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サブカル大蔵経39 東海林さだお『焼き鳥の丸かじり』(文春文庫)

 世界に誇る擬人化の名人のテキストが、この「丸かじりシリーズ」だと思います。この巻は、著者の東海林さだおさんの手術前後の執筆。変わらないのがすごい。が、よく見ると、変わったところあるのかも?

 食を擬人化することで浮かびあがる人間の滑稽さや哀愁。食物としか捉えなかつた相手への畏敬。

 午後1時、5分前のエレベーター。その19名のお腹の中にはそれぞれがさっき食べたものが詰まってます。p.10

 こんなこと考える人います⁈そう考えるとすごい空間。

ピータンに、油断していたんですね。p.22

 その存在。卵の異形。

ストローは、いったん手にすると急に楽しくなる。p.36

 大人も一枚皮をめくれば子供。

不善です。つい、ふと、はからずも、前に並んでいる人のカゴを見てしまう。p.42

 スーパーの中で人の編集を覗き見するという愉楽。

なぜ日本には包み食いという食べ方が多いのか。風呂敷です。おにぎり、稲荷寿司、カレーパンp.103

 包まれると上品に見えるのはそういうことか…^_^

スーパーの棚からそのまま持ってきた市販の納豆。どんなメニューにも病院の監視が行き届いている中の唯一の娑婆物。p.109

 入院したベッドの上で、唯一の沙婆世界。体験した人でしか書けない。

タンメンはぶれなかった。最初に麺の上に炒めた野菜をのっけて、そのあと何もしなかった。p.123

 タンメンをメニューに置く店の矜恃。世間の変化への疑念。

谷崎先生は、お汁なんてこぼそうものなら、ススッてテーブルに口をつけて吸っちゃう。p.138

谷崎秘録^_^

そう、白菜。我ながら素晴らしい選択だと思う。この重くて堂々としたやつを、とりあえずテーブルの真ん中にタテに据えつける。これから話し相手になってもらうわけだから、寝ていてもらっちゃ困る。p.153

 真骨頂。普通食べられるだけの野菜たる白菜を、話し相手にする、ということを頭の中でなく、実際測ったりする文章。

パンの中で一番落ちつき払っているのが食パンである。p.166

 <食パン>に<落ち着き払う>って表現を使うことの意味。<パン>に<食>という頭文字を使ういさぎよさと、悠然とした食べられる相手への敬意。

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本を買って読みます。