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サブカル大蔵経350荒俣宏『理科系の文学誌』(工作舎)

中学や高校でさんざんつき合わされた哲学やら科学やらが、実はどんな小説よりも奇想天外であることを、あらためて伝えるためのこころみでさえある。p.14

 1981年刊行。40年経ちました!

 文理を分けてしまっては勿体ない世界を著者の紙芝居の口上のような語り口でギリギリこの世界に繋ぎ止めてくれた名著。

 タレント的活動が多くなった荒俣宏は結局現在どう評価されているのだろうか。

 圧倒的な蔵書や際限のない知識や編集能力だけではなく、その語り口をもっと評価して欲しい。

 荒俣宏以外の書き手ならここまで日本に博物学が再評価されることはなかったと思います。

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まずケプラーのドイツに注目したい。ケプラーの時代は、あの奇怪な人格を持つルドルフ2世が、世界各国から科学者・魔術師を招いて、ひそかな神秘科学のルネッサンスをうちたてた時代である。p.5

 ハプスブルク家の魔手が異能者たちを掬い集めたのか、畸人たち自身が灯火に吸い寄せられたのか。実験という名の冒涜が始まり、科学の芽が生まれていく。ウィーンの博物館にはその残り香がありました。

ライプニッツは、ベーコンが本当に理解していなかった二進法暗号の秘密を実に思いがけないところから発見するのだ。それは彼が狂ったように勉強した支那学の中の易経であった。p.44

 全能のひとり、ライプニッツがコンピュータの原理・二進法を発見。西洋に伝えられた知の集積『易経』がその産婆となる。この辺りの東西交流のダイナミックさ。西の端の英仏ではないヨーロッパの底力。

「地球はね、時速約30キロの速度で太陽をめぐっているんです。つまり人間は、じっとしていても毎秒30キロの速さで動いている。だから、座っている時にも、あー自分は毎秒30キロで動いていると実感できるようになったらもう一度いらっしゃい。」p.103

 星の人、野尻抱影。究極の座禅か?

鳥と蝶の飛び方は遺伝によるものではないが、翔ぶ原理としては一致している。つまり、生物に伝えられる遺伝情報は、体内のDNA以外に、体外にも無数にあると言うことだ。体外の遺伝情報とはどういうものか。僕たちに耳慣れた言い方をすれば、環境のことである。p.181

 仏教も経典の中だけにあるのではなく、市中に、自然の中にあるように。

バルザックの両性具有者物語『セラフィータ』主人公は、恋する男の瞳に映る限り麗しい女であるが、密かに慕う村娘の目には美青年としてしか映らない。そして魚たちもまたセラフィータの物語を地で行く不可思議な生活を営むのだ。彼らは一生のうちにオスとメスの二重の生活を送る。実際問題として多くの魚は両性具有であると言ってよかろう。p.184

 両性具有の性の往来。その性の決定権は本人か、分類する観察者の方か。人間の想像を飛び越えていく魚類という存在。

植物にしてみれば光合成の結果作られる酸素などは産業廃棄物の1種であって、評価してみたところでせいぜい副産物に過ぎない。/ともかく植物が光合成を行う生き物であると言うことになれば彼にとっての〈善〉は極力表面積を広げることしかない。/だからこそ植物は地上を覆い尽くした。これを植物の〈思想〉と言わなくて何としよう!p.197

 植物の思想!動物のための植物ではない観点。

これは笑い話ではない!凄まじいまでにユニバーサルな感覚に溢れた昌益は、雪に埋もれた東北の寒村にいて、なおかつこの普遍音韻学に到達したのである。言語の原理が草語にまで及ぶかどうか、それを見定める心眼こそがユニヴァーサリストのダンディズムと言えるだろう。p.58

 草語!本書を再読して一番の発見が安藤昌益でした。早速昌益の著作や研究書を取り寄せて今読んでいます。

動物界は羽蟲、毛蟲、甲蟲、鱗蟲、裸蟲に別れる。羽は鳥、毛は獣、甲はカメ、鱗は龍。最後に裸蟲と言うのは字の通り丸裸の生き物で、ミミズだとかウジ虫だとかぬるぬるしたものが集まり、その最高を人間とする。なんと言うことだ!支那の不思議な生物分類学によれば、人間はヌルヌルした丸裸生物の系統に属する、しかも親分格の生物である!p.325

 中国の本草辞典。分類というものがいかに流行的で無理筋な行為かを示唆しながらもネタとしては最高。体毛がないという一点で人間とミミズが仲間になった。

ヴォルテールは血筋ではなく人徳による民衆支配と言うまったく新しい統治システムを孔子の思想に発見し、これをフランスの新しい政治システムにすり合わせようとしたのである。彼の中国思想はこうしてルソーに伝わり、ついにフランス革命のテーゼに翻訳されていく。p.374

 この辺りは、後藤末雄『中国思想のフランス西漸』を取り寄せて読みました。詳しい。学者ってすごい。

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