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あしがくさい

この文章を私の父が読まないことを願う。

匂いというものは不思議かつ偉大で、印象的な匂いは過去の記憶を鮮明に思い出させる。

濃い醤油とゴボウの匂いから、おばあちゃんが作ってくれた大好きなきんぴらごぼうを思い出す。エンジェルハートの香水の匂いから、昔付き合っていた恋人を思い出す(これが「香水のせい」か)。キンモクセイの匂いからは小学校の通学路を思い出すし、古い本の匂いからは大学時代の勉強に明け暮れた日々を思い出す。

そんな美しい思い出と匂いを列挙してはみたが、これらよりも確固として印象に残っていて、記憶と否が応でも結びつく匂いがある。それは、くさい足の匂い。そう、父親のくさい足の匂いだ。

お父さん、くさいくさいって連呼してゴメンネ。

しかし、なぜくさい足の匂いは父親を想起させるのだろう。某アニメの、おしりを出す男児のお父さんも足がくさい設定で、父親といえば足がくさいと言わんばかりの印象操作がされている。春はあけぼの、夏は夜、父親の足はくさい。

ここでフォローを入れるわけではないが、ひとつ断りたい。くさいくさいと言ってはいるが、別にキライな匂いではないということを。「ヤダ〜!パパの足くさい〜!」という子供たちの顔は、たいてい笑顔だ。反抗期だとそうはいかないかもしれないけれど。私にもかつて反抗期はあったし、父親の使用済み靴下があまりに臭く、私の洗濯物とはこっそり分けた経験があるけれど。でもなんか、ちょっと面白いんだよな、足がくさいって。ニヤッとしてしまうのは私だけだろうか。

つまり私は、くさい足の匂いが全然きらいではない。むしろ好きかもしれない。くさい足の匂いを晒せる関係や環境は豊かだとも思う。そして多分、がんばる人の足はくさいのだ、知らんけど。

なぜ急にこんなことを書いたかというと、今日の自分の足があまりにもくさいから。本当にくさい。誰か嗅いでみますか?

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