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サブカル大蔵経143安藤健二『パチンコがアニメだらけになった理由』(洋泉社)

 ほとんどパチンコ屋さんに入る機会がないまま今に至りました。昔、五島列島を旅した時、なぜかパチンコ屋に吸い込まれるように扉を開けたことがありますが、そのくらいです。なんとなく〈居場所〉としてのパチンコ屋は、貴重で、特異で、普遍的な場所のような気がしています。

 そのパチンコ屋さんにいつの頃からか、アニメ作品ののぼりがはためいたり、格闘技の番組でアニメのCMかと思ったらパチンコ台の宣伝だったり、いつのまにか親しいサブカルチャーのすぐ傍らに、〈パチンコ〉が存在するようになっていました。好きな作品の台が宣伝されると、あれ?私対象なの?と思ったこともあります。

 サブカルチャーとパチンコがどう関わっているのか。パチンコ業界の壁はなかなか堅固のようで、著者の粘り強い取材過程は探偵小説のようでした。

やはり後ろめたいんですよ。アニメのパチンコ化って悪魔と契約して魂を得るようなものなんです。結局のところギャンブルだし、世間的なイメージはいまだにあまり良くないんですよ。私もアニメ業界の人間に取材していたらパチンコ化の話を出すとすごくそっけないんです。あまりそのことに触れないでねってオーラを出してます。快くインタビューに応じてくれたジーベックは例外中の例外だったのだ。p.201

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結局それでみんなのホテル代払ったんですよ。全部、綾波さんが払ってくれて。p.17

 エヴァ・パチンコの綾波レイに救われた聖者・杉作J太郎さんのエピソードから始まる。

別にエヴァのアニメを使ったからヒットしたってわけじゃないんです。突然確変を効果的に使って大ヒットした機械が、たまたまエヴァとタイアップしていたんです。p.41

 この辺は原作のアニメ化とも通じる気がしました。どんな素晴らしい原作でも、必ずしも、アニメ化して成功するわけではない。アニメ監督と作品の相性。パチンコ台の個性と作品の相性。

ロボットアニメで、何かパチンコができるものがないかと探す後に、80年代の人気アニメ、マクロスに白羽の矢が立ちました。マクロスをパチンコ化するために、マクロスシリーズを手がけている河森監督が在籍するサテライト丸ごと買収したんです。マクロスは本腰を入れて開発するため時間がかかるから、それでまずは試験的にアクエリオンからパチンコにしたんです。監督にしても新作を作る資金をパチンコメーカーが提供してくれるのは大歓迎だったので、業者の利益が一致したってことですよね。アニメファンの人気は最初からあてにしてなかったんです。アクエリオンのCMでアニメを使わずに実写を使った派手なものにしたのもそのせいですよp.73

 アニメ製作の資金問題。アクエリオン問題。当時「合体したい」というフレーズをエロサブリミナル的に連呼させていたあのCMの謎がひとつ解けた。マクロスにたどり着くためのアクエリオン。丸ごと買収だったとは…。

なぜパチンコメーカーは取材を受けないのだろう。そもそもパチンコメーカーはあまり情報公開するような会社じゃないんです。事実上のギャンブルでパチンコそのものがグレーな存在だからです。p.91

 ギャンブルという言葉の魅力と闇。パチンコ雑誌とかでは必勝法ばかりで、構造的な根本的な記事はなかったのかな?どこの世界でもそうだろうけど…。雑誌において、ジャンルそのものを問うこと、の大事さと異端性。

タイアップで重要なのは知名度よりも相性。最近はシビアで、早ければ1週間1ヵ月も経てば結果を発揮する。p.116

 まさかこの台が…という展開はそれ自体がギャンブルのよう。パチンコメーカー自体がギャンブルという入れ子構造。

アニメがパチンコ台に使われる理由は3つあるようだ。実写と比べて権利処理が楽。ライセンス料の相場が安い。リーチ演出に映像が流用できる。知名度の低い作品とタイアップするのは、単に人気のない作品ほどライセンス料が安いからですよ。p.120

 実写の方が権利関係大変なんですね。最近は漫画やアニメ業界でも〈キャラクター管理〉ということをしています。ただ、過去の遺産を使用する〈キャラクタービジネス〉も、さびしいような。変に権利に厳しくなって、落書きひとつもできないような…ことにならなきゃいいんですけど。

パチンコって自然界で言ったら、生態系が崩壊したのに等しいんです。日本の在来種を駆逐するようなブラックバスを全国の湖に放流したものですよ。大幅に釘をカットして大型液晶に映像を乗せただけのつまらないパチンコばかりになってしまいました。こんなのもうパチンコじゃないですよp.141

 「もうパチンコじゃない」。目の前にあるものはパチンコの姿をした別物なのか?私がパチンコでイメージするのは縁日にあるような素朴なもの。

あれだけ宣伝してくれる業界って他にはないですよ。僕はパチンコを1つのメディアとして捉えなきゃいけないと思っているんです。p.169

 パチンコはメディア!!

 発表される場所としてのパチンコ台。

 今ならばネット上で新しい作品が発表されるかもしれないが、〈原作のアニメ化〉で終わらず、〈アニメ化された作品のさらなるパチンコ化〉という次なるステージのフォーマットがいつの間にかできていました。どんだけ脱皮するのだろう、変窯するのだろう。いや再生するのだろう。

パチンコ台の大ヒットがなければ新劇場版はできなかったでしょう。オタク向けビジネスを定着させた歴史的なアニメエヴァ。それが今では、映像ソフトに金を出すなくなったアニメファンに見切りをつけ、製作委員会方式をやめてしまった。パチンコを中核とする新しいビジネスに大きく舵を取ったのだ。エヴァンゲリオン新劇場版のパンフレットにはでかでかとパチンコ台の広告が入っている。p.191

 アニメファンではなく、パチンコ業界がスポンサーになる。〈ファンが金を落とさないから、作品が作れない〉という状況とパチンコを誰が引き合わせたのだろう?格闘技やプロレスでも同じ状態が続いた。パチンコ業界なしでは成り立たなかった。文学もアイドルもそのスポンサーはファンなのか、なにか別な者か。

 パチンコとサブカルチャーの蜜月はいつまで続くのだろう。資金と文化。広告によって成り立つ文化。広告主がパトロンなる文化。昔は文化のパトロンは貴族や宗教だった。貴族、宗教、広告、パチンコ。なんか、宗教とパチンコってつながる気がしてきた・・。


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