サブカル大蔵経976樋口一葉『にごりえ・たけくらべ』(岩波文庫)
これだけ緊張感のある短編が当時の日本にあったとは…。特に『にごりえ』はクライマックスがスパッとしていて、ガンダムが打ち切りで話を詰めたために逆に考察が広がった現象のように、考察サイトや学者の中でもさまざまな意見が割れていてまた驚きました。
ちなみに、『にごりえ』の「菊の井」、『たけくらべ』の「大黒屋」「美登利」。これ、京都の割烹店、浅草の天麩羅屋、旭川の蕎麦屋の名前です。ここから屋号をつけたとしたらお札以上の恐るべき影響力。
現代の話題の漫画や小説ともリンクするような内容で、非常に求心力があって現代的なのではと思いました。
『にごりえ』
烟草すぱすぱ長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、p.8
心情を書かない文体がハードボイルド。句点のない文章は、谷崎潤一郎と樋口一葉を続けて読むと少し真似したくなってきました。まさか小林麻耶の旦那も?
まあ其様な悪者に見えまするかとて、空を見あげてホッと息をつくさま、堪えかねたる様子は五音の調子にあらはれぬ。p.22
〈酌婦〉のお力(おりき)は、悪女なのか?作者はホッと息をつかさせたり、堪えさせている。それを、読者に見せている。今で言うツンデレなのか?
行かれる物ならこのままに唐天竺の果までも行って仕舞いたい、あゞ嫌だ嫌だ嫌だp.30
文明開花にあらがうような、唐天竺。
つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれかp.30
大森靖子か?というくらい迫力のある歌詞のような一節。樋口一葉の怨念は現代にも受け継がれたか?
母も物いはず父親も無言に、誰一人私をば叱る物もなく、p.36
両親はいい人でした。〈私は親の血を引いているから狂っている〉という、おりきの理論がまだわかりません。
これは菊の井の鬼姉さんが呉れたのと言ふ、母は顔色をかへて図太い奴めが是れほどの淵に投げ込んで未だいぢめ方が足りぬと思ふかp.40
お初がキレたのは当然で健全。だからお初には謝ってほしくなかった。なぜ謝ったのか?子を引き取ると、生きるため身を落とすことになるからでしょうか?
『たけくらべ』
なぜ己れを殺さぬ、殺さぬかp.65
子供の喧嘩の啖呵にしては物騒。このやられている三五郎は一番年上。日本のカーストが描かれています。
如是我聞、仏説阿弥陀経、声は松風に和して心のちりも吹払はるべき御寺様の庫裡より生魚あぶる烟なびきてp.78
遊女と僧侶。
信さんは最う近々何処かの坊さんの学校へ這入るのだとさp.103
信さんのお寺、阿弥陀経ということは、浄土宗か浄土真宗?学校はどこだろう。