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高野山旅行 2 【壇上伽藍-1】

前回の記事はこちら⤵︎

高野山の中心でバスを降りた時は、高野山らしからぬ普通の舗装された道だと思ったけれど、歩き出せばすぐにわかる
寺寺寺…
本当にどこもかしこも寺ばかり。やっぱりここは、高野山だ!
私が降りたバス停の付近は、少しお土産屋さんとか、飲食店があるけれど、それ以外は本当にお寺がいっぱい。
みんな見てまわりたいくらいだけれど、とにかく必ず見たいところから行かないと、とても時間が足りないことは明白だ。

私たちは、日差しを避けながら、蛇腹路と言われる道を通って、壇上伽藍に向かった。

ところで、壇上伽藍だんじょうがらんとは?

何?今頃、と思った方は、スルーしてください。
私は、高野山高野山といいながら、壇上伽藍行きたいと言っておきながら、壇上伽藍が何なのか、よくわかっていませんでした。

壇上伽藍は、弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、高野山全体の総本堂なんだそうです。
奥之院とともに高野山の二大聖地の一つとなっています。

壇上伽藍は、密教の修行場である高野山の中で密教の世界の1つである胎蔵界曼荼羅の世界観を具現化したものと言われています。

胎蔵曼荼羅とは?

これは、高野山霊宝館買ったクリアファイルなんですが、これが胎蔵曼荼羅です。
曼荼羅には、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があって、このクリアファイルの裏側は、金剛界曼荼羅なんです。
・・・この話は、私もそこまで詳しくないので、やめておきます。

この曼荼羅と壇上伽藍、どこをどう見たら、具現化?
正直よくわかりません。
実は、翌日近くにある、高野山デジタルミュージアムという所に行きました。
ここで、壇上伽藍の説明を詳しくしていて、なるほどぉ~と思ったのですが、うまく説明できません。

もしも初めて壇上伽藍に行く方がいらっしゃったら、壇上伽藍に行く前に、このデジタルミュージアムに行くことをお勧めします。

なぜ、壇上伽藍というのでしょう・・・
壇上(壇場)は、一段高くなった場所で、僧侶が儀式などを行うところ
伽藍は、清らかで広い静かなお場所を指す言葉で、のちに大きな寺院などを表すようにもなったそうです。

壇上伽藍には金堂、根本大塔、西塔、御影堂など多くの堂宇が立ち並んでいます。これらを総称して、壇上伽藍といいます。

空海は完成を見ずしてこの世を去りますが、後を継いだ弟子たちによって完成しました。
現在残っている建物の大半は、江戸後期から昭和初期に再建されたもので、創建当時のものは残されていませんが、当時の様子は十分に感じられると思います。

前置き長すぎです!!ではさっそく・・・

おお!見えてきました。

私たちは正面入り口ではなく金剛峯寺側から入ったので、真っ先に見えたのは東塔です。(写真右手)
まずは看板があったので、見てみましょう♪

ここは海抜820mという高さにありながら、東西5キロ、南北1キロの平地となっている。
こんな山の上にそこまでの平地があることに驚くし、その場所を見つけた弘法大師様もすごい。

そして、こんな高いところにこれだけの建物を作ったことも、本当に驚くべきことだと思います。

それではまず、東塔

東塔

1127年、白河上皇の御願による創建されたとのことですが、これは昭和58年に再建されたものだそうです。

東塔の横には、三昧堂さんまいどう。小さいけれど、趣のあるたてものです。

三昧堂

その隣には、大会堂だいえどう

大会堂
龍の彫刻が生き生きしていてすごいです

大会堂の横には、愛染堂

大会堂と愛染堂の正面には、国宝の不動堂があります。

不動堂

鎌倉時代に作られたもので、平安期住宅様式仏堂建築に応用したものとのこと。確かに他の建物とは少し違った、少し雅を感じる建物のような気がします。

さて、ここまでくると、目の前には、壇上伽藍の、いえ高野山のシンボル的な塔である、根本大塔が目の前です。

根本大塔

大きい、そして美しい。
伽藍中心の塔として、816年高野山開創の頃より着手し、空海の死後2代を費やして887年に完成したそうです。

この根本大塔と金堂は、拝観料を払えば内覧することができます。
ちなみに、壇上伽藍自体に拝観料はないので、内覧しない方は、無料で拝観することができます。
でも、せっかくですから内覧したいですよね・・・
とはいえ内覧は後回し。
壇上伽藍の正面に来ましたので、ここから改めて境内を時計回りに回っていきたいと思います。

まずは中門。伽藍の正門です。

この中門には、正面と裏側に、四天王が配置されています。


正面から見て右-多聞天(写真右上)
正面から見て左-持国天(写真左上)
裏から見て右-広目天(写真右下)
裏から見て左-増長天(写真左下)

この四天王、増長天の胸にはトンボ、広目天の胸にはセミが止まっているということで、ちょっと有名なんだそうです。

トンボは素早く飛び回って害虫を捕まえることから、四天王としての外敵を防いで安全を護るということにつながり、前にしか進まず、後ろに下がらないことから、不退転の精神を表す。

セミの声は何処までも広く遠くに響くことから、広く遠くまで仏法を伝え、仏国土を広く見渡して外敵が入らないようにと守護しているということのようです。

高野山の中門は、今まで何度も火災等で焼失したそうです。
1843年(天保14年)の火災でも.中門は消失したのですが、当時中門に安置されていた持国天と多聞天(毘沙門天)は無事に運び出されてました。
今も中門を守る持国天、多聞天は、その時消失を免れた1819年(文政2年)慶派仏師によるものだそうです。

ああ、まだ壇上伽藍について半分しか書いていないのに、もう2000文字超えてしまいました。

今日はここまでにします。

まあ、壇上伽藍は、今回の旅行の中でもメイン中のメインなんで、お許しくださいませ。

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