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お母さん、『絶望ってあり得たかもしれない希望のことを言うのだと思います。』って私たちの大好きな坂元裕二が言ってたよ。



どういう意味か、最近分かった気がします。
あり得たかもしれない希望がなになのか。
例えば、私がバリバリのキャリアウーマンになって東京の街をピンヒールで歩く姿。例えば理解ある彼くんと出会って2人仲良く生活する姿。例えば結婚して出産して子育てに奮起する姿。
こういうあり得たかもしれない希望のことを絶望って言うのですね。



真杉って覚えてる?塾一緒だった男の子。あの子に夢日記を付けると毎晩夢を覚えていられるよって教えて貰ったので実践して早2年が経ちます。
効果出てきました。夢、覚えていられるようになりました。
どういうわけか、私の夢に出てくるのは家族か、地元の人だけです。高校や大学の友達、職場の人は出てきません。東京の街も出てきません。地元のあの広い公園か、昔の建て替える前の実家です。
私の夢のはいつもあのど田舎が舞台です。それくらい私にとってあの田舎で過ごした18年間は濃いものだったのですね。



どうでもいい訳のわからない前置きが長くなりましね。
本題です。


お母さん、私、東京で暮らすの辛くなりました。



張り切って上京しました。18歳の冬、夜行バスに揺られ、大都会東京に向けて胸を躍らせながら上京した日のことを今でも覚えています。学校からは近いけど駅から30分も離れている、新築のロフトがあるあのアパートで『ここから私の生活が始まるんだ!』ってワクワクしながら布団に入ったことは忘れられません。もしかしたらあの日私の人生は終わりに向かったのかもしれませんね。



何も手に入らなかったです。
関西なんかに留まるか!私はみんなと違ってもっと東に行くんだ!ってイキって上京したけど、何も手に入りませんでした。残ったのは所々自己肯定感が低く、他人に求める理想が高く、見返りばっかり求めて、気力もやる気も貯金もない空っぽの25歳の私です。本当笑っちゃうくらい何もありません。
元々空っぽだっただけの話です。私は元々空っぽな人間でした。東京が変えてくれると期待してました。東京に行けば何かが変わると信じてました。自分が変わらなきゃ意味ないのにね。


もう辛いのです。無能で低スペックでブスなのになんの努力もしない自分と向き合うのも、街中で自分より可愛くて細くてキラキラしている子を見るのも、泣きながら部屋で1人寂しくこの文章を打っているのも。全部全部辛いのです。



だから、もう田舎に帰ろうと思います。
分かっています。自分が変わらなきゃたとえ環境を変えたとしても意味がないことを。田舎に帰ったって、この気持ちが無くなるわけじゃないことを。この7年身を持って体感したのでよく分かっています。
けど思うのです。どこにいても一緒なら、生まれ育った実家に近い場所で穏やかに過ごしたいと。大好きな地元の友達に気軽に会える距離にいたいと。駅から家まで歩くだけで何十人の人とすれ違う場所ではなく、人通りの少ない場所で静かに過ごしたいと。



私の人生にはもう絶望しかないので。
絶望しかないと諦めている自分自身が1番の絶望なので。



ごめんね。

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