に住んでいた一万人のロシア人は数十戸に減る。p.16

 住む人達の縁。樺太は日本人が入る前はアイヌやギリヤークではなくもうロシア人が、住んでいたのか。

当時北海道から樺太に渡航するには小樽から真岡、または泊に上陸。p.19

 稚内ではなく小樽便なんですね。引き揚げ船もそうかな?

石山は19歳の時、医師もさじを投げた。おたすけにて奇跡的に生き返った。アイヌの神はカムイであり、石山が説く「南無天理王命」もアイヌの信仰者たちはカムイとして崇めた。p.22

 神とカムイと天理教

岡田庁長はいつもリュックサックを背負って歩いた。回ってガラスの寄付を受けた。p.53

 貧しさと布施と。

豊樺は神楽村にて復興。現在旭川市西神楽三線で湯浅静子会長。p.149

 これは知らなかった…。今日も西神楽通りましたよ!

エストルは人口3万2千人、有数の街。日本最北端の教会。並河仁助。p.210

 エキゾチックなエストル。銀河鉄道の舞台のひとつサハリン 。この地は、ご門徒さんの父上がここに暮らしていたと、以前聞きました。

樺太教務支庁長、岡田佐平の道。明治29年1月、徳島から北海道東旭川村米飯に移住。佐平12歳。開拓の傍ら板に消炭で天理王命と書いた物を目標。昭和17年樺太教務支庁長任命p.215

 ペイパンに徳島から入植されたとのこと。私のいる永山の屯田も、徳島からと山形からとされています。

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