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フィーノという潜水具 1994


この潜水具はニューヨークの近代美術館やモナコ海洋博物館に優れた作品として保存されている。日本のあるベンチャー企業が立ち上げ、製品化のデザインを中西元男さんを通じて依頼があったプロジェクトで、多くの人々がこの発想を支持していたのだが、最後には事業化には失敗している。
その内容は素晴らしい。普通、潜水夫は空気を圧縮したボンベを背負って海中に入る。地球上の空気(大気)の酸素の含有量は21%で、ほとんどは窒素(78%)であるから、圧縮した空気を大きなボンベに入れて海中に入っても10リットルのボンベで30分程度潜れるだけなのだが、このフィーノは酸素を中心に窒素を混入させて小さなボンベにしている。背負って陸上を歩くことも簡単であるから画期的だった。

吸った酸素と窒素の気体は体内に入って二酸化炭素と窒素の気体になって吐き出される。この内、二酸化炭素はある薬剤に吸着させて取り除き、僅かな窒素だけが海中に吐き出される。再び酸素と窒素の気体を吸って窒素だけを吐き出す、この繰り返しなのだ。
通常の圧縮された空気のボンベでは口から吐き出した二酸化炭素と窒素は海中に吐き出されるからたくさんの泡が立ち上るのだが、このフィーノではそれがない、静かな海中を乱すことがないのだ。

軽量で快適な潜水具の登場を多くの人は期待していた。それなのに、製品化が中止になってしまった。それはこんな事情からなのだという。相当じっくり展開しないと社会に定着しないのだ。世界のどこへ行っても酸素ボンベは供給されている。ボンベは現地調達して旅ができるのだが、新しいシステムではそれができない。全国の潜水関連業者が普及しなければボンベを置いてはくれないのだ。手軽に移動して、現地でボンベを必要なだけ使うという供給システムができていないためにこの優れた潜水具は実現しなかったのである。製品が普及しないからボンベの供給網ができない。ボンベの供給網がないから製品が普及しないというイタチごっこだったのである。

新しい製品のいつも抱える難しいテーマだった。これを解決するために相当な資金力がいる。それを乗り越える資金力の問題でもあったというべきだろう。しかし、製品とデザインの評価は高かったために、ニューヨークMoMAでも永久保存品に選ばれたしモナコ海洋博物館にも保存される製品になった。

製品化とデザインは常にこのような問題を抱えている。僕のデザインした製品の多くは普及するまでの困難を乗り越えないままに消えている。
建築の場合にはどんなスケッチもクライアントがいなければ実現しない。自発的な構想はそんな理由から夢だけに終わってしまうのだが、プロダクトではとりあえず商品化できる可能性がある。会社まで設立して事業化することだってできる。建築はそれには膨大な費用が必要なのだが、プロダクトではそれほどでもないからだ。そして、事業化に失敗しても作品は残る。

つくりたいデザインがある。依頼される前に作りたいものがある。そんな時に、それを実現するためには事業化を進めることになる。事業化自体も使う側との接点が生まれてデザインを深化するきっかけが生まれる。こうしてチャレンジは続くのだ。

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《黒川 雅之》
愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー。
早稲田大学理工科大学院修士課程卒業、博士課程修了。
卒業後、黒川雅之建築設計事務所を設立。
建築設計から工業化建築、プロダクトデザイン、インテリアデザインと広い領域を総合的に考える立場を一貫してとり続け、現在は日本と中国を拠点に活動する。
日本のデザイン企業のリーダーが集う交流と研究の場 物学研究会 主宰。

〈主な受賞歴〉1976年インテリアデザイン協会賞。1979年GOMシリーズがニューヨーク近代美術館永久コレクションに選定。1986年毎日デザイン賞。他、グッドデザイン賞、IFFT賞など多数。

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