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サブカル大蔵経33 鹿島茂『東京時間旅行』(作品社)

 井上章一との対談や盛り場本読んだ後だとお上品な感じがしたが、東京の常識の闇を資料と記憶と足で探偵した貴重な証言。

 仏文は新左翼の拠点となり、さらに言うなら、革マル(東大・早稲田・学習院)かブント(明治・中央・明治学院・青山学院)に色分けされてくる。p.55

 こんな分け方があったんですね…。

 行けども行けどもそれらしきものが見当たらない。おかしいなと思っているうちに、現在のブックブラザー源喜堂書店のあたりにたどり着いた。p.29

 神保町あるあるですが、鹿島茂さんも最初はこうだったと聞くとほっとする(笑)

 福沢はお札にまでなっているのに、渋沢栄一は資本主義の父として扱われていない。これは資本主義自体を罪悪視してきたマルクス主義史観の影響だろう。p.79

 大河ドラマ化にあたり、また鹿島さんのコメント楽しみ。

 銀ブラの気持ちの良さの原因は、歩道が広いのに比して、車道が狭いこと、これに尽きるのである。p.93

 私にとってのこの本での一番の発見です。たしかに車道とのバランスで歩道広い道は印象深いです。昨年歩いたユジノサハリンスクの市街にもそういう道があった。

 日中戦争戦時下の三越のカタログ、なかなか贅沢で、戦前真っ暗史観に洗脳された頭脳にとっては新鮮。p.100

 斎藤美奈子さんの『戦時下のレシピ』にも同じようなことが書かれていました。ということは、貧困は、急に突然やってくるということか。今もそうかも。

 扱う商品は外国の書籍や雑貨だが、実務はすべて日本人。一身独立して一国独立する、早矢仕有的と福沢諭吉が共同で作成した丸善の社是。p.110

 舶来の丸善こそ日本の独自性にこだわっていたんですね。ハヤシライスも?

 内田魯庵のアンケート19 世紀文学第一位、種の起源。丸善に注文殺到。p.125

 学識と商い、両方のセンスを兼ね備えていた内田魯庵…。この辺りまた読んでみたい。50年、100年前の本の方が興味深い。

 ドイツ造園学に拠っていた本田静六のプランはフランス庭園の幾何学、イギリス庭園の自然、そのどちらも欠いていた。その結果日比谷公園は我々がパリやロンドンの公園に足を踏み入れた時声に感じる思想性を全く持たない公園になった。しかし逆説的に、それゆえ日比谷公園は明治の共同幻想を表すことになる。それは西洋的な規範に憧れながら日本と言う風土の呪縛を逃れない近代日本人が生み出すアンビバレントな共同幻想である。p.152

 ドイツだったんだ…。昨年初めて日比谷公園通り歩いたのですが、たしかに言われてみればあそこだけ不思議な感覚…。

 世紀末のカフェと言えば酒類は色とりどりのリキュールが棚の背後の楽しめる酒場になった。さらに女給の存在。日本のカフェーは、女給つき洋酒酒場になった。だから純粋にコーヒーを主体とする店は本来ならお茶を出す、喫茶店という名称を用いた。p.161

 この辺のカフェーや女給という概念。今のスナックに近いのかな?

 猛速度、大量、定点輸送、鉄道本来の散文的精神に忠実な京浜急行は沿線イメージを向上させない。こうした二極分解構造を眺めるとそれはまさに高度成長期の日本がたどってきた構図そのままなぞっているp.207

 この京急考察たまらん。この件に関する原武史さんと鹿島茂さんの対談読みたい。

 蒲柳の質で避寒地が必要な大正天皇のご来迎をきっかけにリゾート地として発展した観光地がたくさんある。大正天皇こそが日本のリゾートの父。熱海発展のきっかけ。冬季首都機能熱海移転。日本初の公衆電話。p.227

 熱海は最先端だったんだ…。そういえば日本初の◯◯が何個かあったような…。大正天皇、明治と昭和に挟まれているが、しっかり残している。

 竹内信夫、森本和夫、仏(ふつ)文学から仏(ぶつ)文学への移行は王道。p.238

 鹿島茂の東洋論、仏教論読みたい…インド学、仏教学もシルヴァン・レヴィなどフランス人が先鞭をつけていたし、インドのポンディシェリーなどのフランスコロニアル街や、本の話など、たくさんネタはありそう…!

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本を買って読みます。