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サブカル大蔵経888幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)

今年の大河ドラマも最終盤となりました。渋沢栄一の伝記を幸田露伴が頼まれて書いていたということ。

文豪の小説はあまり読んだことがないのですが、漢語の使い方が美しい文章だと思いました。スマホでも、〈修省〉とか〈叙述〉とか、一応変換されて驚きました。まだ使われていない熟語を露伴が誘ってくれました。

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栄一の平岡を評せる言に、平岡は弁才俊爽で、利剣一掃、たちまち人を斬って落すが如くに、直下に人を屈すること数々(しばしば)だったから、人の怨を受くることも少なく無かった、とあるが、何もその為に四十三歳で命を失ったというのでも無く、それは平岡の悲運に就いて、栄一がそれを自己の修省の資とした観察とも云えよう。p.82

 平岡を評する栄一の冷徹な言葉も採取。

簡明にこれを叙述して人をして理解せしむることは困難であり、かつこれに対する一橋慶喜の処置を正当に批評せしむることもまたはなはだ難いことに属する。p.85

 天狗党前夜の水戸藩。露伴をして理解は困難だと。日本史上の謎。ドラマでは維新後にも徳川を偲ぶ集いで「快なり!」が連呼されていたけど…。水戸藩こそ新しい世の基本だったのか、その後の大戦まで呪いがかけられたのか。

大隈は切に引き止めて、静岡藩の為にするより日本全体の為に力を尽すのが当然だろう、と栄一を放さなかったp.198

 薩長を突破する大隈の異能。

11月末の頃、突如として参議西郷隆盛は渋沢の私宅を訪れた。p.219

 会談内容は、二宮尊徳の興国安民法!

その時大隈が、足下は学問も経験も無き故に職を辞さんというも、予とても同様なり、独り足下と予とのみならんや、政府の者ことごとく皆しからざるは無い、と云ったのは、流石は大隈でp.230

 地租改正という断行にあたり、栄一を巻き込む大隈。

この時に当たってなお一人、明治政府の為に謀って忠なるの人があった。それは大蔵少輔であった伊藤博文p.241

 栄一もドラマでつぶやいていたが、露伴の伊藤博文評も同じだったか。

井上はこれを諾して、栄一を得て大蔵大臣たらしめんとし、切に勧説するところが有った。p.289

 頑として政府入りを断る栄一。伊藤からの立憲政友会入会誘いも断る。

「人間六十を過ぎるとよほど確のようでも、どうもひとりよがりになり勝ちのものさ」p.343

山田俊治氏の解説。栄一の評伝の資料集めでの露伴の言葉。ドラマでは慶喜の伝記を栄一が試みていたが、栄一の伝記を露伴にと、岩波の編集者、小林勇が説得の任に起用される。

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