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サブカル大蔵経98C・G・ユング/湯浅泰雄『東洋的瞑想の心理学』(創元社)

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 西洋に伝わる「東洋から自分を知る」システム。とにかく、ユングから見える浄土教の風景がかなり刺激的です。

<翻訳者序説>
ヴィルヘルムとの出会い以後、彼は心理学者ユングから思想家ユングに成長するとともに、ヨーロッパの限界を超えた精神世界の旅人となってゆくのである。p.11

 思想家ユング。ヨーロッパの限界。

アジアの植民地化に最も早くから力を振ったイギリスとオランダと言う2つの国が、最も深くインドの神智学に感染していると言う事は、注目に値する現象です。p.16

 インドを呑んだら、消化出来なかった。

しかし彼は、東洋の修行法や考え方をそのままの形で西洋に持ち込む試みに対しては強く反対する。西洋は西洋自身の伝統と土壌の中からヨーロッパ人に適したヨーガを自らの努力で作り出すべきである。東洋文化の直輸入はかえって有害であると。p.26

 ユングの見識。かぶれじゃない。また、西洋の最後のプライドか。

私たち東洋人が気づかなかった東洋思想と現代人の心の問題のつながりを、新しい視点から学問的に明らかにする道を教えてくれたことに対して、ユングに感謝していいであろう。p.27

 ここに尽きる。僧侶はユングと潜ろう。

平安仏教の見方は忘れられてしまったが、浄土信仰というものの元来の性格を考えるには、ユングのような心理学的観点を導入しなくてはならない。p.32

 ユングに導かれる法然以前の浄土教。ここに日本の浄土諸宗の忘れ物がある。

<川崎信定先生補説>
チベット死者の書は枕経、四十九日間中有、魂の離身、ヒッピーが求めた。p.44

 アメリカ人がかぶれかと思ったら実に真摯に学んでいたというくだりから始まる。

脱魂伝記説話に、インドの『ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー(屍鬼二十五話)』がある。p.44

 この本、卒論だったので、嬉しい^_^

<本文>
精神のクライマックスは、本来、人生の終わりに到達される。p.74

 臨終が受験か…。

近代西洋における宗教と科学的唯物論の対立。物質とはひとつの仮説。科学と宗教の争いは双方の誤解が生み出した。p.83

 科学と宗教は双子かも。物質は空。

西洋の伝統では、人間は限りなく小さなもの、神の恩寵が全て。東洋では、人間は本来神で自らを救済する。p.88

 この観点、もう少し整理したら面白い。なんとなく、西洋の方が人間の強さを誇っていると思いましたが、逆なのか。この記述、浄土真宗はやはり西洋的か?

観無量寿経、ドイツ語に訳せば、阿弥陀の瞑想の経典は、有神論系統の仏教(浄土信仰)に属している。p.181

 ユング様、よくぞ言ってくれました^_^

瞑想の仏陀のひとつが阿弥陀すなわち無量光仏、測ることのできないほどの光を放つ夕日の仏陀なのであるp.181

 「夕日の仏陀」!

無量寿経。ブッダ・アミターユスの名をとなえるがよい。仏陀を念じ続けながら南無阿弥陀仏ナモ・ミターユシェ・ブッダーヤと。p.188

 「ブッダ・アミターユス」!

 「ブッダーヤ」は、対格か?

自己催眠から能動的想像へ。p.188

 催眠から想像へ!

旗を意味するdhvajaが印、シンボルの意味になること。p.189

 阿弥陀経のドバジャ。

八角形の阿弥陀国土。丸い蓮華に座る本来の自己としての仏陀。p.191

 八角形の阿弥陀国土!仏教地理学。

キリスト教は私はキリストとは言わない。パウロ「私が生きているのではない。キリストが私の中に生きているのだ。」(ガラテヤ人への手紙二章二〇節)p.200

 八木先生の好きなフレーズ、キター。


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