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サブカル大蔵経206北大ACMプロジェクト『北海道大学もうひとつのキャンパスマップ』(寿郎社)

北大が〈植民・殖民〉に加担していたその闇の研究書、暴露本。クラーク博士の雰囲気で独立自尊のイメージがあるが、国の手先機関だった学部と教授。それは、今年の学長解任問題と繋がっている気がした。

また、北大の歴史を通して、北海道の成り立ちを道民に再考させる。国が北海道をどう扱おうとしていたのか。

知識で終わらせない、今の私を撃つ本。道民がみんなで考えてほしい本。ここから始まりだ。

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フロンティア精神という言葉は、単に未知の分野に挑戦するということだけでなく、歴史上、植民地化を鼓舞する意味もありました。p.10

 植民地としての北海道。

北大の植民学が重視したのは植民そのものであり、国境線自体が流動的な教会領域においていかに人間を植え付けるかが学問の中心であった。p.65

 開教使と植民地。樺太。

1977年軍艦講堂にて林善茂経済学部長のアイヌ差別事件。戦後、植民学講座は農業経済学第三講座と名称を変えた。その教授高倉新一郎、助教授林善茂。北大が研究した植民とは、農民の移住によって農業経営を適正化する社会政策であるだけでなく、入植先の異民族を撲滅して自国民による支配を目指す民族政策でもあった。北海道に当てはめれば、先住民族アイヌを同化し、和人による開拓を目指す政策である。開拓は先住民族の消滅を前提としていた。p.72

 農業経済学という名のジェノサイド。

新渡戸稲造の植民者視点。アイヌ、台湾、朝鮮。アイヌ民族を開発の邪魔者とみなし、彼らが消滅に瀕するからこそ、北海道の植民が比較的順調に進んだと考えた。アイヌを「臆病で消滅に瀕した民族」(新渡戸全集21巻)p.88

 新渡戸研究は、まだいろいろな見方ができそうです。

原敬が促した古川財閥の寄付により、札幌農学校が帝国大学に。その時建立の古川講堂。足尾銅山谷川村民の犠牲の上に古川講堂がある。北大の影、明治以降の日本の、文明の影。p.93

 古河講堂と古河財閥が繋がっていたとは、知らなかった。

1996年、北大の文学部長は、遺骨を粗末に扱ってきたこと、大学で植民学や人種論といった「誤った学問が植民地支配を正当化する役割を果たし」ていたことなどに対して謝罪した。p.101

 この時、学部長にアルバイトを頼まれて、当時の新聞のマイクロフィルムをコピーした記憶があります。

戦時中、北大工学部の燃料工学科での人造石油の研究。p.134

 滝川の人造石油にも北大関わっていたのが。北大の理系はなかなかですね…

中谷宇吉郎、米国の資金と依頼をもとにした人工降雨研究却下される。p.144

 中谷宇吉郎もスパイ扱いされたのか?

札幌農学校にはボーイズしかいなかった。女性にとって北大はいつ始まったのか。農学校から40年後、北大最初の女性加藤セチ入学。p.174

 40年か…。BL大学。

学会の中で和人が和人を、今日的な視点から断罪しているに過ぎない。p.184

 この発言が一番印象深いです。本書が単なる暴露やガス抜きではなく、今と未来のための提言だと感じました。

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