サブカル大蔵経884小島和宏『W☆ING流れ星伝説』(双葉社)
つまり2年7カ月に及ぶW☆INGの歴史の中で「W☆ING」なる会社は存在したことがなく、事実上の活動停止になることはあっても「W☆INGが倒産する」という事態に陥ることはないのだ。p.26
まだW☆INGは終わっていなかった!
FMWをエフと言う茨城語彙は俺らも使ってた。そう、W☆INGは、ファンが代表になった団体だったのだ。
岡野、茂木、戸井が懐かしい。
戸井マサルをサマルと呼ぶ茨城の奇跡。
「ただね、この本が出た瞬間、本当にW☆INGが終わってしまうような気がして、それがちょっと怖いんだよなぁ〜」(大宝拓治)p.8
なんという妄念。
「旧W☆INGのとき、保坂どんはポーゴさんの付き人をやらされて、相当、嫌な想いをしたみたいなんですよ。」(大宝)p.106
保坂の訃報も今年でした。
特に彰俊のコメントがすごく真摯でした。
小島さんの著作では現在一番好きです。
「ジムの近所で毎日、プロレスごっこをしている2人組のミゼットがいるとか。」p.22
徳田光輝のジムの周辺
「その時に木村浩一郎選手が僕にボソッと言ったんですよ。『失礼ですけど、齋藤選手の蹴りはすごくキャッチしやすいですね』と。」(齋藤彰俊)p.49
この後リングで技術交流会が始まる!
「『あれっ、いま、俺がやっていることって、まさに世界格闘技連合そのものじゃないか!』でした。」(齋藤彰俊)p.126
新日での小林戦は旧W☆INGでした!
「齋藤に追いつくにはもうそれしかない、と」(松永光弘)p.129
同級生の戦いが、新日を押し退けて週プロの表紙を飾った。
「先生が良かったんです。リッキー・サンタナ(アイスマンの正体)、ミゲル・ペレスJr.。このふたりは本当にプロレスの天才ですから?」(金村ゆきひろ)p.156
アイスマンとペレスJr.。地味だけど呼ばれていた。W☆INGをプロレス団体として支えた名コーチか。
「週プロはW☆INGだらけじゃあ!」(大仁田厚)p.171
新日すら手玉に取った大仁田を苛立たせたW☆ING。
「ポーゴさんが選んだのは『この試合を大凡戦にすること』だったんですよ。」(松永光弘)p.178
お姫様ポーゴの嫉妬
「もちろん自宅まで帰るわけじゃなくて、御茶ノ水とか秋葉原でタクシーを降りて、そこからは電車でしたけど」(松永光弘)p.220
松永の矜持。
「関川とやらせたかったよねぇ〜」(茨城)p.338
ポーゴvsブロディ!