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BINBOU IS HARD だけど  HAPPY

この題名を見て、どこかで見たような?と思った方もいるかと思います。
知らない人が多数かと思いますが、ある映画の題名をちょっともじったものです。

その映画のような、わちゃわちゃした青春の記憶です😆

学生の頃、本当に貧乏だった。

仕送りは当時7万円もらっていたけれど、そこから家賃も払わないといけないし、始めは部活をやっていて部費はかかるのに、バイトをする時間がない。部活やめてからもゼミ通い。その後、ようやくバイトを始めたけど、田舎なのもあり時給四百円台。大したお金にはならず😓

テレビもレンジもなく、冷暖房もなく、夏は扇風機、冬はこたつのみ。借りているアパートには風呂はなく、トイレも洗濯機も共同。
お風呂は近くの銭湯が温泉だったので。そこに通っていました。

音楽は、ダブルラジカセで、みんなが持ってる曲をダビングしまくり。もう音なんて、気にしてられない。聞ければいい状態。

唯一の足はスクーター🛵でしたが、30分以内の距離は歩く。時間がある時は1時間でもあるく。
交通費に金をかけたくないのだ。

ある時は友達と3人、それぞれカラーボックスを買って、担いで1時間以上かかる道を歩いてきたけど、流石に途中でしんどくなって、バスに乗りました😅
それでも半分以上は歩いたなあ…
そんなことがしょっちゅうでした。

私は数ヶ月に一度、スクーターで山を越えて2〜3時間の親戚に行き、帰りは出稼ぎ帰りみたいに野菜などの食べ物を大量にもらい、前後と背中のリュック詰め込んで帰ってきてました。

お米屋さんに行っては、一番安い米ください!

と言い、安いと聞けば遠くのお店まで歩く。

そんな私たちの飲み会は、誰かのうちに集まって、飲み物や食べ物を各自持ち寄っての飲み会。

男性陣は、焼酎乗るお湯割りか水割り。
女性陣は、ファンタやコーラを飲んでいた気がする。

実家から誰か何か送ってきたら、みんなで分け合う。
月末になると、家に残ってる材料を持ち寄って、それでできる料理を作る。
それでもやばい時は、パン屋にパンの耳を買いに行く。

車持ちの人は、惜しげなく、皆の遊びに車を提供してくれて、あちこち出かけた。

そうやってみんなで遊びまくった。

いつだったか、ビデオデッキがある家で、ビデオをみよう、と言う話になり、誰かが、氷の微笑
という映画借りてきた。

これはご存知の方も多いと思いますが、なかなか激しい描写ありますよね。

女性陣が前の方を陣取って、ワーワーキャーキャー言いながら前のめりで見ていたのに対し、男性陣は後ろの方で、なんか気まずそうに見ていました。
その様子がおかしくて、笑っていた女性陣🤣

大学には珍しく、今でも同窓会をやるような、グループラインで盛り上がるような仲間です。
会えば昔に戻ってしまう。
むしろ学生の頃喋らなかった人ともワイワイ喋る。
別れても一週間以上余韻に浸れる、日常を完全に忘れる時間です。

なぜ、あんなに貧しかったのに楽しかったのか。

それはおそらくみんなが貧乏だったからだと思う。
周りが裕福で、自分だけがお金がなくて、一緒に遊ぶのにいつも財布の心配してるようじゃ楽しめない。

誰かが引け目を感じたり、劣等感を感じたり、惨めな気持ちにならないでいられたのは、周りがみんな、地味で慎ましい生活をしていたからだと思う。

帰省して、東京の学校に行った同級生に会うと、ブランドの服を買うために食事をしないとか、付き合いにお金がかかるなんて言って驚きました。
それでも彼女たちは彼女たちで、都会の華やかな生活を楽しんでいるようでした。

ブランド品なんて、少なくとも私の周りで持っている人はいなかった。
自慢は、どこで何をどれだけ安く買ったか、なのだ。

今の若い子に、そんな生活をしろと言っても無理なんだろうなあ…と思う。
親は大変な思いしてるんだろうけど、ちゃんとまとまった仕送りもらえてたり、バイトでたくさん稼いでたりしてるから、そんな中で自分だけお金がない、、と言うのはなかなか辛いと思うし、
その上貧乏にも不便にも慣れていないからなあ…

私自身、再びあの頃の生活をしろ、と言われたらキツいし、やはり同じような仲間がいないと、そして若さがないと無理だと思う。

貧しかったけど楽しかった。
あの時代は、私の宝物です。

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