長年妻を苦しめていた花粉症が治った?最も影響のあったとある「思考」について
妻の花粉症が治った。
しかも特別な薬を処方したわけでも、医療行為を施したわけでも、もちろん花粉が飛ばないエリアに引っ越したわけでもないにもかかわらずだ。
花粉症に苦しんだ日々
彼女は小学校のころから重度の花粉症に悩まされてきた。
毎年春先のこの季節になると、鼻水とくしゃみと涙が止まらず、鼻の下はティッシュでこすれて真っ赤になってしまう。
呼吸も浅くなり頭がぼーっとしていて授業にも集中できない。
そんな状態がひと月以上続くという苦しみを長年彼女は味わってきた。
彼女が小学生だった80年代はまだ世の中に『花粉症』という病は認知されておらず、一向に治らない奇妙な風邪だと思われていたらしい。
薬など存在していなかったため、少なくない貴重な時間を犠牲にしてきたことを思うと心が痛い。
花粉症の薬が世に出始めてからは、それを処方すれば症状は治まるものの、
身体が慣れると効果はだんだん薄くなり、薬は徐々に強力なものになってしまっていた。
そういった話を聞いてしまうと、今までは春の訪れを心待ちにしていた私の気持ちもだんだん萎えてきてしまっていた。
最も大きな影響を与えたもの
しかし、今年は事情が異なった。
これまで処方されていた強力な薬を一切飲まずに、肝臓の働きをサポートしてくれるお茶のエキスを抽出したサプリメントを飲んだだけで、ほとんど症状が出なくなったらしい(とはいえ外に出るときはマスクは着用)。
どうやら彼女の花粉症が治ったようなのだ。
私はここで「花粉症にはこのサプリを!」とおすすめしたいわけではない。
彼女自身サプリだけでなく普段から食事には気を使っているし、定期的な運動も欠かさない。ストレスをなるべく溜めないように笑顔でいることも心掛けている。
でもそれは去年もそれ以前も同じだ。
何せ30年以上花粉症と付き合ってきたのだ。
なぜこれまで全く治らなかったのに、今年は治ってしまったのか。
何より影響の大きかったもの、それは『思考』だ。
それまでの彼女は「私の花粉症は一生治らない」という一種の暗示を自分自身にかけていた。
彼女はその思考を前提に「花粉の季節になる→薬を飲む」という習慣を確立し、それ以外の情報が一切入らず本当の問題を発見できない状態に陥っていた。
それを今回は「花粉症は気のせいだ」と思い込むようにしてみたというのだ。
"盲点"という罠
そんなことで花粉症が治るわけがない、そんなのは馬鹿馬鹿しいと思うだろうか。
ここで大事なことを補足しておきたい。
『盲点』というものの存在だ。
私たちは見えているようで見えていない。
例えば「あのカッコいいBMWの車が欲しい」とフォーカスを定めると、急に街にBMWの車が溢れているように思ってくる。
それまでと走っているBMWの車の数に全く変わりはないにも関わらず、だ。
つまり、私たちはこの世界を自分の優先順位に従って見ているのだ。
優先順位が低いものは全く目に入らず、優先順位が高いものばかり目に入ってしまう。
話を戻そう。
彼女は自分自身のフォーカスを変えたことにより、それまで見落としていた重要な情報を拾ったのだ。
それは「薬のせいで肝臓に負担がかかっている」ということだ。
つまり薬の副作用により、身体に溜まった毒を解毒してくれる機能を持つ肝臓を酷使させてしまっていたことに気がついたのだ。
自分の持つ『思考』そのものを自由自在に扱うことによって、盲点になって隠れていた問題の本質に気づくことができ、自分自身で解決策を見つけだすことができたのだ。
もしも花粉症で苦しんでいる人がいれば、無理に薬をやめましょうというつもりはない。
薬がないと大変だということは妻を見て身に染みて感じている。
だが、一生花粉症は治らないとも言い切れないと私は思うのだ。
問題の本質に気づくことで、少しずつでいいのであなたの身体に負担となっているものから距離を取り、長年酷使してきた"臓器さんたち"をいたわってあげてほしい。
やっと妻にも、春の訪れを待つあの温かい気持ちが芽生えてくれると思うと嬉しい限りだ。
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