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サブカル大蔵経789『最後に残るのは本』(工作舎)

今日は51才の誕生日でした。僧侶として葬儀で札幌に赴きました。斎場からの帰り、本屋で本書を買い、最寄りのコメダ珈琲店に入り、読みました。

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工作舎の出版物に入っていた「土星記」のエッセイを<掲載順>にまとめたものなので、ランダムにさまざまな方が登場してきてすごかったです。

個人的には、梶川泰司→由良君美→長谷川憲一の流れが圧巻で、工作舎の面目躍如と思いました。

さすが工作舎、装丁の手触りも良く、学生の頃から今も本を読み続けてきた私に読書界から誕生日プレゼントを頂いたような気持になりました。

そして、これだけの知識人たちが口を揃えて言うのは、「本はわからない」ということでした。

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「鬼」の研究者である父親への娘の優しい配慮なのだろうか、私の顔をみては読んでくれと持ってくる絵本がいつのまにか『ないたあかおに』のみという事態になってしまった(小松和彦「ないたあかおに」)p.14

一人目が小松和彦!小松先生の家族物語に本書のただならなさを感じました。他の人はほとんど家族の話は出てこないのに。

バリバリスイスイの軽装版も折り印でふくれて箱に入らなくなったハード・カバーも、無傷で売られる本よりは仕合せと思います。(杉浦日向子「私と本」)p.21

 本書の白眉。圧巻の千文字。

わりと手軽にできる、自己処刑である。(芹沢高志「本の代謝」)p.35

 蔵書を捨てることで死に、再生する。

われわれはいったい、本の何を読んでいるのだろうか……。(彌永信美「わかる本知る本好きな本」)p.39

学生の頃のバイブル『幻想の東洋』。誰にも評価できない屹立した本でした。その著者が本と人間の関係を鋭く語る。あらためて30年越しに教えてくれる。有難い。

識ったふりよりは識らないことを認めていることのほうがはるかに「観る」ことに忠実になれる。(梶川泰司「一を識り十を「観る」」)p.69

 非常に独特かつ本質的な至言。

帰りの車中で熱中して読むうちに、これまた革表紙がとれてしまう。(由良君美「読書日録」)p.71

 由良さんかわいい!この2年後に逝去。

本漬けの人間と空間は、漬物がそうであるように、ある独特の臭いを放っている。(鎌田東二「本気の怖さ」)p.88

 自分の気と本の気の融合のタイミング。

どうしてそんなに読めるかと聞かれることがあるが、そのコツは、どんどん忘れることである。(森毅「読者評者著者」)p.94

 森毅さん、懐かしい。学生時代、書店の棚のヒーローのひとり。こんなけ頷ける人はいない。それは内容もさることながら、語り口のすごさだと思います。

自分の年令に近い人が書いた本が、あんがい気が合う本だということである。(養老孟司「本のおかげ」)p.110

 有名になる前の養老節。親鸞の和讃は80歳以降になって共感できるのかも。

どうして昔の工作舎メンバーはそういう話をしたがるかな。嫌われるぞ。(米澤敬、巻末での祖父江慎との対談にて)p.234

 何かプロレスラーが昔の道場時代を語るような。出版社とプロレスの団体の比較したい。

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