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サブカル大蔵経725別冊宝島編集部『三島由紀夫事件 検視写真が語る「自決」の真実』(宝島社文庫)

私が生まれた1970年は、三島由紀夫が自決した年です。その年の十大ニュースは、

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一位はよど号。二位は万博。三位が三島。(本書p.214読売新聞)

本書は写真やドキュメントが中心ですが、三島や楯の会の恍惚感が伝わります。

ただどうしてあそこに至ったのか、実現してしまったのか、その背景はいまだわからないです。

三島はスベったのか?

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何を茶番劇をやっているのかと言う気持ちだったが、自決となると、すごいことをしやがるんだという感じに変わった。p.28

 朝日新聞カメラマン渡辺剛士の手記。演説と自決の間にあるもの。

今回の私の行動は、生長の家の教えでは暴力を禁止しており、その教えに反したものです。p.43

 三島と森田を介錯した古賀浩靖。最重要人物では?

6月21日駿河台の山の上ホテル206号室に、三島と森田、小賀、小川の4人が再び集まった。p.64

 山の上が舞台のひとつになっていた。

「三島由紀夫ですが、村田さんがお見えになられましたら、紅白歌合戦の出場おめでとうございますとお伝え下さい。」p.75

 自決当日、村田英雄へお祝いの電話。

最終的に東京の築地本願寺が会場となった。p.106

 東京の中での築地本願寺の場の力。

知と行とは本来1つのもので分けることができないものであり、p.131

 陽明学、大塩平八郎の乱、それが三島を動かした?西洋から一気に東洋へ。

この演説のすべての録音に成功したのは、文化放送の新人記者だった三木明博氏(のちに同社代表取締役)だった。p.158

 木の枝にマイクくくりつけて。文化放送に流れる底力。

諸君の中に、1人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか。1人もいないんだな。よし!p.165

 野次に包まれながら。三島はスベったのでしょうか。もし大歓声に迎えられたら自決はしなかったのでしょうか?

全集の版元の新潮社に限らず、文芸系の大手出版社はいずれも三島由紀夫の文庫本を数多く出しているから、余計なことで遥子夫人の逆鱗に触れないよう細心の注意を怠らなかった。p.181

 宝島社から出た意味が、ここに。

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