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サブカル大蔵経1000宮脇俊三『時刻表2万キロ』(河出書房新社/河出文庫)

私は宮脇俊三に、人生を狂わされました。学生時代の夏休みと春休みは、すべて日本国内の鉄道一人旅についやしていました。

時刻表を買い、未踏破の路線を往く旅程を作り、できる限り鈍行列車に乗り、必ず一路線に一駅は降りるというルールを課し、全国をまわりました。

旅先では、地元の人オンリーの車両にお邪魔して、悟られないように快楽を愉しむ。恥ずかしさとハードボイルド。ばかばかしさと厳格さ。不自由で自由な旅。二律背反の恍惚感。

思えばその背徳的恍惚感は、プロレスと似ているような。宮脇俊三は「週刊ファイト」編集長井上義啓と双生児だったのか。

市民権のない鉄道旅とプロレスに年配の大人が人生を傾けていく姿。そこに醸し出される孤独とユーモア。ある意味これ以上いない奇人ツートップ。だからこその旗手として燦然と輝き、超えられない。この二人に狂わされた人生に悔いなし。

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単行本

またあらためて再読してみたら、第一章の文章の内容の濃度と展開のぶっ飛び方がすごすぎました。会社の宴会から駅のホームに立つ流れがカッコ良すぎます。

働いているスキマを利用した、限られた時間の旅だからこそのスリルとドラマ。

自虐ネタからのツッコミとオチ。眠れないとか、時刻表発売前に昨年の見て計画したとか、情景が浮かぶ宮脇の可愛さ。

路線相手に漫才。線路近くの人や風景や環境すべてと漫才している。


文庫本

鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。p.7

ここに戻ってくる。もはや教科書レベルの書き出しでは。

ローカル線や私鉄は、ダイヤも車両の運用も単純で、あまり興味をそそらない。p.8

もともとローカル線には興味なかった!。幹線の方が乗り継ぎやすれ違いを楽しめるから。

私はもう若くない。/いい齢をして相変わらずの鉄道ごっこでは自慢にもならないから、私はなるべく黙っていた。p.9

この時の宮脇俊三、今の私と同じくらい。

どうやら私の説明では信用できなかったらしい。p.14

女性にもツッコミ。

高山本線猪谷駅。よい駅である。人っ子ひとりいないのがこれまたよい。p.16

いきなり取り残される。

道路は広く車は少ないが、一直線の路上に点々と信号がある。やたらに信号が多い。p.18

田舎をdisり、信号にまでツッコむ。

富山港線のことなどどうでもよくなってきた。p.19

路線名をキャラ立ちさせる力業。

終着駅で降りて改札口を出ない乗客は珍しい。駅員がじろりと睨む。p.20

基本的に歓迎されてない旅の哀愁。

私は国鉄本社へ出かけて行った。趣味のことでひとの仕事の邪魔はしたくないが、これだけは何としても知りたかった。p.24

いきなり本社に乗り込む。

しかし私は貨物ではないし、p.25

擬人化

三度目はどうなるのだろうか。しかし、もう一度この白鳥を訪れることは、ないだろう。p.32

私もこの岐阜-福井越えをしたので懐かしいです。

10時30分ごろ家に帰着した。女房がぽつんとひとりでテレビドラマを見ているので、子供たちは?と聞くと、「もう寝ているわ、起こしちゃだめよ」と言った。p.33

帰宅でなく、帰着。鉄道化。

今日乗った越美北線は第三位にいる。これを赤線で真一文字に抹消する。気持ちのいいものである。ついで三三位の神岡線、四七位の氷見線を消す。六九位の富山港線は最下位から二番目に移し、一.一キロと記入する。p.36

この辺りからヤバさが噴出。

けれども、やはり国鉄の全線に乗ろうと思う。全線完乗はまだか、との激励とも揶揄ともつかぬ声もかかる。激励ならそれに応えねばならない。揶揄なら、なおのことやり遂げねばならぬ。p.41

でも、やるんだよ。イズム。

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単行本目次

なにしろ私は40年余にわたって時刻表を愛読してきた。昼間気に障ることがあっても、夜、時刻表を開けば気が晴れさえしたのである。/とにかく何が終り、何かを失ったことはたしかなようであった。p.246-247

私もこのnoteをちょうど二年間で1000冊まで漕ぎ着けました。ありがとうございました。

足尾線を最後に、私はどこへも行かなくなった。時刻表の新刊を買い忘れた月さえあり、庭につくったわずかばかりの菜園の手入れに精を出していた。p.248

私も気が抜けるのかわかりません。

とにかく、乗るべき線がないから、もう書くこともない。だからこの阿呆らしき時刻表極道の物語を終ることにする。p.254

時刻表極道!

文庫本には口絵写真と山崎正和の解説




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