サブカル大蔵経176 加藤義彦『テレビ解放区 幻の『ぎんざNOW!』伝説』(論創社)
芸能史の労作である本書を読んで、「今のかなりの番組は〈ぎんざNOW!〉の焼き回しなのではないか」と思いました。幻の作品であるこの番組には、それくらいの勢いと先見性が感じられます。
石橋と関根の「細かすぎる」での共演も、秋元・とんねるずの「夕ニャン」も、「いいとも」の生放送も、数々のものまね番組も、みんな〈ぎんざNOW!イズム〉を受け継いでいる。その申し子の関根勤がタモリについでいいともレギュラーが長かったのも本書を読んで合点がいきました。
関根は緊張しなかった。月曜レギュラーだったずうとるびの4人が、いつも客席の最前列に座っていて、僕がネタをやると、すごく笑ってくれたなぁ。観客のウケが良いと、こちらも気持ちがいいし、乗ってくるんですよ。p.5
〈関根笑い〉の1ページ。
スタッフは僕がたくさんネタを持っていたことに驚き、急遽、勝ち抜きにした、と。p.4
関根の「数」の圧倒性。
鈴木末吉、清水章、中本賢、鷺沢勇、そして佐藤茂樹。彼ら名もなき青年たちは渡辺プロの境の誘いに応じて芸能界入りを果たした。吉村プロデューサ曰く、初代チャンピオンの関根勤君は浅井企画に入ってタレント活動始めた、清水くんたちが映像企画に所属するにあたって他の芸能事務所から不満は出なかったと言う。清水は清水アキラ、中本はアパッチけん、鷺沢はあご勇、佐藤は佐藤金造と、鈴木を除いて芸名を名乗るようになった。三週目で敗退した小林正弘を加え他六名でほどなくしてお笑いグループを組む。ザ・ハンダースである。p.16
関根をここに入らせなかった浅井企画の英断。マッハ浅井。
毎日がふがいなかったですから、悔しさ貯金を増やしていったけど、そのおかげで今の自分があると思う。今から思うと僕は師匠なしでプロの芸人になった第一号だと思うんですよ。(関根勤)p.33
関根の栄光と苦闘が始まる。
とんねるずの石橋貴明は中学3年生の時に同級生の島崎伸一と組んでザ・ツンパで出演。そのツンパを2週目で破った少年が後にたけし軍団に入るお笑い芸人のラッシャー板前、鈴木浩。p.42
石橋とラッシャーの縁。
奥山は、「ぎんざNOW!」の司会者にせんだを推薦したのだと言う。p.59
フィクサー・コーシン。
TBS社長だった諏訪博は、テレビ最大の特徴は生放送だと考えていた。p.69
TBS感謝祭もぎんざNOWイズム?
演出・高橋義秋、フレディー・マーキュリーがマクドナルドのハンバーガー食べたいと言ったので買ってきて差し出したら、一個食べられないからと半分に割って僕にくれたんです。気さくな人だったなぁ。p.83
異国のタレントへの目利きと先見性は国際プロレスに通ずる。
野心的な企画だったPTPの総合司会に選ばれたのはラビット関根である。頭にシルクハットをかぶり首に大きな蝶ネクタイをつけた、いかにも生番組の司会者と言う派手ないでたちで毎回登場した。p.91
この辺りの早すぎる抜擢と孤独は、今だとオリラジ中田あたりか。
女子高校生5人からなるピルズのベース担当は、バンドの解散後ボーカリストに転向し、しばらくしてパーソンズのジルとしてプロデビューを果たしている。彼女曰く「ぎんざNOW!」に出る事はプロへの近道かなと思ったけど、とにかく審査員が悪かった。Wild Onesの人とかいたから、とにかく言うことが古臭いんだ。p.158
まさかジル姉が…。
秋元康はその出発点は大橋巨泉事務所に籍を置く放送作家である。秋元はせんだみつをの作家のような存在だった奥山侊伸の門下生で、奥山が、タレントの大橋巨泉が率いる事務所に在籍していたことから、そこの所属となった。p.258
奥山の著作でも秋元との縁が綴られている。
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