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サブカル大蔵経253蛭子能収『エビスヨシカズの秘かな愉しみ』(講談社+α文庫)

1985年12月、晶文社刊。文庫は1998年。最近、認知症が発覚した蛭子能収さんという沙門のひとりごとの経典。

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銀座は爛れていると思った。やっぱり新宿が1番いい、と思った。その次に池袋がいい、と思った。しかし神保町が一番いい、と思う時もあった。p.40

 銀座の画廊で絵を売られそうになり。そういうずるい落とし穴がある街かもしれません。

禅寺では縁側に座らせられ、禅の修行までやらされた。私は迷いがあってこそ人生は面白いと考えているので、真面目に座禅など組めるものではなかった。目を瞑ったふりをして笑っていた。笑いすぎて私の肩が震えていた。p.64

 途中から妄想ということみたいです。

「くそ、早く帰ってしまえばいいのに。」ただ、その友達が、この家から去っていってくれるのだけを望みに、私は机の上で頭を抱えてしまっている。p.91

 遊びに来た子供の友人に対して。

『JaM』に16ページ描けば何と6万4000円の金が貰えるというのだ。あの「ガロ」でさえ20ページ描いて8000円だったのに。(中略)これで初めてあの2人を信用した。信用すると同時に2人が偉く見えた。そして不当に扱われている自動販売機の本がいとおしくなった。p.131

 伝説の自販機雑誌「ジャム」で再デビューした蛭子さん。ここからすべてが始まった。先日「スペクテイター」で特集記事を読みました。このお二人は、高杉弾と山崎春美でしょうか。

私が1番おいしいと感じるもの、それはアンパンとコーヒー牛乳をセットで、しかも駅のスタンドで電車の待ち時間の時に食うことであります。なぜ私の大好きなカレーライスを差し置いてパンとコーヒー牛乳がおいしいかと言うとですね、それは、それはその物に対する期待数値が低い、と言うことなのです。p.153

 この文章大好き。私も駅で買うちくわパンと牛乳のセットが大好きでした。

私は昔から人を比べるのが好きでした。隣の家と自分の家とではどちらが貧乏だろうかとか、(中略)最近ではつげ義春と横尾忠則ではどちらが尊敬に値するだろうかと言うことを考えています。こんなことを気にし始めたのは、つげ義春が何かの文章で、横尾忠則の日記の本について「興味のない人の文章は全然、面白くない」と書いてあったからです。私は、ドキンとしました。p.193

 人と比べたらダメという風潮の中、堂々と比べる蛭子さんの陰湿が爽快さに繋がる不思議。さらに無駄に被害者を増やしていくキラー発言こそ真骨頂か。

哀れな女だなーと思いながらも、何か同情したくなるような底抜けに明るい大声でした。私はかわいそうな女だと思うと同情して、今度はその女を何とかして幸せにしてあげたいなーと思うんですね。そして同情が段々と愛に変わっていくんですが、私には妻もいる事だし、どうにもできない状態だったんですよ。ところが、いつの間にか、その平野レミが何と和田誠と結婚したと言うから驚きましたよ。どう考えても和田誠の、あの、おとなしいイラストと平野レミが合いませんでした。和田誠って一体、どういう性格の持ち主なんだろうと思いました。もっといい女が、いくらでもいるだろうに。和田誠は、そういう普通のいい女と似合ってると思っていました。しかし、この平野レミと結婚したということで、私は和田誠がいっぺんに好きなりました。平野レミさんは絶対にいい女と信じております。p.205

 ちなみに、仲を取り持ったのは永六輔。永さんの本に記載されていました。


 

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