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裏垢をやめたら、ほんのちょっと前向きになれた。

皆さんは、Twitterアカウントっていくつ持ってますか?

活動などのいわゆる表向きの用と、リアルの身内だけと繋がるプライベート用(裏垢っていうんでしょうか?)を分けている人、発信する内容によってアカウントを使い分けている人……など、様々ですよね。

私の場合、個人のアカウントはひとつに絞っています。


グループとか人と一緒にやっているアカウントは何個かあるけど、私個人のアカウントはひとつだけ。
裏垢的な、身内だけにしか知らせたくないプライベートを書き込む用のアカウントはありません。


正確にいうと、もともとは今使っているアカウントがプライベートダダ漏れ垢で、決して表向きになにかを発信するためのものではありませんでした。
なんなら鍵もかけていたし、全く知らない第三者に見せるつもりはこれっぽっちもなかったんですよね(笑)


その後、フリーランスとしての活動を色々と始めたときにTwitterの使い方を見直して、そのアカウントでそのまま公式(?)的な発信をし始めた感じです。

さすがに外向けに発信している場所で下手なことは書けないので、その流れで私のプライベート垢は抹消されました。
今のアカウントの投稿を何年も遡れば、まだ鍵垢だったときの投稿が出てくるかもしれませんが(笑)

その後、プライベート用に鍵垢も作ろうかな〜と何度か考えたりもしましたが、「でも面倒くさいな」って気持ちが勝って3年ほど経過してます。

結果、


プライベート垢(裏垢)、作らなくて正解だった。


これは人によると思うのですが、私の場合は本当に作らなくて良かったと思っています。

私の場合、裏垢的なものがあると、どうしても愚痴とか嫌なことばかり書いてしまう。
元がスーパーネガティブ根暗コミュ障だから、これはもう仕方ないんです。

リアルの私を知っている身内しか見ていないと思うと「もーやだ無理」「死にてえ〜〜」といったネガティブな言葉ばかりが並ぶ自己嫌悪botが爆誕してしまう……。

マイナスな感情を吐き出すことは決して悪いことではないのですが、私の場合はそれに飲まれてより真っ黒に染まってしまいます。

実は、大学生の頃に本気の裏垢を作ったことが一度だけありました。
そのアカウントは身内も含めて誰一人フォローせず、鍵をかけて、嫌なことをひたすらに発散していくためのものでした。

でも、私にとってそれは思ったほど発散になりませんでした。
むしろ画面に並ぶ汚い言葉を見返してより罪悪感に駆られるような、なんとも言えない気持ちになって、アカウントはすぐに削除しました。
(裏垢に書かず紙に書けばまた違ったかもしれない、と今は思います。)


裏垢やプライベート垢を持たなくなってから、嫌なこともポジティブに発信するクセがつきました。

例えば、なにか嫌なことがあってもそれをそのまま書くのではなくて、 

『今日は悲しいことあったからラーメン食べちゃう!』
『今日の私は機嫌が悪いからお酒飲んでご機嫌とりするよー!』

とか。

言葉の魔力は凄まじいもので、そうしていると不思議と少し気持ちが軽くなるんです。

根暗な私も、ほんの少しだけ前を向けるようになる。
「明日は良いことあるといいな」って思えるようになる。

もちろん、どうにも怒りが収まらなくて眠れない日や涙が止まらなくなる日もあるけど、裏垢を持っていたあの頃よりも、ずっと情緒が安定しています。


書いて発散出来ること、書くとより沼にはまってしまうこと。
どちらも上手く使って、少しでもラクに生きていきたいですね。

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